最終話 泪の音
鈴の音が聴こえた。
けれどもう振り返らない。
分かっていたけど、少しの間だけ幸せを感じることができたから。
だからきっと、あれは別れの音だったのだと。
「約束だからね」
いつになく真剣な表情で見つめながら手を握ってくる柚津に千加は少し恥ずかしくなっていた。
「どうせ戻ってくるよー、いつだってゆづちゃんの背中追いかけて戻ってきたのだからぁ…」
そう言い返しても柚津の表情は固いままだった。
いくら言葉や態度を誤魔化そうとしても、柚津には見抜かれているのだろう。それだけ隠し切れないほど余裕がないのか、あるいは彼女の勘が冴えているのか。どちらにせよ今日が彼女と話す最期の日だと直感が告げていた。
「でも突然すぎるわよ、明日手術だなんて」
「私もビックリだよー、前日にゆづちゃんが来るなんて」
「担任が今日話してきたのよ、もう少し時間とかあればよかったのに…学校終わってすぐ病院に行かないと間に合わないことぐらいわかってなかったのかしらね」
「別に手術終わってからでも会えると思ったんだよー」
「それも…そうね」
そういう柚津の言葉に納得している気持ちなんて籠っていなかった。
「でも来てくれてうれしいよっ」
例え見抜かれても千加は不安な気持ちを見せるつもりなんてなかった、逆に柚津はそんな彼女を見て無理に元気に振る舞わせるようにさせている気がして無理して笑顔を作って切り上げてしまっていた。
「それじゃ、私は行くね」
「うん、ありがとねー」
そう言って柚津は病室を離れた、その背中を見送ると、千加は一つため息をこぼす。
「ふー…行っちゃったね」
そう言って寂しくなる心が顔に出てしまったとき、慌てて柚津が戻ってきていた。
「わっ、ゆづちゃん!?」
「チカ、これ持ってて」
柚津は手に握っていた小さなものを千加の手の中に押し付けた。
「これは…鈴?」
「お守り代わりよ、自転車に鍵無くさないように付けてただけだけど…だから終わったら返してよね」
「そんなことしたら自転車の鍵無くさないー?」
「大丈夫よ、いつもチリチリ鳴ってうるさいって思ってたのだから」
「じゃあ持っておくね、ありがと」
「うん、それじゃ」
そう言って柚津は再び病室を後にしたのであった。
「……」
再び静まり返った病室に、千加は握った鈴を揺らしてみる。
チリンと音がした。別にうるさくなんてなかったけれど、静かな病室にはっきりと響いて耳に残るのだった。
それから手術を終えた千加は病室でぼんやりと柚津を待っていた。
ただ少しおかしいと思っていた、医者と両親が話していた会話から絶望的な状況だったのに今生きていることと、手術を終えて先に担任が来ても柚津が来ないということ。何かあったのかなと不安に思いつつも、鈴を鳴らしてそんな気持ちを紛らわせた。
「よく鳴らしますね、その鈴」
「はい、元気になるお守りなのです」
「そうなんですか、それだったら早く良くならないとですね」
「はい、頑張ります」
こうして病室で待つよりも先に千加は退院を迎えた。
それから学校に戻った時には1年過ぎていた。だからもう一度同じ学年をやり直すことになったが、その間に柚津が来ることはなかった。
「八福さんはあの日帰る途中に事故で亡くなったわ」
「そう、ですか」
退院後の初めての登校日に校長室の隣の応接室へ元担任と両親と一緒に座って、考えていた想定の中で一番最悪な結末を告げられた。感情が抑え切れなくなりそうになるのを必死に鈴の音を鳴らそうとした、けれど握ったままでは鈴は鈍い金属音をカチカチと鳴らすだけだ。
なのに握ったこぶしを開くことができずに、結局感情が溢れて泣き崩れてしまった。
あれ以来、もう鈴はあの時のようには響かない。あの時強く握ったことで鈴が変形してカチカチとしか鳴らなくなった。
「……」
それは千加も同じだった。相変わらずぼんやりはしていたけれど、以前のような笑顔は消え失せたまま学校の日々が過ぎていくのであった。
「戻ってたんだ…鈴」
柚津はその場にへたり込んだ、それですべて理解した。
確かに鈴の音はこの世の音ではあったが、そもそも自分自身がこの世の者じゃなくなっていたから違和感を感じていたのだった。
「私はチカをこっちの世界に呼び出そうとしてたわけね、未練がましく」
だけど千加は会いに来てくれた、学校で鈴を返してくれた。
だからそれでもう十分だった。これ以上思い残すことなんてない。
「…だから起きて、チカ…」
鍵についていた鈴を、柚津はチリンと一つ鳴らしてみせた。
「……あれ」
気づいたら夕方だった。誰からも起こしてもらえるはずもなく、誰もいない教室に独り突っ伏していた。
「帰らなきゃ」
千加は両手を伸ばして眠気を飛ばすと、鞄を持って教室を後にする。
「……!」
それから廊下に出てしばらく歩いていると、ふと鈴の音がどこかから聴こえたような気がした。
「…気のせい、だったんだ」
しかし振り返って見えたのはいつもの光景、夕方の誰もいない学校の廊下だった。
「…帰らなきゃ」
そうひとり呟くと、千加は静かに階段を降りていく。
そして下駄箱で靴を履き替えて外に出ると、ふと暗くなった夜空を見上げていたらハンバーガーが食べたくなる。
「……」
けど、やめたのだった。
鈴の音 ミリカラムス @marnie_liminality
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