第2話 記憶の音
きっとあの音はこの世の音ではなかった。
なのに夢の中で聴こえたという音が私の耳に響くなんてあり得るのだろうか?
それはすなわち、聞いてはいけなかった音だったのかもしれない。
けれど聴こえた以上、もう戻ることはできないのだろう。
「おはよ、ゆづちゃん」
「おはよう」
翌日、学校で挨拶を交わした二人はどこか気が重かった。話すことがないわけではないが、感情を抑えきれなくなるかもしれないと思って柚津は唇をかみしめる。
「昨日のことは忘れて今日も元気に過ごしましょー」
「そうね、それでちゃんと宿題はやってきたの?」
「あ!忘れちゃったーだからいつものお願いっ」
「はいはい」
こうしてその日もいつも通りの学校生活が始まり、そして放課後を迎えた。昨日は千加の方からだったが、今日は柚津が千加のそばに近づいていた。
「ちょっと聞きたいことがあるから、帰りながら話がしたいわ」
「う、うん分かった…」
何を聞きたいのかを理解している千加は靴を履き替えるまで無言で柚津の後ろにくっついて歩いていた。そして学校の敷地から出ると、柚津は振り向いて千加の隣に並んでいた。
「一つ分かったことがあるの、あの音は廊下で鳴ったわけじゃないわ」
「え?なんで?」
「どこかの教室から鳴っていたのよ、きっとそう。だから探しに―」
「ちょ、ちょっと待ってよ。」
矢継ぎ早に話そうとする柚津に千加は慌てて止めに入った。
「なによ」
「夢の中で聴いた音がどこかを推理しても意味ないと思わない?」
「いや、昨日聴こえたでしょ、下駄箱の場所から察するにどこかの教室から鳴っていたのが」
少し強い口調に柚津とは対照的に、千加は言いづらそうな顔をして口を開いた。
「えっと、聴こえなかった…かな」
「え?」
「もしかして音が聞こえたから、教室に戻ろうって言いだしたの?」
「あ…そうだったわね」
「なんかごめん、夢の話だったのにゆづちゃんに迷惑かけちゃって」
「別にいいわよ、別に…」
「じゃあもう探さないって約束してくれる?」
「わかったわ、そうする」
千加の言葉に柚津は恐怖を感じる以上に何故鈴の音を探すことに躍起になってたのかと疑問を抱くぐらいの冷静さを取り戻していた。それだけあの時聴いた音には人を魅了する音色がしたのだろう、けれど今は千加の言葉のほうが力があった。
「それじゃ今日はどこか美味しいものでも食べようよー」
「もしかしてハンバーガー?ホント好きよね…」
「いいじゃん、好きなんだから」
「わかった、付き合うよ」
こうして帰宅途中の二人は、千加の好きなハンバーガーを食べに近くの店に寄っていた。
「こうやって二人でのんびりハンバーガー食べれるのって幸せよねー」
2番目に安いチキンバーガーを頬張りながら、千加は口に付いたケチャップも拭き取らずに食べ続ける。
「安いハンバーガーで幸せを感じられるなんて幸せねぇ、もっと高いのでもいいじゃない」
そんな千加を見ながら呆れる柚津はそっと彼女の口元をぬぐってあげていた。
「こういうのでいいのよ、幸せってのはー」
「ふーん」
そんな会話をした後、二人は店を出る。
「それじゃまた明日ね」
「うん…またね」
そう言って俯く千加に柚津は苦笑していた。
「また付き合ってあげるって、ハンバーガー」
「あははー嬉しいなー」
そう言って笑顔を見せる千加に手を振り別れたのだった。
その日、柚津は夢を見ていた。
「……」
おぼろげな世界の中から始まったが、段々とくっきりと自分がどこにいるかわかりだしていた。
そう、教室にいた。
そして目の前に千加がいる。いつもと同じぼんやりした様子でほほ笑んでいるが、真正面で突っ立っていることが不自然で仕方がなかった。
「……?」
千加はゆっくりと両手を私の前に出してきた。その手の中には小さな鈴がある、差し出されたそれを手に取ると小さな音がチリンと鳴った。
「……」
あの音だ、あの時下駄箱で聴こえた音だ。しかしどうしてだろう、それ以前に聞き覚えがある。恐怖を抱くより、懐かしくて寂しい音に感じていた、だからもう一度鳴らしてみると、真正面にいた千加がゆっくりと背中を向けて教室から出て行こうしているのに気づいた。
それを慌てて追いかけようとするも金縛りにかかったように身体は全く動かず声も出ない。必死になって何かを伝えようとしても、千加は振り向くことなく教室を去っていった。
「…っ」
夢の中でもがいていたのか、飛び跳ねるように目が覚めた。
「夢…か」
まだ暗い部屋の中、布団から飛び出してぬくもりのない冷めた空気に徐々に冷静さを取り戻していく。
「夢だ、そう、夢なのよ。夢だから、夢だったのよ…」
それを確かめたくて柚津は飛び出した。まだ始発のバスも出ていない時間だというのに彼女は着替えて家を出ていく。自転車なんて通学以外で乗らないけれど早く着けるのならと飛び出そうと思って鍵を握ったとき、ハッとなっていた。
「…あ」
その時手に持った自転車の鍵から、チリンと鈴の音が鳴ったのだった。
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