1-13.

 ウォーデン家の屋敷には病院が併設されている。

 宰相の主治医として軍位医師が勤めていてウォーデンの家族はここに入院する。

 朝になってジュノは屋敷の診察室を借りてクロトの母親の容体を見ていた。


 カルテを見てみればクロトの母ディケーは生まれつき心臓が良くなかったらしい。

 致命的な欠陥が見つかったのは3年前。

 ジュノより高い医療技術を誇る軍位医師が死期を宣告したように、ジュノでもこの病は治せない。


 むしろ診察から判断できる死期は一年以上前にとうに過ぎているように見える。

 どうやって生きているのか不思議なくらいだ。


 答えはディケーが教えてくれた。


「モルタは良い部下を持ったようですね。 思いやりが溢れ過ぎてどうしてもやり過ぎてしまうところがある」


 次男モルタの秘書が第四大陸から不正に密輸した魔法薬で延命をしていたらしい。

 もちろん重罪であり、軍監査部長のモルタは密輸を取り締まる立場だ。

 おそらく気づいて黙認している。

 ディケーがバッグから魔法薬のカプセルが入ったケースを出した。


「この魔法薬は大量の魔力を生命力に引き換える効果があるそうです。 しかしいくら延ばせてもせいぜい一年未満が実証されている命の限度。 使用時期から逆算して、もうじき私は死ぬでしょう」


 ジョヴァンニが後ろで立ち会っているがこの薬を不正だと、ここで取り上げることは出来ない。

 この薬が例え、国を脅かす魔法薬であったとしても、ディケーに魔法薬の処方を選ばせてしまったのはこの国の医師が治せなかったからだ。

 もちろんそれにジュノも含まれる。


 命は何にも換えられない。

 ジュノにディケーを罰する権利はない。

 今更見せかけばかりの正義に何の意味があるというのだ。 目を瞑り、ディケーと向き合った。


「貴女がミーミルを使用して今回のテロを支援しましたか?」


 ディケーは一切の動揺もなく首から下げたミーミルを見せた。 瓶は硬く未開封のままだ。


「私のミーミルはこの通り、未使用のままですが」


「亡くなった旦那様の遺品のミーミルはどこにありますか?」


 使ったのはおそらく亡くなったクロトの実父のミーミルだとジュノは踏んでいる。

 ウォーデン騎士団のテロ対も亡くなった貴族のミーミルは全て廃棄されるものと考えていただろう。

 実際に廃棄、または遺品として棺の中に納めるという規定だ。


「棺の中です。 まさか墓まで荒らそうというのですか? 私もいずれは同じ棺に入ろうと考えております。 あと一週間です。 調べるのはそれまで待っていただけませんか?」


 ディケーは意地悪くこちらの良心を抉る言い方を選んでくる。 立証のために早く墓を暴かせてくれとはジュノは言えない。


 しかしそんなこと知るかと吐き捨てんばかりにジョヴァンニは拒否するのだ。


「墓くらい荒らすよ? 墓にあるのか、君のポッケに入ってるのか知らないけど。 二度目の掘り起こしなら土もふかふかで、さぞ掘りやすいだろう」


 一応スコップは持ってきたよとジョヴァンニは手に持ったスコップを小器用にクルクル回している。

 相手が悪過ぎることを察したディケーはバッグから出した可愛らしい小箱を差し出す。

 箱を開けるとミーミルの痕跡が強く残った空の小瓶が入っていた。 亡くなった旦那さんのミーミルだろう。


「夫のミーミルは形見ですので死後も墓に入れることなく私が肌身離さず持っております。 墓荒らしはご勘弁ください」


 ディケーは犯行を認めた。

 ジョヴァンニもわざわざこれ以上の言質を取ろうとは考えていないらしい。


「いいだろう。 悪いけど今からちょっとしたテロ対の授業をさせてもらうから良かったら一緒に聴いて、長男にも教えてあげてよ」


 ジョヴァンニの提案にディケーは口に上品な笑みを含んだ。


「アイリーンより出世できるようになれますでしょうか?」


「さあね、君はどう思う?」


「あの子を信じております」


 ディケーは病に冒されていると思えないほどすっと通った姿勢で言う。

 ディケーは綺麗な女性だと思う。

 容姿が極めて優れているわけではないが、所作や化粧、服装も含めてとても上品だ。

 宰相の伴侶として規範のような女性だ。


「じゃあ始めよう。 僕がディケーが共犯だとほぼ確信したのはこの屋敷を訪れてウォーデン一族と接触した時。 根拠はこれだ。 脅迫状」


 嗅いでみてと言われて脅迫状の匂いに集中する。

 言われてみればというレベルの匂いの濃さだが脅迫状から高級石鹸みたいな香りがする。

 ブランドには明るくないが一時期ジュノの父も使っていた香水だと思う。


「一年前の発行から先月、正式に周知するまで慎重に自室で保管していたからだろうね。 脅迫状に薄ら匂う香水が君の物と全く一緒なんだ。 他に同じ香水を使ってる子がいるわけでもなし」


 その段階でディケーはかなり怪しかった。

 診察室の扉を叩く小さな音がする。


 ジョヴァンニが扉を開けると太った白猫ジェイが紙を咥えて診察室に入ってきた。 どのタイミングで侵入してきたのか全く見当がつかないが、ジョヴァンニが手引きしたのだろう。


 ジョヴァンニはジェイから紙を預かるとお駄賃として哺乳瓶をあげる。 ジュノの膝に飛び乗ったジェイが哺乳瓶をちゅぱちゅぱとうるさい。

 ディケーは寛容な女性で勝手に猫を入れたことは咎めず、ジェイを撫でていた。


「加えて僕が考えてた確たる証拠はこれ。 君の部屋から取ってきた。 どうやって秘書が君と契約するに至ったのか気になってたんだよ。 君も息子の部下とは言え、貴族を狙うテロリストをおいそれと信用するわけでもないだろうし」


 そこでジェイが運んできた紙一枚が関係する。

 もう一枚の契約書だ。


「君自身が受注者となり、ミーミルの契約書に含める形で信頼を担保したんだね? そのお陰で契約管理の原則に引っ掛かって文書を追加で発行せざるを得なかった」


「文面を当ててあげようか。 契約テロの契約成立に協力する代わりにテロに君の子が巻き込まれる場合、爆弾を起爆不可となること」


 ジョヴァンニの予想はぴったり当たっている。

 ディケーの動機は未だ分からない。

 ジョヴァンニも敢えて言ってない。 おそらく動機こそディケーが触れられたくない部分なのだ。


 目を伏せるディケーは小さく呟いた。


「……外部顧問様、ごめんなさい」


 一瞬だった。

 ディケーは咄嗟に机のボールペンを取るとペン先に魔力強化を施す。 ジュノはジェイを膝に乗せていたので反応が大きく遅れた。

 ディケーは片手でジョヴァンニの契約書を掴むとペンを振り上げて、下ろす。 一瞬だが覚悟を決めたディケーの魔力は金色に輝いた。


 あっという間にペンが契約書を貫く。

 契約書は損壊すれば消滅するがペナルティでディケーは死亡する。 契約ごと証拠を消し去ってクロトの秘書を守ろうとしたのかもしれない。


「ごめんなさいね」


 遅れてジュノにペンを取り上げられたディケーは硬い床に膝をついて目を瞑る。

 大人しく死を待っていた。



……死神が来ない。


 代わりにジョヴァンニがディケーに手を差し伸べた。 もう片方の手には頑強なファイルに保管された別の契約書がある。 文面は先ほどディケーが損壊させた物と同じ内容だ。


「これはさっき僕が複製した偽物だよ。 証拠となる文書を猫に咥えさせるわけないじゃない。 本物はこっち」


「……ああ」


 ジョヴァンニがディケーの手を掴むとまた椅子に座らせる。 ディケーは何枚も上手のジョヴァンニに呆気に取られている。

 笑ってすらいた。


「まったく、敵いませんね」


「息子に見習うように言ってほしい。 取り調べ中ずっと契約書を秘書の見えるところに置くんだからヒヤヒヤしたよ」


「難しいでしょうね。 あの子は証拠品を犯人役に突き付ける推理ドラマに憧れてテロ対に入ったのですから」


 思い出に心を寄せ、涙を流すディケーの姿は昨夜のクロトにそっくりだった。

 ジョヴァンニはディケーのミーミルの小瓶を取ると繋いだ手にミーミルを垂らす。


「何を?」


 繋いだ手を起点に黒い契約魔法陣が展開する。

 ミーミルの契約が勝手に開始されたことにディケーは驚いていた。


「契約だ。 病気を治してあげる。 その代わり、時間は1ヶ月だ。 1ヶ月経ったら君の心臓は何をしても確実に停止。 死んでもらう。 どうする?」


 ディケーの病は不治の病だった。 不治の病すら治せるのがジョヴァンニのような国位医師。

 魔法医学の頂点であり、死者蘇生すら可能にすると聞く。 故に彼が治療行為を行うのは皇帝陛下ただ一人と定められていた。


 宰相がいくら積もうと、頭を下げようと彼にかかることは出来ない。

 望んだ治療の代償が確定した死。

 どうして……むごいことをするんだろう。


 ディケーはこれに泣いて縋るしかない。


「よろしくお願いします」


「契約成立だ。 好きなように往生なさい」


 ジョヴァンニはディケーを治療すると定例パーティーの会場へと足を運ぶ。

 魔法爆弾は昨年補修が入って、位置が変わった窓の下のコンクリートに埋め込まれていた。

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