第32話 あの力

 カチャリ、と薄暗い中で扉が開いた。

 足音を殺した一つの影は部屋の真ん中まで進むと、天井からぶら下がった白熱灯に触れた。底部のダイヤルを半回転させる。小さな稼働音を立てて光が生じた。

鈍い灯りに満ちた隊長執務室。家主の姿はない。

「……侵入せ~こ~ですっ」

 小声で言ったロザリーは身を潜める。壁際まで寄るとさっそく物色を始めた。

 探し物は例の秘密文書。ロイヤルメイドたちが集まる夜会でヴォルビリスが袖に忍ばせた、あの指令書だ。あの時宰相のユーゲンは彼女たちに「読んだら燃やすように」と指示した。よほど漏れてはならない重大な秘密が記されていることは容易に想像がつく。そしてその秘密の中にはあの花冠の少年も含まれている可能性が高いと感じた。

 今夜は三日月。隊長のヴォルビリスは夜会に出ていて帰りが遅く、巨大錆兵討伐などという大任務を終えた日の終わりかつ、幸か不幸か影騎士の夜襲も重なった。

 遊撃隊隊舎はもぬけの殻同然。緋色のメイドたちは被害の後始末に追われているか、すでに眠りに着いているかのどちらかだろう。絶好のチャンスとはこのことだ。

「今のうちに早く……」

 物色の手を急がせる。本棚に窓辺、観葉植物を調べ終わるとその手は執務机に触れた。ヴォルビリスの性格か、机の上の備品は一ミリの曲がりも無く几帳面に置かれている。羽ペンは櫛で梳かしたようにつやりと垂れ、固定電話や蒸気機関のパノラマ模型には埃一つ乗っていない。

 引き出しの取っ手に触れようとした指先が止まった。

「うう……なんだかすごく悪いことしてるような……」

゙ような゙ではなく間違いなぐしている゙が正しい。悪事とは無縁な生き方をしてきたからか、こういったことを犯すのは気が進まない。しかし迷っている時間はない。

 首をぶんぶんと振って善良な心を吹き飛ばす。

「いいやっ。あけちゃえっ」

 少し強めに引き出しを引いた。中には沢山の書類や筆記用具がきっちりと整理整頓されている。脇の袖机を漁っていると、記憶に合致するものが目に飛び込んできた。

 丸まった書類に赤い紐の封。

「これだ……!」

 目当ての物を手に取った瞬間だった。ドンドン、と扉がノックされたのだ。

「誰かいるのかー?」と入ってきたのはゾイドだった。隠れる間もなく、ルームメイトと私室以外の部屋で目が合ってしまった。咄嗟に声が裏返った。

「ゾ、ゾイドさんっ、ごきげんよう~……」

「ロ、ロゼ!? お前隊長の部屋でなにやってんだよー!」

 詰め寄ってきた彼女。慌てて指令書をうしろに隠す。

「あ~……えっと、実は迷っちゃってっ! わたしって絶望的に方向音痴でしょ~?」

「誰が迷ってここに入るんだよー! ロゼっ、お前なんか隠してるなー!?」

「かかかかくしてなんかないですよ~!」

 これでもかと目が泳ぐロザリーをゾイドはぐっと覗き込む。

「ルームメイトに隠し事なんかできねーからー! アタシはお前のブラのサイズまで知ってんだぞー? いーえーよー!」

「いっいやいやいやいや、なにもしてないですよ~……」

 パンツの中にまで隠したもののことは絶対に言えない。下着になるまで剥かれてもバレるわけにはいかないのだ。きっとお仕置きは凄まじい。

 ゾイドの視線から逃れてまったく吹けない口笛を奏でていると、彼女ははぁと大きな溜息を落とした。

「……やっぱりアタシにも言えないことなのかよー……゙アレ゙は」

「ええっ!?」

「誰にも見られてないつもりだったかー? ざーんねんっ、目撃者いるっつーの」

 思わず不自然に膨らんだ大きなお尻を押さえた。まさか裸になるまで脱がされるのか、と固唾を飲む。しかし彼女の言わんとしていることは想像と違った。

「見ちまったんだよー。お前が影騎士に゙あの力゙を使うとこー。見ちまった――」

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