三、与右衛門と後妻 5

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 しばらくの間は穏やかに月日が流れた。サチは相変わらず、くるくるとよく働いた。それとは反対に与右衛門は日に日に怠惰になっていく。累が生きていた頃は、尻を叩くように追い立てられながら、畑仕事などをやっていたものだった。優しいサチが女房だと、つい生来の怠け癖が出てしまうのだ。

 江戸にも帰れない。サチの故郷にも帰れないとなると、ここにいるしかないらしい。

 そう思うと単調な生活が、たまらなく嫌になってきた。

 そんな時、サチの様子がおかしくなった。肩で息をして辛そうに休んでいるのをしばしば目撃した。そういえば、火傷を負う前に胃の腑のあたりが痛いと言っていた。火傷の痕がひどいので、よく見なければ顔色が悪いのも気がつかない。

「サチ、どこか悪いんじゃないのか?」

「このあたりが時々痛むんだよ」

 サチは腹を押さえ顔をしかめた。

 その時だった。急に前屈みになってえずいたかと思うと、真っ黒などろりとしたものを吐き出した。

 与右衛門は後ずさりすると同時に尻餅をついた。腰が抜けたようだ。

 ミヲの言葉がよみがえる。

『悪いものが家の中にあって災いしている』

 その悪いものがサチの腹の中から出てきたのか。

 黒く得体の知れない、災いの元が。

 サチを見つめる与右衛門の恐怖の目。それ以上にサチは自分の吐き出したものに、目を見開き恐怖に脅えている。

「お、おまえさん……」

 サチの顔が醜く歪んだ。火傷の痕が引き攣り、泣いているはずなのに笑っているようにも見える。逃げ出したくなる気持ちを抑えて、サチを引きずって寝間に連れていった。サチの口の周りを拭いてやると、どうやら吐き出したものは血であるようだった。だが血があんなに黒いなどということがあるだろうか。しかもそれはサチの腹の中から出てきたのだ。

 サチはその日以来、起き上がることができなくなった。数日は与右衛門が世話をしたが、手に負えなくなり、また小作人の母親のイトを呼んだ。嫌がるイトに給金を弾むからと言って、ほとんど無理矢理連れてきた。

 サチは日に日に衰弱していき、二か月後に息を引き取った。

 サチにはずいぶんひどい仕打ちもしたが、お互い身寄りがなくひとりぼっちで通じ合うところもあった。火傷のせいで醜くなったサチだが、愛情も芽生えてきたのだった。だからサチの死は打撃だった。

 なにもする気になれず、無為に一日を過ごすことが多くなった。

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