一、与右衛門とスギ 3

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 あたしにも運が向いてきた。

 スギは旅籠はたごの階段を上がりながら、独りごちてほくそ笑んだ。

 飯盛り女にまで身を落としたが、これでまともな暮らしができようというものだ。

 二階で待っている男は羽生村の与右衛門で、先年、恋女房を亡くしすさんだ暮らしをしている。見かねたまわりの者が、しきりに嫁をもらえと勧めるが、どういうわけか話がまとまらず今日まで独り身を通してきたらしい。

 ところが巡り合わせというのは不思議なもので、スギを偶然見かけた与右衛門は一目でスギを気に入った。そしてわざわざこの旅籠にやって来て、スギを指名したのだった。

 なぜスギなのか。その訳が笑わせる。

 スギが死んだ女房に似ているというのだ。旅籠の朋輩に訊いても、特に吉野に似たところはないと言う。吉野は醜女だったらしい。そんな女と似ていると言われ腹を立てていたが、与右衛門はそれなりの田畑を持っていると聞いて心が変わった。

 後妻に収まれば、この先、なんの憂いもなく暮らしていける。

 襖を開けると、与右衛門は煙管を持つ手を止めて顔を上げた。スギを見ると嬉しいのか恥ずかしいのかわからない顔をした。

 死んだ女房の話をしていいものか。スギは頭の中で忙しく損得を勘定した。その結果、吉野の話はしないことにした。

「おまえさん、羽生村の人なんだって?」

 スギはちょっと砕けた調子で言葉をかけ、その言葉のようにしどけなく与右衛門の隣に横座りになった。

 徳利を持ち上げて酌をする。

 与右衛門はすでにかなり飲んでいたようで酒のにおいがした。

「ああ」とも、「おお」ともつかない返事をして与右衛門は盃をあおった。

「あの村に歩き巫女だった人がいるそうだね」

 酔ってもなお口の重い与右衛門に、なんとか喋らせようと大して興味もない話をする。

「あれは歩き巫女じゃねえよ。村ではまじなばばって呼んでる。山からやって来て、鬼怒川の河原に小屋を建てて住み着いたんだ」

「そうなのかい。だけど占いをやるんだろう?」

「ああ、占いもやる。ほかにもいろいろやるんだ。俺の村には医者がいないからな。ちょっとした怪我や病は呪い婆に頼むんだ。それから虫封じや失せ物探しや……それから……まあ、八卦見だな」

「へえ、なんでもやるんだね。今度、あたしも見てもらおうかね」

 与右衛門は初めて顔をこちらに向けて、スギをまともに見た。

「なにを見てもらうんだ」

 なんということはなしに言ったことなので、スギは返答に困って口ごもった。

「そうだねえ……」と与右衛門をちらりと見て、「いい人に巡り会えるかどうか、なんて訊きたいねえ」

 しな垂れかかると与右衛門が、居心地悪そうに身をよじるが、まんざらでもなさそうな顔をしている。

 その夜はついに与右衛門が打ち解けることはなかったが、二人の体の相性が悪くないことだけはわかった。

 これならそれほどかからずに与右衛門を自分のものにできるだろう。

 スギは朝寝のとこの中で、行く手に待っている明るい暮らしに思いを馳せた。

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