第11話 任務の横取りも日常の一つ

「あのバカなゴミたちをボコボコにしてきなさい。15ギル払うわ。」


「シールさん、それはちょっと…いくらなんでも同業者相手にやるのは…」

「20ギル。」

「いえ、報酬の問題ではなく、同業者としての面子がですね…」

「25ギル。」

「シールさん、私がどのようにしてこの業界に足を踏み入れたか、あなたはよくご存じでしょう。私の実力はあいつらを…」

「36ギル、加えてあいつらが取り合ってた依頼を奪って。」

「契約成立です。」


ミルは腰帯の内側に隠していた極細の糸を、指先でそっと引き抜く。

触れた瞬間、繊維の微かな摩擦が指に伝わる。


万が一に備える。ミルの座右の銘。


ミルは常にいざという時に命繋ぐ道具を身につけている。

この細い糸も、そんな保険の一つ。


警信使ジュンシンによる身体検査をくぐり抜けるほど巧妙に隠されていたのだから、それがどれほど精巧なものかは言うまでもない。


床に散乱したダーツやナイフに目を向けると、ミルは素早くそれらを拾い、糸に括りつけた。


――即興の罠にしては、なかなかの出来だものだ。


使い慣れた道具ほどの精度は望めないが、要は使い方次第だ。

そう考えながら、ミルは人混みの中を流れるように動き、ごく自然に、飛び交うナイフやダーツを壁や床の隙間へと配置していく。


彼の手際はあまりにも自然で、騒がしく乱闘する勇者アマチュアたちは誰一人気づくことは出来なかった。


場の熱気は増し、拳が飛び交い、遂には魔術の光までちらつき始める。


――さて、そろそろ頃合いか。


ミルは、慎重に選んだ立ち位置に立ち止まり、指先で糸の感触を確かめる。


「よっと。」


指を軽く引く。


次の瞬間、糸がピンと張り詰め、固定されていたダーツとナイフがトリガーとなり、罠が一斉に発動した。


乱闘に夢中になっていた六人の勇者アマチュアたちが、突然ピクリとも動けなくなった。


驚く間もなく、彼らの四肢は糸に絡め取られた。

体勢を崩し、地面へと崩れ落ちる。


勇者アマチュアたちは目を見開き、必死にもがいた。

細い糸は抵抗すればするほど絡みつき、底なしの沼に沈むかのよう、彼らを縛り上げていった。


ミルは静かに彼らを見つめ、一切の感情を見せることなく、指先で糸を軽く引いた。


カラン――


束縛された勇者アマチュアたちの手から、武器が無力に地面へと落ち、乾いた音を立てた。


彼らが完全に身動きを封じられたことを確認すると、ミルはようやく一歩前に出た。


「くそっ!」

「なんだこれは!?」

「誰の仕業だ!!」


怒りと困惑の声が飛び交うが、ミルはそれを完全に無視し、何気なく彼らの手から半ば破れかけた依頼書を抜き取った。


ミルはその依頼内容に視線を落とす。

《梅の森に自生する虫食い草を10個採取する。報酬:7ギル》

……うわぁ、これ、ひどいな。

薬草の採取自体は難しい依頼ではないが、問題は梅の森だ。

あの森には凶暴な森の主が巣食っており、一歩間違えば命を落としかねない。


……つまり、命の危険を冒して採取しても、報酬はたったの7ギル、と。


この業界がすでに飽和状態にあることは知っていたが、ここまで搾取されるとは思わなかった。

それだけではない。

目の前のにいる六名の勇者アマチュアたちは、わずか7ギルの報酬をめぐり、ボロボロになるまで殴り合っていた。


――この金額で怪我するくらいなら、飲食店の給仕でもやったほうがマシだ。

どれだけ給料が安くても、国家指定の最低賃金を下回ることはない。


考えてみれば、今朝自分がこなした依頼も相当おかしい。


ここ数年、遁地会と落地会の抗争は激化する一方だった。

確かに、大半の構成員は魔術資質のない一般人。だが、彼らの装備は正規騎士団のものと大差なかった。


考えてみれば、今朝自分がこなした依頼も相当おかしい。


ここ数年、遁地会と落地会の抗争は激化する一方だった。

確かに、大半の構成員は魔術資質のない一般人。だが、彼らの装備は正規騎士団のものとほぼ同じ。


最新モデルではないとはいえ、一般の勇者アマチュアにとっては十分に厄介な代物だ。

さらに、人数の問題もある。


普通なら、こういう依頼は45ギル以上が相場だろう。

だが、今回の依頼は何のトラブルもなかったとしても32ギル。


そう、これが現実だ。

協会に所属せず、一般の勇者アマチュアが日々直面する問題。

――終わりのない搾取と、際限のない労働環境。


儲かる職業?

階級の逆転?

そんなものは、一般の勇者アマチュアにとって夢のまた夢だ。


毎日の依頼争奪戦、生活費すら賄えない報酬、常に付きまとう命のリスク。

現実は、最も冷酷な方法で彼らの希望と熱意を打ち砕く。


それでも、多くの人間がこの業界に飛び込んでくる。

誰もが希望を抱いているから。

――自分は特別なので。

――運命の女神に選ばれた存在なの。

――金字塔の頂点に立てる。


少なくとも、この業界は他の職業よりも夢があると思える。

そして、簡単そうに見える。


「依頼をこなし、名声を得るだけのこと。そんなに難しいはずがない。」

ミルもかつては、そんな甘い幻想を抱いていた。

生活費が尽きて、ウェイターの仕事を始める羽目になるまでは。


あぁ、現実ってやつは……

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