第12話 出会いかな?

あぁ、現実ってやつは……

ミルはため息をつき、ぼやくように呟いた。


周囲からの物音が、彼を現実へと引き戻す。

例の六人の頭には明らかに大きなコブができ、数人は意識を失っていた。


――シールさん、本気で怒っている。

まさか公衆の面前でぶん殴るとは、初めて見た。


ふと、ミルは何かを思い出した。

靴の隠しポケットから手のひらサイズの小瓶を取り出した。

瓶の中にはぎっしりと詰まった緑色の薬草が揺れている。

一、四、十!!


「シールさん、朝の依頼、君個人の依頼、そしてこの採取依頼をまとめて精算していただけます。」

ミルは依頼書と瓶を軽く振りながら、愉快そうな声を上げた。


***


「こちらが報酬、合計で59ギールです。お疲れさまでした。」


ギルドを出る前、ミルの表情は少し複雑だった。

それは、周囲の勇者アマチュアたちが「横取り野郎!」と罵る声が耳に入ったからではない。


もしこれが二年前のミルであれば、落ち込んで謝罪すらしていたかもしれない。

しかし、二年間の経験がミルにこの業界の現実を叩き込んでいた。


「実力がないなら、黙って隅っこで泣いていろ。」

ミュウの言葉は冷徹に聞こえるが、今のミルはそれに共感していた。


協会所属の勇者がどんな待遇を受けているかは知らないが、ここでは「誰かに恨まれること」など日常茶飯事だ。


ミルが複雑な表情を浮かべていたのは——利益の計算していたからだ。

朝の依頼で手にした額は32ギル。しかし、報酬が半減した上、事前調査費やミュウさんとの折半を考慮すると、手元に残るのはせいぜい1ギル程度。

薬草採取の依頼も、頑張って1ギールくらいだろう。

だが、シールさんからの依頼は別だ。

糸のコストを差し引いても、30ギル以上の利益が確保できる。


番組の専門家の言葉は本当だった。

『ギルド経由の依頼よりも、個人依頼の方が稼ぎやすい。』


勇者アマチュアが企業へ転職する割合が増えているのも、これなら納得だ。


ミルは、最初にその話を聞いた時、心が動かなかったと言えば嘘になる。

もしそのデータが本当に信頼できるものであれば。


企業に転職すれば、もしかしたら今よりマシな未来があるのかもしれない。

だが……駄目だ。今存在する私企業のどこを探しても、自由に各国を行き来できる権限を持つ場所はない。

この進捗で、協会に加入できる日はいつになるのか…


ふっと息を吐き、彼は遠くの街並みをぼんやりと見つめた。

ふと、ミュウとの会話が脳裏に浮かんだ。


『現実とは本当に残酷ですね。誰もが夢や目標を語りますが、結局のところ、それは、銀行口座のゼロが足りないからです。いわゆる――金欠ですね。』

私の目標が、ただ金で買えるものであったならば、どれほど楽だっただろうか。

少なくとも、そのほうが現実的で、目指す道も明確になる。


少し沈んだ気持ちのまま、外へと足を踏み出す。


「本日午前、アトラスグループが政府主導のオーサー森林開発プロジェクトの入札を獲得——」

「精霊祭の開催が迫り、三年に一度のこの国際的な祭典に——」


午後の陽光が鋭く降り注ぎ、目がくらむ。

暑さに負けず、街は活気に満ちていた。

上空の投影スクリーンには、様々なニュースが映し出されている。


誰もが自分の目標に向かって進んでいる。それに比べて、私は……

歩調が知らず識らずのうちに遅くなる。


その時、不意に、小さくも警戒心を帯びた嗚く声が耳を打った。


彼は一瞬足を止め、微かに眉をひそめた。

嗚く声の方向へと自然に目を向ける。

目の前の路地は、入り口付近こそ陽光が届いていたものの、奥へ進むにつれて闇が深くなっていた。

慎重に、静かに歩を進める。


そこにいたのは、一匹の子猫だった。

耳を伏せ、全身の毛を逆立て、警戒心を露わにしながら何かに向かって低く唸っている。


ミルはその視線をたどり、一人の男の存在に気付いた。

路地の奥に佇む白い面影――

彼はしゃがみ込み、手には小さな餌の袋を持っていた。

慎重に、しかし焦ることなく、ゆっくりと子猫へと手を伸ばしている。


路地裏の暗闇の中、彼の白い髪だけが光を受け、周囲の景色と対比を成している。

その場の喧騒とは隔絶されたかのような静けさが、彼の佇まいに不思議な雰囲気を添えていく。


ミルは影に身を潜め、無意識に息をひそめる。


——あの子猫、完全に警戒している。

誰が見ても、あれは「触れると危険」な状態だった。

しかし、男はそれを気にする素振りも見せない。


猫の威嚇も敵意も、まるで彼には届いていないかのようだった。


男は動きを緩めることなく、ただ静かに、一歩ずつ距離を詰めていく。

ミルは思わず息を飲んだ。


その手があと一メートルほどの距離に近づいたとき、

子猫は警戒しながらも、男の手元にある餌をくんくんと嗅ぎ始めた。

まるで試すように、舌を伸ばしてほんの少しだけ舐める。


そして、ゆっくりと食べ始めた。


その瞬間を逃さず、男はそっと子猫の頭を撫でる。

驚くほど自然な動作だった。


猫も、もう最初のように威嚇することなく、ただ黙々と餌を食べ続けている。

その様子を見て、ミルはようやく胸を撫で下ろした。


と、そのとき——


男が顔を上げ、路地の陰に身を隠すミルを真っ直ぐ見つめた。


「出てこい。」


低く、冷静でありながらも威圧感のある声音だった。


陽の光がちょうど彼の肩を照らし、その顔を浮かび上がらせる。

ミルは思わず息を呑む。

思わず視線がその人物の顔を追い、その精緻で端正な顔立ちに気づく。まるで人間離れした冷たい静寂をたたえていた。

だが、最もミルの目を奪われたのは、男の瞳だった。

炎のように鮮やかに燃える紅の瞳。

路地裏の暗闇に浮かぶ、不滅の灯火のようだ。


人間が生まれ、死ぬまでに決して忘れられないものは、果たしてどれほどあるのか?


だが、ミルは確信した。


この男の姿、この紅い瞳、白雪のごとき髪は、

生涯消えることのない鮮烈な刻印となって、彼の記憶に刻まれるのだろう——

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