DEAL—―鐚銭賭博

歓迎の辞

 祭りは準備までが楽しいという。入学式という名称に心躍らせる者はいても、儀式そのものを楽しめる聖人はまずいまい。

 パイプ椅子に座って、校長先生以下、先生と名の付く様々な職業からのありがたい訓示を受ける時間のどこに興奮があるのか。青少年たちには分からない。東雲牡丹ももちろんそうだ。


 島に到着するまでに燃やしてきた情熱も、せこい先輩の安っぽいわりに無駄に豪華なイカサマ試合で吹っ飛んだ。

 わざわざ考えるまでもないことだが、どんな場所であろうとも、目立つ人とそうでない人がいて、当然地味な方が多いのだ。あの情けない姿が未来の自分の可能性は、決して低くはない。


 あるいはあの反則すれすれの勝負が、この島の三年間で最大の思い出になることもあり得る。そう思えば、授業料以上のものを得たと感謝してもいいかもしれない。

「いや、やっぱりムカつく」

 ぼやいている内に、何だかの市長だか校長だかの話が終わった。長話に緊張も緩んできたのか、生徒たちのささやき声が床から反射してくる。

 そのささやきより小さいはずの靴音が、かつり、と高く響いた。


 ざわめきが倍になり、すぐに静まる。声が高まったのはふざけてのことではない。


 一人の女子生徒が登壇した。黒檀の髪に、青みを帯びた黒曜の目。黒と赤の制服は、体の一部かのように揺れる。

 夢島学園において一番の有名人をあげろと聞かれれば、生徒教師問わず意見は一致する。学園の伝統。最も多くのポイントを稼いだ、最上位のキャストこそが、その地位に就く。すなわち学園最強のギャンブラー。


『生徒会長より、歓迎の言葉があります』


 生徒会長、澄川断巳すみかわたつみ。入学以来無敗にして、一年で会長の座に昇りつめた唯一のキャスト。歴代最強の呼び声高い、学園の王である。

 

 姿勢がいい。というのが第一印象だった。身長こそ平均的だが、不自然なほどぶれない歩様は、氷像が動き出したかのようにも見える。

 その隙の無さ。観察するこちらが責められるような、刺々しい雰囲気。

 普通人ならいくら美人でも近づこうとは思わないだろう。薔薇が好きでも、薔薇の生け垣に飛び込もうとする馬鹿はいない。普通なら。

 だが、ここは学校である以上に鉄火場である。生徒たちは危険な棘にこそ憧れて、危険を冒して手を伸ばすのだ。

 マイクから発せられる第一声を聞き取ろうと、千人以上の耳がそばだてられる。


「卵は、完全栄養食であると言われます」


 え?とかうん?という、新入生たちの声にならない息遣いが満ちる。先ほどまで痛いほど静かだったのが、余計に間抜けな印象を強くした。牡丹も聞き間違いか?と首を傾げる。

 だが周囲の空気を意にも介さず、断巳は演説を続けた。

「多くの生き物が卵を好みます。食べやすく、栄養価が高く、清潔で、何より」


「無抵抗で弱いから」

 

 講堂内の気温が数度下がったかに思えた。いや、下がったのは新入生たちの体温か。

 自分たちのことを言っている。無知でか弱い自分たちのことを。一時間もない入学式の間に、すでに警戒心を薄れさせている身にとっては、首元を刃で撫でられたようなものだった。

 会長は眼下の下級生らを、ろくに認識さえしていない。ただ立ち並ぶ累卵の群れを、冷酷に批評している。


「毎年の平均からいって、この中の一割ほどは、進級前に運良くポイント不足で退学になるでしょう。そして残念ながら、欠格者のうち二割程度が、さらに悲惨な目に遭います。これは本校がカジノでもあるという特殊な事情ゆえに、致し方ないことです」

 特殊な学校というのは、概して退学率が高い。常人では耐えきれない環境だからこそ、その特殊性に価値が生まれる。

 適応できない人間は去る他ない。それこそがカジノという非日常の場を特異たらしめるのだから。

 ぬるま湯のような入学式に、新鮮な恐怖が供給される。ここでは新入りは、最も狙いやすい餌なのだと。

 講堂の空気が重苦しいものに変わったことを認め、断巳は歓迎の言葉を結ぶ。


「少なくない数が不幸になるでしょうが、ようこそ夢島学園へ。学園生活を楽しみ、島に来る客人たちを楽しませてください」


 神妙な面持ちのまま、生徒たちはそれぞれの教室へと足を運ぶ。

 夢島学園は、学びの場としても優秀である。山の上だけあって日当たりはよく、冷暖房は完備。アミューズメント施設としての快適さの追求は、生徒にも恩恵を与えていた。

 とはいえ、内装に関しては普通の学校と何ら変わるところは無い。というより、わざわざ普通の学校を模して作ってある。学園アニメの再現というテーマは、教室の細部にまで及んでいた。


「はい、おはよう」

 ぼさぼさの長髪を整えもせず、眼鏡を斜めにかけた女教師が教壇によりかかる。気だるげというにはあまりにも堕落していた。

「わたしが貴様らの担任。伏五十三ふせいそみ。担任といってもほとんど会うことはない。理由、ここがカジノだから」


 口が動くごとに、姿勢がどんどん崩れていく。先の生徒会長のあいさつと比べれば正に天と地の差。大人としての矜持のようなものは微塵もなかった。

「学業は、課題さえ提出すればよし。理由、入学試験で、自学自習で高校卒業くらいできる奴を選抜してある。お前らが心配すべきは、キャストとしての業務のみ。トラブルがあった時だけ先生かガードに頼れ。以上」

 そのまま寝入りそうな教師。ただ最後の忠告に妙な単語が出たため、牡丹は手をあげた。


「あの、先生。ガードってなんですか?」


 五十三の目が白目を向きそうなほど上目遣いになり、首がぐりりと回る。悪魔にでも憑かれたような様相だが、首を傾げたのかもしれなかった。


「知らないか。まあ新入生だ。無理もない。理由、パンフレットには書いてないから」

五十三はよっこいせ、と自分の身体を億劫そうに持ち上げ、黒板に三文字だけ書く。読めないわけではないが、見慣れない文字列だった。

守衛科ガード。そのままガードマンのことだ。カジノにはそういうのが絶対にいる。理由、金を賭ければ人間おかしくなるから。だがこの島に分かりやすい黒服ガードマンなどいない」

 牡丹は思い出す。この島には不自然なほど大人が少ない。正確には住人に大人がいない。成人以上の人間は、ほとんどが島を訪れる観光客だ。

 理由はおおよそ察せられる。

「理由、学園アニメの世界観を壊すから」

 学園アニメで大人にスポットライトが当たることはほぼ無い。カメラは生徒たちの日常や事件のみを映す。

 何もおかしくはない。大人の影は作品のジャンルを変えてしまうのだから。

「なのでディーラーの役目を演者科キャストたる貴様らが行うように、客とのトラブルその他もろもろの厄介ごとを力づくで解決するのがガードだ。外を見てみろ」


 言われるままに、牡丹を含めたクラス全員が窓辺に集まる。授業中のはずだが、校庭をはじめ、校内のあらゆる場所に人がいた。

 学生に、観光客。島内の人口に比べて客が少ないのは、キャンパスに入場するのに高い金がかかるからだ。逆に言えば、校舎にいる客は高額の権利を買ったVIPということでもある。必然、応対する生徒たちも腕に覚えがあるようだった。

 そんな彼らが接客する横で、黙って立っている体格のいい学生がいる。制服は全く同じデザインだが、手袋の色が違っていた。

 キャストの白手袋と対になる、漆黒の手袋。


「黒い手袋の生徒が見えるな?あれがガード。校舎内によくいる。理由、中は高額のギャンブルが多いから。あと特にポイントを稼ぐ高位のキャストだと、専任のガードを雇うこともある」

 言葉の通り、牡丹でも顔を知っている有名なキャストの後ろには、控えるように立つ黒手袋の姿がある。夢島学園は実力主義。小遣いも稼げない雑魚もいれば、ポイントを使って貴族同然の暮らしを満喫する富豪もいる。

 牡丹は港の近くでござを敷き、みみっちい勝負を仕掛けていた先輩を思い出す。


 冷暖房のきいた校舎でガードを引き連れるトップキャストたちと、吹きさらしの炉端で1ポイントに汲々とする底辺。雲泥の差だ。

(生徒会とは言わないけど、ああはなりたくない……!)

乙女としては当然の思考だった。


「今日はもう帰っていい。理由、授業が始まるのは3日後だから。細かいスケジュールは端末に送ってある。部活の説明会なんかは重要だからな。しっかり読んでおくように。以上」

 また崩れだした五十三は、今度こそ本当に寝てしまった。なぜこんなのが先生をやれているのか、という疑問を飲み込んで、皆思い思いに行動し始める。

 教室が騒がしくなったことで、ふと顔を上げた五十三の、寝言同然の最後の指示は、誰にも聞かれることはなかった。


「忘れていた。初日はゲームの申し込みには絶対に乗るな。理由、お前らは何も知らない雑魚で、雑魚を狩る方法は悪い連中に共有されているから。以上」



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