軽い金貨 裏

 従志郎はあっさり言ってのけた。牡丹は目を丸くして、しかし頭の中では高速で思考を巡らせる。


(やっぱりイカサマ?でも、コインに異常はなかった。それに何かを見てコインを選んだような動作も無い……。何かのマークがついていたとしても、あれじゃ判断はつかないはず……。ならどうして?)


 疑問に答えるように、従志郎は選んだコインと、測定用のコインを秤に入れた。


「実際悪くはないな。先攻を選んだのは。正しい。ゲームってのは先手必勝だ。その二つの中に軽いコインがあれば俺の負けだったわけだし。勘がいいのはいいことだ。それに従えるのはもっといい」


 天秤が揺れる。その精密さゆえに判定を下すのは遅いが、しかし審判は正確だった。


 天秤は水平を保っている。二つのコインは同じ重さだった。


「間違ってるじゃないですか!」


 やはり見分けなどつくはずが無かったのだ。先ほどの彼の台詞の通り、このコインはどんな超感覚を持つ玄人であっても、重さの違いが分からないようにできている。港の近くでくだを巻いているような男に、違いを区別できるはずもなかった。


 だが、従志郎はまだ天秤を見ている。止まった器具が、再び動き出すのを待っていた。コインの重さなど、はなからどうでもいいかのように。

「あの、先輩。もう結果は出て……」

「まあ見てな。判定にどのくらい時間をかけるのかについて、規定は無かったはずだぜ」


 そんなことを言われても、牡丹には入学式というタイムリミットがあるのだ。たかだか百円ちょっとの勝負のために、これ以上時間を無駄にはできない。

 あるいはこうやって時間稼ぎをすることで相手を諦めさせ、ポイントをかすめ取るのが彼の商売なのか。そう訝しみまでしたところで、牡丹も気が付いた。


「え?……えっえっ?えええええええ!?」

「始まったぞ」


 銀色の皿が白んでいる。朝露が降りるように。というか本当にそうだった。水が凝結している。始めは薄い膜のようだったそれは、すぐに細かい雫となった。


「このコインはエラー品だが、その重さの違いはほんのわずかだ。どんな人間だろうと差は感じ取れない。手の脂ひとつ、水の一滴で結果が変わるほどの、微細な差だ」


 先ほどまで水平を示していた天秤は、思い直したかのように傾く。計測用のコインを載せた皿が、下になった。

 すなわち、従志郎が選んだコインは軽い。そういうことになった。


「俺の勝ちだな」

「いやおかしくないですか!?」


 牡丹が突っ込むのも当然。イカサマと呼ぶのもおこがましい、ごり押しの勝利である。


 それでも従志郎は自信満々だった。

「おかしくないおかしくない。測定用のコインと比べて、秤が傾いたら勝ち。間違いないだろ?」


 先ほどのルール説明をそのまま繰り返す従志郎。確かに聞いたし、承諾もした。それでもあまりに斜め上のイカサマに、納得がついてこない。


「この、天秤?お皿っていったいどうなってるんですか?」

 そもそもいきなり露が降りる秤が意味不明だった。

 その疑問を待っていたのか、従志郎は自慢げに仕掛けを語りだす。


「よく聞いてくれた。まあ見ろ。この天秤、熱伝導率のいい銅合金製でな。ただ真ん中の支点の部分だけ非対称になっていて、別の金属で継いである。片方だけ熱の通りが良くなるようにな。後は効果が出るのを待つだけ。自然に水が凝結して、傾く」

「ひ、冷やすのはどうやって?」

「下の土台だ。ドライアイス入れてる。ほら」


 ぱかりと土台が開く。白い湯気が中から湧いてきた。

「本当は液体窒素がいいんだけどな。あれ高くってさ。おかげでいつ冷気が到達するかわかんなくてドキドキしたぜ」

 ふたを開ければ、文字通りふたを開けてしまえば、小学生にでも理解できるようなトリックだった。

 しかし誰が予想できるのか。1ポイントの勝負にこんなものを持ち出すなどと。子供の喧嘩に戦車を出撃させるようなものだ。


「こんな勝負で、こんな大げさなものを……」

 本心からくる言葉だったが、そこに負けた側の悔し紛れが無かったとは言えない。

 それを見透かすかのように歯をのぞかせ、従志郎はコインをはじく。

「そりゃあ違う。金額の問題じゃない。後輩よ、お前が今覚えている悔しさが証拠だ」

「く、悔しくなんて!」

「馬鹿にしてるわけじゃないぞ。プライドが高いのはいいことだぜ?」

 天秤とコインは流れる水のようにトランクの穴におさまる。

「プライドは強さだ。人間は誇りを傷つけられた悔しさをバネに頑張れるんだからよ」


トランクの口が閉じる。奇妙な道具は最初からなかったかのように消え去った。

「だがもし、その強い克己心を利用されたら?小さな勝負が大魚を釣る餌になることもある。俺が、じゃあもっと高いレートでやろうと提案したら、お前は断れたか?」

 言葉に詰まる。図星だった。10ポイントの勝負を提案されたなら即答しただろう。100ポイントでもやったかもしれない。


「大事なのは勝負の性質を理解することだ。どんなゲームにもルールがあり、ルールには必ず裏がある。どうだ、勉強になっただろう」

「本当にね。あんたもいつの間にか教師役が得意になったじゃない」

 突然の第三者の声。牡丹と従志郎がそちらを向くと、深紅の髪が目に飛び込んできた。


「んげ」

「えっ!?」 

 両者の反応は正反対だった。苦虫が舌の上に迫ってきたような表情の従志郎と、瞳を輝かせる牡丹。

香倉朱由かぐらしゅゆさん!?あ、今は先輩ですよね。香倉先輩!わたし新入生の東雲牡丹っていいます!」

「聞こえてたわよ。てゆーか、いつの間にか私も有名になったわねー。なに?サインでも欲しいの?」

「いいんですか!?」

「うおっ」


 ボクシングのインファイトじみて詰め寄る牡丹。これほど露骨に欲しがられるとは予想していなかったのか、香倉朱由はサイドテールをよけるようにのけぞる。


 夢島学園はその敷地の隅から隅までがエンターテインメントである。

 そこに勤めるキャストもまた同じ。その技術と華で来島者をもてなすのはもちろん、その勝負の様子を配信したり、大量のポイントで得た華やかな生活をSNSで拡散するなど、彼ら自体がこの島のコンテンツでもあるのだ。


 そして情報を発信するからには、その中でも優劣が生まれる。インターネットは勝者総取りの世界。一部のものが話題を独占し、さらなる知名度を稼いで、それに憧れる子供たちをさらに島へと誘う。


 香倉朱由はその一部の代表であった。


 周囲の耳目を一瞬でものにする美貌。ただ勝つのではなく、常に観客の手に汗を握らせるような、魅せる勝ち方をする頭脳と実力。

 二年生でありながら、知名度では学園で一、二を争うだろう。それほどの実力者でありながら生徒会には属さず、一匹狼を貫く姿勢も人気の要因だった。

 さらさらと牡丹の学生手帳にサインを書いてやりながら、目を輝かせる下級生と会話する立ち振る舞いは、インフルエンサーかハリウッドスターのそれだ。


「ああいう勝負は受けない方がいいわよ。あいつも言ってたけど、ここでの勝負はより金をむしり取るためのもの。カジノっていうのはそういう場所。たとえ1ポイントでも、より多く取れると確信できないならやめておきなさい」

「はい!ありがとうございます!そういえば兜金先輩って、香倉先輩とどんな関係……」

 香倉朱由を先輩と呼べることに優越感とも満足感ともつかないものをいだきながら、謎の先輩の方を見返す。

 そこにはすでに誰もいなかった。

 敷いていたござさえも残っていない。もぬけの殻である。


「えっ消えた!?」

「逃げたわね。こういうときだけはほんと素早いんだから……」

 重いため息をつきながら愚痴をこぼす。単なる知り合いというほど軽い関係ではなさそうだった。

「ま、見てのとおりただの馬鹿よ。馬鹿だから今回は無事に済んだけど、こんなことばかりじゃないからね。気をつけなさい。もうバスが来たわよ」

「あっ」


 自身の立場を思い出した牡丹は、とるものとりあえずバス停へと走る。時間はけっこうギリギリになっていた。

「ありがとうございました!えっと、またいつか!」

 後輩の挨拶を聞いて、朱由も破顔する。万人を魅了するスターにふさわしい、輝くような笑みだった。

「ええ!頑張りなさいねー!」

 百万ドルという例えが過言ではない笑顔に見送られ、少女は輝かしい青春へ向けて走り去った。

 朱由の笑みが消える。美人だけあって、真顔になれば切れるように鋭い。

「あいつに目をつけられたか。あの子も大変でしょうね」

 耐えられればいいんだけど。とつぶやいて、彼女も新たな勝負へと身を投じる。


 ここは夢の島。果てしなき黄金は、住むものに休む時を与えない。


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