四月愚者

日野球磨

ふーる


 篠原華怜しのはらかれんは四月が嫌いだ。


「四月は嫌いだ。エイプリルフールなんて特にな」


 高校二年の春。即ち進級を終えたばかりの僕に対して、彼女はおどけたようにそう言った。


「ふぅん」


 唐突な話だけれど、きっとクラス替えでちょうどいい友達がいないから僕に話しかけてきたのだろう。ちょうど席は隣だし、知らない仲じゃないから。


「なぁ、そこは『それはどうしてだい?』って訊くのが、聞き上手の作法だと思わないか宇都宮うつのみや


「……と、言われてもね。僕は別に聞き上手でもなければ、気の利くような人間でもないから。気を悪くしたなら許してほしい」


 僕の気のない返事に、篠原は少し怒った風に顔をしかめた。自分の話を真剣に聞いてくれなくて苛立ったのかもしれない。しかし、もしかしたら違うかもしれない。

 何せ彼女は、常日頃からしかめっ面でいるのだ。太陽でもあるまいし、彼女は常日頃から怒りの炎を燃やしているわけではない。ただただ、そういう顔なだけ。


 まあ、僕の返事に不満があったのことは間違いないのだろうけれど。

 ただ――


「それじゃあ試しに訊いてみようかな。なんで篠原は、四月が嫌いのかな?」


 現在時刻は10時少し前。始業式を終え、その後各クラスにてロングホームルームを行う、その間に穿たれた空白の時間。時間にして十数分ぐらいの隙間だ。


 その時間、特にすることもなくて暇を持て余しているのだろう篠原だけれど、実を言えば僕も暇を持て余している人間なので、会話をしようというのなら望むところだった。


 篠原は四月が嫌い。高校生がする議題にしては、適当なのかはわからないけれど。


「まず桜が嫌いだ」


「四月の象徴をバッサリと切ったね。木だけに」


「うまくねーぞ宇都宮。やっぱお前、話下手だな」


 話下手。

 まあ、否定することはできないだろう。ただ、彼女に言われるのは少し不服だ。果たして『四月が嫌い』という会話の切り出しも、話下手のそれだろうと声を大にして言いたかった。言ったところで、意味はなさそうだけど。


「桜は嫌いだ。あんなピンクピンクに染まって、何が楽しいんだか」


 桜が嫌い、と繰り返す篠原。それはもう、とことん嫌いらしく、吐き捨てるような口調でそう言った。


 たかだか風物詩一つに、そこまで嫌悪感を表せるだなんて、僕は彼女の四月嫌いを舐めていたようだ。


 こうなると、彼女がどこまで四月が嫌いなのかが気になってきてしまった。そもそもどうして彼女は四月が嫌いなのだろうか? 三月は? 五月は? 四月と一体何が違うのか。それを探る思惑もあって、僕はとりあえず桜から話を繋いで、桜と似通った梅の花の話を出した。


「それを言うなら梅の花も同じじゃないかい? そもそも、ピンクの花なんて珍しいもんでもなし」


 梅は三月。梅見月は旧暦だと二月だけれど、新暦なら三月。即ち四月のお隣さん。僕にとって、梅と桜は大きな違いがない。別に梅、食べないし。


「違うなぁ、宇都宮。全然違うんだよ。そりゃ確かに、ピンクってのは悪くない。私はこれでも女子だからな。ピンクってのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。毎日ピンク色のパジャマを着るぐらいには大好きだ」


 先ほどとは正反対な言葉を続ける篠原。というか、口調も表情も何から何まで粗暴な彼女がピンク好きってのは、中々にギャップがある。そうか、篠原はピンク色のパジャマを着て寝てるのか。


「だが桜は嫌いだ」


「なんで」


「桜のピンクは華やかすぎる」


 僕は首を傾げた。

 だって花は、華やかなのが仕事なのではないのか?


「いいか、宇都宮。桜は華やかだ。春先の温暖につられて花咲くだけに、新生活や新学期と結びつけられて、四月こそはピンクの季節って感じに印象付けられてる。転じて始まりとは桜吹雪に彩られてこそと思われている節がある。それが私にはおぞましい」


 華やかなのがおぞましい。僕にはまったくわからない感情だ。

 そんな僕の疑問に気づいてか、彼女は話を続けた。


「まるで示し合わせたみたいじゃないか?」


「なにに?」


「新学期に」


 考え過ぎじゃないか、と僕は思った。


「四月を節目に学業が始まる。社会に出ても節目は四月だな。年度ってやつだ。しっかし、ヨーロッパなんかの学校年度は九月だぜ? しかも会計年度は一月開始。日本はどっちも四月だってのによ。まるで、桜のために合わせてるみたいで、気味が悪いだろ」


 考え過ぎだ、と僕は確信した。

 そこまで行けば陰謀論だ。このまま話し続けていたら、日本人は桜に操られているんだとか言い出しそうだ。桜の葉には毒があって、しかもそれを食べる文化があるから、日常的に日本人は毒によって洗脳されてるとか言われたら、僕はこいつと友達で居続けるかを一度考えなければいけない。


 だからとにかく、桜から話をずらそうと僕は口を開いた。


「でも、桜だけに限らず、篠原は四月が嫌いなんだろう? じゃあ、五月はどうなの? 嫌いとか好きとか、そういうの」


「んあ? 五月は好きだよ。ゴールデンウィークあるから」


 現金な奴だ、と僕は思った。

 もしや、四月が嫌いなのは、春休み明けに学校に行かなきゃいけないからとかじゃないか? かくいう僕も、別に四月が好きというわけじゃない。だって四月は、色々と新しくなるから。周りが新しくなるから、僕も新しくならないとついて行けない。だから疲れる。だから少し、苦手だ。


 でも、僕は苦手なだけ。

 対する篠原は、嫌い。


 そこの違いは、いったい何だろう?


「五月はいいよなぁ……なんたって大型連休があるくせに過ごしやすい。夏のくそ野郎と違って太陽がちょうどいいんだよ。パーソナルスペースを守れてるやつは、私は好きだぜ。付き合ってやってもいい」


 夏やら五月やら、彼女はそれらを人のように語っている。というか、パーソナルスペースなんて言葉を、人に対して以外で聞くことになるとは思わなかった。


 まあともかく、彼女は五月が好きなようだ。くそ野郎と言ってる夏の方は、定かではないけれど。


「夏、八月とか七月は嫌いなの?」


「プール楽しいよな」


 気になったので聞いてみたら、四月のことをしゃべる時よりも、楽しそうな声が返ってきた。くそ野郎と言ってたけれど、別に夏も嫌いというわけではなさそうだ。


 じゃあなぜ四月が嫌いなのか。

 とりあえず、他についても訊いてみる。


「六月は?」


「梅雨は好きだぜ。なんたって屋内で本を読んでても文句を言われてねぇからな」


「九月は?」


「夏の暑苦しさの後は、まるでサウナから出てきたみたいなそう快感があるよな」


「じゃあ――」


 十月。ハロウィン。

 十一月。秋らしいイベントが目白押し。

 十二月。クリスマスって響きが最高だ。

 一月。正月が嫌いなやつが居るのか?

 二月。値引きチョコの買い時だぜ。

 三月。三月と言えばひな祭りだろ。


 ――とのこと。

 本当に、彼女は四月が、四月だけが嫌いらしい。

 一体なぜに、そこまで嫌いなのか。


 ふと、僕は彼女の話の切り出しを思い出した。


『四月は嫌いだ。エイプリルフールなんて特にな』


 今のところ桜が大っ嫌いと陰謀論染みた嫌悪感を示していた彼女だけれど、もしかしたら桜は巻き込まれただけの被害者なのかもしれない。


 エイプリルフールが嫌い。だから四月が嫌い。

 僕の中にそんな公算がたった。


 ハロウィンが好きだから10月が好きだなんて言うような彼女だ。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなんて理論で、四月を丸ごと嫌悪していてもおかしくない。そうなると桜が可哀そうに思えてくる。


「ねえ、もしかしてだけど」


 そこまで推理した僕は、特に気を使うこともなく直接訪ねた。


「エイプリルフールが嫌いなだけだったりする?」


「フンっ……さてな。だが、エイプリルフールが嫌いなのは間違いない。いや、大っ嫌いだ。だいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだい大っ嫌いだ」


「すごい嫌いだね」


 それはもう、怨嗟と言っていいほどの恨み節である。たかだか日付一つ、イベント一つに、よくもまあここまでの恨みを込められたものだと。


「まず響きが嫌だね。エイプリルフールなんてこじゃれた名前をしているが、ようは嘘つきってだけだろう? これじゃあ四月が嘘つきみたいな言い回しじゃないか。四月がまるっきり、嘘みたいじゃないか。もしくは馬鹿ともいうのだろうけど、それも馬鹿にされてるみたいで嫌いだ」


 気にし過ぎだろう。


「それに、嘘に対する免罪符ってのが気に入らないね。確かに、祭りやイベントの中にはそういった無礼講的や解禁のような意味合いがあるものもある。だが、エイプリルフールに関しちゃ気味が悪いったらありゃしない。なにせ発祥がまるっきりわかっちゃいないんだ。イングランドにフランスにインドから、通説ばっかりで確証がねぇ。だってのに、どいつもこいつも馬鹿みたいに、嘘をついていい日だって思ってる。怖いと思わないか?」


 それはどうして、と僕は訊き返した。

 彼女は答えた。


「まるで人が、嘘をつきたがってるみたいじゃないか」


 そうなのか、と僕は相槌を打った。

 そうなんだよ、と彼女は話を続けた。


「嘘をつくための免罪符にエイプリルフールが使われているみたいで、私は嫌いだ」


 改めて思うけれど、やはり彼女は気にし過ぎだ。


 なんたって人は楽しいことが好きなのだ。イベントが好きなのだ。めぐる季節には節目節目にイベントごとが待っている。けれど、そのイベントだって発祥を正確になぞっているわけじゃない。


 バレンタインデーは製菓会社の陰謀だし、クリスマスだってキリシタンの催しだ。ハロウィンも仮装する日でもなければ、節分という単語自体は一年に四回もある。


 なのに誤解が独り歩きして、最初からそうだったかのように誰しもが、名前だけのイベントを楽しんでいる。


 まあ別に、それが悪いわけではない。みんなお祭りが好きなのだ。騒げる理由が必要なのだ。じゃないと、世界は退屈でつまらない。


 エイプリルフールの騒ぎだってその一環。


 エイプリルフールは、嘘をつくための免罪符ではなく、ミーハーな人類がイベントをするための口実でしかないと、僕は思っている。


 そして付け加えるとするならば――


「篠原って、そういうイベントごと好きだよね?」


 篠原は、そんなミーハーな人類に分類されるはずだ。

 10月が好きな理由にハロウィンを上げ、12月を好きな理由にクリスマスを上げていた女である。


 更に言えば、今まで並べられた理由は、どうにも核心をついていないというか――重箱の隅をつついて見つけ出したような、後付けの理由感が否めない。


 言うならばきっかけ――重箱の隅に残った食べ残しのようなものではなく、ドンとど真ん中に鎮座するようなメインディッシュがどこにも見当たらないのだ。


 さて、それを追求しようかするまいか。

 まあ、彼女から切り出した話だ。きっと聞いてほしくて仕方がないのだろう。そう思ったその時には、僕の口は核心を追求する方へと動いていた。


「よっぽどの理由がなきゃ、そこまで嫌わないよね。いったいなにがあったのさ」


 彼女はやはり、しかめっ面で返答した。


「なんだと思う?」


 難しい質問だ。

 できることなら質問には質問で返さないでほしい。質問され返した方が困る果てるしかないのだから。


 そんな風に困った果てに彼女の顔を見ても、むすっとした顔で僕を見つめるばかり。機嫌が悪そうだ。いつもそんな顔だけど、今回ばかりは本当に機嫌が悪いのかもしれない。


 じゃあ機嫌が悪いとして、なぜ機嫌が悪いのか。

 ちょっとだけ推理をしてみよう。


 こうして答えを言わないあたり、もしや僕がその答えをまったく知らないというわけではないのだろう。そうでなければ、普通はすぐに答えを言うはずだ。まあ世の中には、そうやって人を困らせたりするのが楽しい人種もいるのだろうけれど、篠原がそうだとは思わない。


 だからたぶん、僕は答えを知っている。

 篠原がエイプリルフールを嫌いな理由。突如切り出された話だから、まったく意味が分からない話だけれど、もしかしたらこれを切り出す理由が彼女にはあったのかもしれない。


 もしや機嫌が悪い理由と、この話をした理由は繋がっていたりするのではないだろうか。


 何らかのアピール。迂遠な、主張。それに気づいてもらえないから、機嫌を悪くしてしまった。意外と女の子なのだ、篠原は。さもありなん。


 気づいてもらえなくて怒るようなこと。

 はて、なんだろうか。


「……誕生日」


 そうして僕が腕を組んで考えていたら、ぽつりと彼女はつぶやいた。


「四月一日は私の誕生日だろ」


 そこではたと、僕は四月一日が彼女の誕生日であることを思い出した。

 それと同時に、彼女が話を切り出した理由にも気づく。


「ああ、誕生日を祝ってほしかったんだ」


 そう言えば、彼女は恥ずかし気に、少しだけしかめっ面を歪めた。まあ、気持ちはわからんでもないけどさ。誕生日だから祝ってほしいけど、それを自分から言い出すのは自意識過剰な気がして言い出せない。


 だとしても、だ。


「誕生日おめでとう。だけど、そんなおめでたい誕生日なのに、やっぱりエイプリルフールは嫌いなの?」


「そりゃな」


 さっき見せた四月一日に募らせた怨嗟は、とても演技のようには見えなかった。過剰な演出が含まれていたとしても、核心にある恨み節ばかりは本物だと思われる。


 それが気になって気になってしょうがない僕は、やはり無遠慮に訊くのだ。そんな疑問に彼女は答えた。


「誕生日だから、私はエイプリルフールが嫌いなのさ。365日、全ての誕生日が幸せだと思うなよ?」


「生命の誕生は須らく祝福されるべきだと、僕は思うけどね」


「私に言わせりゃ詭弁だね。これがもし一日遅れだったのならばと、何度悔やんだことか」


 一日遅れだったのならば? そこで悔やむほどの理由が、たった一日、24時間を悔やむ理由が、四月一日という誕生日にあるとは、僕には思えないのだけれど。


「四月一日生まれは、例外として学年が上になるんだよ」


 そうなのか、と僕は言った。


「たった一日は365日の差だ。四月一日生まれと四月二日生まれには一年の差がある。おかげで私は、一つ上の学年に混ざってるみたいなもんだ。ひいひい言って、みんなに置いてかれないように頑張るしかないんだよ」


 確かに、そう訊くとなるほど、彼女が自分の誕生日が嫌いな理由がなんとなくわかってしまう気がしてきた。


 スタートラインが違うのだ。四月二日と言わずとも、年度前半で生まれた人間は、彼女とは半年以上もの成長アドバンテージがある。それは年度後半も同じで、四月一日生まれの人間は、ある意味では最も不利なスタートを切っていると言っても過言じゃない。


 男子三日会わざればなんとやら、だ。篠原は女子だけれども、どちらにしても子供の成長速度とは侮れない。ひっくり返せば、一年という差異は、子供にとって大人以上に果てしない空白なのだろう。


 更に言えば、あと一日遅れて生まれていれば、そのアドバンテージ上、彼女は最も有利なスタートを切れていたはずだった。その境目。それが、四月一日と四月二日にある。


 自分じゃもはやどうしようもない、恨むしかない出生か。


「逆に言うならば」


 ただし、やっぱりそれは考えようだ。

 だから僕は、やはり無遠慮に言葉を繋いだ。


「一日遅れてしまったら、僕と篠原はこうして話していられなかった、そう考えれば、もしかしたら恨む理由は一つ減るかもしれないよ」


 少なくとも、僕は交友が広い方ではない。ましてや他学年に友人を作るような人間でもないし、よしんば友人関係を作れていたとして、今の篠原のような距離感で話せるような間柄にもならなかっただろう。


 だから結局、考えようなのだ。


「改めて言うけれど、誕生日おめでとう、篠原。僕は君が、エイプリルフールに生まれてきてくれたおかげでよかったと思ってるよ。なんたって篠原は、僕の友人なんだからね」


「友人ねぇ……」


 しかめっ面をした彼女が、殊更しかめっ面を深めながら、ため息を付くようにそう言葉を零した――と、そこで教室のドアが勢いよくあけられた。


 どうやらようやく、教師が教室に来たらしい。となれば、話はここで切り上げるしかないだろう。もちろん、彼女のエイプリルフールが嫌いな理由を訊けたから、僕はこの会話には満足したけれど。


 けれど今度は、最後に篠原の口から零れた言葉の意味が、無性に気になってきてしまった。


 ため息のように放たれたあの言葉には、いったいどんな理由が込められているのか。けれど残念、教師が来た以上は、これから新たなる学年を彩るあれやこれやが話されるわけで、すぐにそれを訊くことはできない。


 だから僕は、このホームルームが終わったら、ため息の理由を訊き出してみよう思った。


 

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