第14話 女傑、散華
筑後国山本郡の問本城。幼い誾千代は、父・戸次道雪の膝の上で、静かに耳を傾けていた。道雪は、娘に戦国の世を生き抜くための心得を説いていた。
「誾、そなたは立花家の希望だ。強く、そして賢く生きよ」
誾千代は、父の言葉を胸に刻み、成長していった。七歳にして立花城の城督を継ぎ、男顔負けの武勇と知略を発揮した。
天正九年、誾千代は立花宗茂と夫婦になった。二人は、互いを深く理解し、支え合いながら、戦国の世を生き抜いていった。
しかし、戦乱は二人に安息を与えなかった。道雪、紹運と相次いで戦死し、立花家は豊臣秀吉の家臣となった。
秀吉の死後、関ヶ原の戦いが勃発。宗茂は西軍に味方し、敗れて改易となった。誾千代は、肥後国玉名郡腹赤村に移り住み、夫の帰りを待ち続けた。
慶長七年、誾千代は病に倒れた。夫の帰りを待ちながら、彼女は静かに息を引き取った。享年三十四。
「宗茂様…」
誾千代の最期の言葉は、夫の名であった。
誾千代の死は、宗茂に深い悲しみをもたらした。しかし、彼は決して希望を失わなかった。誾千代との約束を果たすため、宗茂は再び立ち上がった。
慶長八年、宗茂は江戸へ向かい、徳川家康に仕えた。家康は、宗茂の武勇と忠義を高く評価し、彼を再び大名として取り立てた。
宗茂は、誾千代の遺志を継ぎ、立花家を再興した。二人の絆は、時を超え、永遠に語り継がれる。
慶長7年(1602年)10月17日。立花宗茂の正室、誾千代が肥後国玉名郡腹赤村にて、34年の生涯を閉じた。
「誾千代…」
宗茂は、誾千代の亡骸を抱きしめ、静かに涙を流した。
「お前がいない世界で、私はどうすれば良いのだ…」
誾千代の死は、宗茂に深い悲しみをもたらした。しかし、宗茂は、悲しみに暮れている暇はなかった。立花家を再興するという、誾千代との約束があったからだ。
慶長8年(1603年)、宗茂は江戸へと向かった。そこで、本多忠勝の世話により、由布惟信、十時連貞ら従者と共に、高田の宝祥寺で蟄居生活を送ることとなった。
蟄居生活は、宗茂にとって苦しい日々であった。しかし、宗茂は、決して希望を失わなかった。彼は、いつか再び立ち上がり、立花家を再興することを信じていた。
慶長9年(1604年)、宗茂に転機が訪れる。忠勝の推挙により、宗茂は江戸城に召し出されたのだ。
将軍・徳川家康は、宗茂の実力を高く評価していた。家康は、宗茂を幕府の御書院番頭に任命し、5,000石を与えた。
「宗茂、そなたの力が必要だ」
家康の言葉に、宗茂は深く頭を下げた。
「ありがたきお言葉。この命、徳川家のために捧げます」
慶長11年(1606年)、宗茂は陸奥棚倉に1万石を与えられ、大名として復帰した。この時、宗茂は名を俊正と改めた。
慶長15年(1610年)、宗茂は陸奥赤館・上総山辺郡に2万石を加増され、最終的に3万石の領地を得た。そして、この頃から、宗茂は再び元の名である宗茂を名乗るようになった。
宗茂は、誾千代との約束を果たすため、再び立ち上がった。彼の胸には、誾千代への深い愛と、立花家再興への強い意志が燃えていた。
キャスト案
* 立花宗茂:綾野剛
* 立花誾千代:満島ひかり
* 徳川家康:北大路欣也
* 本多忠勝:渡辺謙
* 由布惟信:阿部寛
* 十時連貞:横浜流星
見どころ
* 誾千代の死:宗茂に深い悲しみをもたらす誾千代の死。
* 宗茂の蟄居生活:苦しい日々の中で、希望を失わない宗茂の姿。
* 徳川家康との出会い:宗茂の才能を高く評価する家康。
* 立花家再興:宗茂が再び大名として復帰するまでの道のり。
* 夫婦の愛:誾千代の死後も、彼女への愛を貫く宗茂の姿。
追加情報
* この物語は、史実に基づきながらも、フィクションとして描かれています。
* 登場人物の心情や人間関係も丁寧に描かれます。
* 夫婦の愛、そして、立花家再興への強い意志が描かれます。
* 宗茂の苦悩と、そこから立ち上がる姿が感動的に描かれます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます