第2話 「鉄の一念」岩をも砕くか?

 そもそも本買収取引は総額141億ドル(約2兆2200億円)と言われる超大型投資である。これだけ大きなディールともなると、その準備たるや途方もなく大変な作業となる。


 買収契約自体は財務的並びに法律的側面が表に立つが、同時に労務的な観点、独禁法的観点等々からのチェックが重要である。

 いずれの側面への対応でも、外部専門家のサポートを受けながら社内の腕利き集団を専従させて課題解決に当たらせることになる。


 さて、その上で本稿の冒頭に紹介した日本製鉄のニュースリリースを読み返してみよう。そこにはかなりの強さをこめて主張しているポイントが存在する。


「この決定は、バイデン大統領の政治的な思惑のためになされたもの」


 一国の大統領、それも同盟国アメリカの大統領に向けるにしてはかなり強い表現を用いている。「政治的な思惑」とは不正な動機に基づく大統領権限の濫用を示唆する表現だ。


「大統領の声明と禁止命令は、国家安全保障問題に関する確かな証拠を提示しておらず、今回の決定が明らかに政治的な判断であることを示しています」


 日本製鉄が「政治的な思惑」、「政治的な判断」と主張する根拠は、バイデン大統領の禁止命令が「確かな証拠を提示していない」ことにある。


 言葉を変えれば、「どこに国家安全保障上の問題があるのか?」と叫んでいるのだ。彼らがそこまで強く主張するのには、ここに至るまでの経緯がある。


 CFIUSの懸念を解消するため、日本製鉄側は交渉過程をできるだけオープンにし、懸念解消のためのメカニズムを買収条件に組み入れる努力を尽くしてきた。


 ・本買収完了後のUSスチールの取締役の過半数は米国籍とする。

 ・そのうち3名の独立取締役はCFIUSが承認する。

 ・CEOやCFO等の重要職位は米国籍とする。

 ・USスチールが提起する通商措置に日本製鉄は一切関与しない。

 ・生産や雇用を米国外へ移転しない。

 ・ペンシルベニア州、アーカンソー州、アラバマ州、インディアナ州、テキサス州にあるUSスチールの拠点の生産能力をCFIUSの承認なく10年間削減しない。

 ・国家安全保障協定(National Security Agreement)の遵守状況等をCFIUSに定期的に報告する。

 ・CFIUSは取締役会にオブザーバーを派遣する権利を有する。


 これらの問題解消措置を自主的に約束してきたと、ニュースリリースは述べている。

 常識的に考えて、これらは相当な譲歩措置である。取締役の選任は本来株主総会の専権事項であるところを、(安全保障を考慮して)これだけの縛りを入れるというのである。


 経営的な観点に立てば、生産能力を長期にわたって下方硬直させることは大きなリスクに他ならない。下手をすると「合理化、効率向上」の取り組みも生産能力削減の施策だと曲解されて、経営のかじ取りを邪魔されるかもしれない危険な条項に思える。

 それでもこれを約束することで、政府と労働組合からの信頼を得ようと考えたことに間違いない。


 日本製鉄に言わせれば、「これだけ譲歩し、努力を約束しているのに、具体的な問題点を指摘することもなく、一方的に中止命令を出すとは何事だ」という話だろう。


 ごもっともだ。大きく同情する。酷い結果だと思う。


 ――しかしだ。


 M&Aディールの推進という観点で顧みる時、日本製鉄側のやり方が十分だっただろうかという疑念を覚える。

 誤解を招きそうなので付言しておくが、日本製鉄のやり方が「適切だったか、不適切だったか?」という疑問を呈しているわけではない。適切だったと思う。


 しかし、ディールを成功させるという「合目的的視点」で見た時に、もっとやれることがなかったのだろうかと思うのだ。

 それは何かと言うと、「ロビイング」ということになる。


 政府、大統領、CFIUSに対して「対話ができる/発言力がある」人物を擁して、「こんな感じでどうでしょう?」、「どこが問題なの?」、「こうしたらいいですか?」、「これではだめですか?」と相手の反応を引き出し、外堀を埋めていく活動が足りなかったのじゃなかろうか。


 日本を代表するグローバル企業はもちろん立派な会社ばかりだが、こういう部分はほとんど能力がない。機能として持っていないのだ。

 仕方がない面もある。なぜなら欧米社会の「彼ら」は「彼らだけの世界」を構築しているからだ。


「上級国民」という言葉がネットで飛び交うことがあるが、「彼らだけの世界」はおそらくもっと強固な壁に覆われている。「上流階級(High Society)」という言葉がその実態に近いだろう。


「明日は○○大臣とランチの約束がある」とか、「王室行事に招待された」とか、その「クラブ」のメンバーでないと立ち入れない領域がある。欧米とはそういう社会であり、そうやって歴史を動かしてきたのだ。


 アジアの一企業がいかに有力であろうと、そんなことはカウントされない。「クラブのメンバーかどうか」が重要であり、必要な条件なのだ。


 したがって日本製鉄がすべきことは「クラブのメンバー」を雇うことだった。少なくともそういう人物に応援してもらうことだ。

 こればかりはどれほど優秀なコンサルティング会社でも実行不可能なのだ。


 そこができていなかったのじゃないかなあと、ここまでの結果を見て筆者は考える次第である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る