10.始まりの予感
その日の夜、ルーカスが約二週間ぶりに帰宅した。
「北部に行ってきた」
ルーカスはそう言うと、椅子に身体をもたれかけて、押し黙った。
今日の彼は様子がおかしい、と部屋に入った瞬間にアイリスは感じていた。
いつものようにアイリスに色んなことを訊いてこない。長期の出張だったのだから、当然だろうと思いながら、アイリスは運んできた温かい飲み物をカップに注いだ。
「戦うのは疲れる……特に、後方にいて指示を出すだけでは……見えない敵と戦っているようだ」
アイリスが注ぐカップの湯気を見ながら、独白のように、ため息とともにルーカスが話し始めた。
「後方にいるくらいなら、前線で戦う方がいい」
アイリスは意外な言葉に驚いた。
「自分の指示一つで、多くのことが決まるのだ。人の運命さえも。時々その重みと、しかし、その重みを全く感じさせない安全な作戦室が、俺にはきつい」
ルーカスの本音であった。
そんな疲弊している様子のルーカスを、アイリスは無言で見つめた。
この人の言っていることがどこまで本音かはアイリスにはまだ分からなかった。
常に銃を携行しているはずであったし、自分がいつこの人に危害を加えられるか分からない。
しかし、一方で、この男の真っ直ぐに自分を見つめる瞳が、彼の『ポリシアについて知りたい』という言葉を真実だと思わせるだけの説得力があるように思い始めていた。
それが、ほんとうにアンデが傍若無人にポリシアを支配するだけではないために……動こうとしてくれているのなら。
彼に本当のことを、自分の故国についてを、伝えるべきであろうか。
アイリスは迷い始めていた。
ここにいて自分ができることは、遠く離れてしまったポリシアのために、ここから自分ができること――。それはアンデを内部から少しずつ浸食していくことだろうか――。
アイリスは小さく首を振った。
受け取ったカップから暖かい紅茶を飲もうとしていたルーカスは、そのアイリスの姿を見ていなかった。
――しかし、この男は馬鹿ではない。確かに将来を見据えて動いている。
あの日見たアンデの兵士たちは、恐怖でしかなかった。ただ自分たちを攻撃し、襲ってくる敵でしかなかったのだ。
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