花織さんにやっててほしい職業その一。

 チリリン、とドアベルの音が店内に響く。


 その音で振り向いたこの店の主が、私を見つけ微笑んだ。


 「やっほ、一途。今日はどうしたの?」

 「ちょっと気分転換に。予約してないけど、大丈夫?」

 「うん、大丈夫。一途の席はいつでも空けてるからね」


 こちらへどうぞ、お嬢様。と軽口で席へと案内される。

 椅子に座ってしまえば、慣れた手つきでタオルやカトレアをまかれ、あっという間にあとはされるがままだ。


 触るね、と一言おいてから黒いエプロンから取り出したコームで髪をすかれ、壊れ物を触るような手つきで髪の毛の状態をチェックされる。


 「今日もお任せでいいの?」

 「うん、お任せでお願いします」


 いつも花織にすべてお任せにしているのは、花織の思うように切って貰えば、花織が好きな私になれるんじゃないかと思うから。

 当然、こんなこと本人には口が裂けても言えないけれど。


 しょきん、しょきん。と聞こえのいい音が響く。いつも微笑んだ顔の花織が、この瞬間にだけ見せる特別な顔。

 言ってしまえば、至近距離でくらう花織のマジの顔、には何度見たって慣れそうにないし、爆発しそうなほどに跳ね上がる心臓の音が花織にいつばれてしまうのかと、いつもひやひやしている。


 目が合ってしまった。

 すると花織はにこっと笑ってからまた真剣な顔に戻る。

 もう花織の顔を見れそうになかった。


 髪を切り終わった後、シャンプー。

 本来なら鏡でこのぐらいでいいですかー? なんて確認をするんだろうけど、何もかもすべて花織にお任せしている私は、最後になってから髪型を知ることになる。


 「かゆいところはないですか~?」

 「あ、ダイジョブデス……」


 こういうとき、なんて返していいかわからなくなっていつもこの返事をする。すると花織も、一途は何時もおんなじこと言うね、といってくすりと笑うのだ。


 シャワーの音と温かさ。シャンプーの良い香りに、だんだんと意識が遠のいてった。




 「はいできた。ほら、これでかわいい」


 すべての工程がつつがなく終わり、花織が持つ鏡でようやく私の新しい姿を知る。


 前髪は眉の下で切りそろえて。ロングの髪は毛先を内側にカーブさせて。


 「ほかの髪形もいろいろ迷ったんだけどね。でも、うん。やっぱりこれが一番かわいい一途だよ」


 花織が自信たっぷりに言う。たしかに、私、かわいい。多分。いや絶対今までで一番可愛い。


 「ありがとう、花織。じゃあ、お代を」

 「ううん、いいよ、一途からお金は取れない」

 「でも、悪いよ」


 食い下がる私に、花織はうーんと考え込む。


 「あ、そうだ一途。この後予定は?」

 「うーん、ないよ」


 しいて言えば今日ここに来ることが一番の予定だった。

 花織はopenの手作り看板をひっくり返してclauseにしてしまう。


 「じゃあ、僕とデートしよう。うん、それがいい! バイク……はダメか、車出すよ」

 「ちょ、ええ? この後もお店あるんでしょ? いいの?」

 「こんなかわいい子一人にしてほっとく方が大問題だね! ちょっと待っててね、着替えてくる!」


 そういってバタバタと店の奥へ引っ込む花織。ぐおっという悲鳴と、「ごめんお兄ちゃん! 出かけてくるね!」という叫び声が聞こえた。

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