第36話 最後の真実
雛乃はそこまで話すと、ようやく僕たちのほうを見た。どこかすっきりしたような、何かを観念したような、そんな表情だ。
「摩耶ちゃん、今まで黙っていてごめんね。あなたの腎臓は私のじゃない。別の人からもらったものなんだよ。私のこと許せない?」
雛乃は自嘲気味に笑う。
「雛乃ちゃん、私知らなかった……。ずっとあなたにもらった腎臓だと思ってた」
「そうだよ。私は嘘をついていたんだ。だから会いたくなかったの。摩耶ちゃんが何度も何度も私に会いたいって連絡するから、私は精神的に病んだふりをして、他の誰も寄せ付けないようにして半年ぐらい暮らしてた。そしたら連絡がぷっつりなくなって、私せいせいしたの。あーよかった、これで生まれ直せるって。
もちろん気分はどん底だったけどね。そこからは罪の意識を消すために前向きに生きてきた。あなたのことは忘れてね。それなのに……」
雛乃は僕を睨みつける。
「せっかく閉じたパンドラの箱を、お兄ちゃんは無意識に開けてしまった。私はお兄ちゃんが摩耶ちゃんと接触するのを怖れたの。そしてそれは現実のものになってしまった。摩耶ちゃんに会わないように言ったけど、二人はだんだんと仲良くなった」
僕は反論する言葉がなかった。僕の行動の全てが雛乃にとっては苦痛だったなんて知らなかったのだ。あの日誰かからの手紙を受け取って摩耶の家を訪れなければ、彼女と出会うこともなかった。雛乃の言う通り、僕はひとつひとつパンドラの箱を開けていったのだ。
「私は移植された腎臓が雛乃ちゃんのものでなくても、構わないんだよ」
摩耶は乱れた雛乃の髪をゆっくりと撫で、穏やかな口調でそう言った。
「私が一番嬉しかったのは、雛乃ちゃんが私の友だちでいてくれたこと。そして移植のときもずっと傍にいてくれたこと。それがどんなに心強かったかわかる? 草も生えない私の心の砂漠に、花を咲かせてくれたのは、雛乃ちゃんなんだよ」
だが、そんな摩耶の言葉にも雛乃の心はまだささくれ立ったままだ。
「雛乃は摩耶に会いたくなかったのか?」
ためらいがちに雛乃が首を縦に振る。抗いたい心と本心とで葛藤しているようだ。僕は、本当に摩耶に会いたくなかったのかと繰り返し聞く。
「会いたくなかった。もう二度と傷口を開きたくなかった」
「でもこの日記には……」
「うるさい!」
雛乃は僕から日記を奪い取り、大切そうに抱えた。
「そうだよ、会いたくないわけないじゃん、私の……大切な友だちなんだから……でも会うと苦しいの。辛いの」
「雛乃ちゃん、ごめんね。私、あなたの気持ちをわかってあげられなくて」
「私こそごめんなさい。ずいぶん寂しい思いをさせたよね」
そう言って二人は強く抱きしめ合い、声が枯れるほどに泣いた。それは長い苦しみから少しだけ解放された瞬間だった。彼女たちが再び友情を取り戻せるかどうかは、この後次第だろう。僕は自分が開けたパンドラの箱に、少しでも希望が残っていればいいと心から思った。
それから僕たちは電車で帰路に着いた。駅に着いたらすぐ解散するのかと思っていたら、なぜか雛乃は急にうきうきして、冬物の服なんかを見ている。僕は早く帰りたいとは言えず、ベンチに座り雛乃を待った。すると摩耶が、
「藤原君、いろいろ迷惑かけちゃったね、本当にごめんなさい」
「僕のほうこそ、君を信じられなくてごめん」
摩耶は美味しいコーヒーを飲んだ後のような満ち足りた微笑みを浮かべた。
「折角私が悪者になってやろうと思ったのに、すぐばれちゃった。私のことなんて嫌い抜いてくれたらよかった。でも君はどこかで私のことを信じていてくれた。私はそれが嬉しい」
そして摩耶は密かに僕に左手を乗せ、
「私はあなたのことが好き。でも藤原君は私を選ばないよね。こんなに嘘つきで面倒くさい私なんて。でも私の思いは本物。報われないと知っていても、私は藤原君を追いかける。
だから今日で関係が終わりだなんて言わないで、もうしばらく友だちでいてくれる?」
摩耶の言葉には切実さが感じ取れた。僕は彼女の目をしっかりと見て、
「もちろんこれからも摩耶とはずっと友だちだよ。君といるといろいろなことが起こって楽しいよ」
僕の言葉は凡庸だっただろうか。もっと気の利いたことを言えばよかっただろうか。そう思ったけど、摩耶は今までにない楽し気な表情を浮かべ、僕に体を摺り寄せてきた。
「ありがとう藤原君。それを聞いて安心した」
雛乃はまだ店員と一緒に服を選んでいる。これは長期戦覚悟だ。摩耶も雛乃の買い物にうんざりしてきたのか話題を変え、僕のかばんについているバッジのことを聞いてきた。突然振られた話題に僕はあたふたし視線を右に左に逸らす。摩耶の前では、聖良の話は最重要タブーなのだ。しかし摩耶は臆せず、
「神社にいた女の子?」
と聞いてきた。摩耶はしばらく何かを思案し、僕が声をかけても反応がない。そして僕の顔を見て、
「ねえ、藤原君に手紙でうちの住所を教えたのって結局誰だったの」
と言った。
「それはわからない。でもかなり達筆な人だったよ」
「その手紙まだ持ってる?」
僕たちが出会うきっかけになった「手紙」。すっかり忘れていたけど、確かにあの手紙を出したのは誰だったのだろう。僕はにわかに気になってきた。
「ちょっとした検証をしてみない? まあ、確信があるわけじゃないけど」
不思議がる僕に摩耶は「まだ秘密」と人差し指を唇のあたりで立てた。そして、今からその謎を解きに行かないかと僕に言った。でも摩耶の体調が心配になった僕は、彼女を気遣い、すぐOKとは言えなかった。そんな僕の気持ちを汲み取ったのか、摩耶は「私は大丈夫だから」と、か弱い腕に力こぶを作って元気さをアピールした。
僕は摩耶の気持ちに従うことにした。でも彼女はそんなに強い女の子じゃないし、あんまり無理はさせられない。
「わかった。でも疲れたときは僕に言って。家までおんぶで送っていくから」
「本当に? それは心強いわ。そうなったらよろしくね。じゃ、みんなで一緒に行こう。それとね……そのバッジなんだけど、GPS機能がついてるみたい。私それと同じバッジ型のGPSを何かで見たことがある」
聖良にもらったバッジがきらりと光る。KOSHIBAミュージックセンターを訪れたときにつけてもらった、大切なバッジ。僕はこれをつけていると聖良といつも一緒にいるような気がしていた。
「藤原君はいつも監視されていたのかもね」
にわかには信じがたかった。僕は聖良を信じたいしこれからも一緒にいたいと思っている。
でも僕たちにはまだやり残したことがあるみたいだ。すべての真相を知るために、石動神社に行かなければ。
手紙は引き出しの中に入っていた。この手紙がなければ僕は摩耶と会うこともなかった。そう思うと感慨深い。僕は自分で人生を切り開いているようで、全然そんなことはなくマリオネットのように動かされていただけかもしれない。でもそんな僕でも大切なものを守るために行動できることをこの数か月で知った。だからこの先どんな辛い結末になろうとも、後ろには退かない。僕は手紙を丁寧に鞄の中にしまい、摩耶が待つ石動神社へと向かった。
「それじゃ、社務所に入って」
久しぶりの石動神社は人もなく静かで、職員が落ち葉を掃くほうきの音だけが規則正しく聞こえていた。摩耶は職員さんに向かって、何かを持ってきてくれるように頼んでいる。
これですと職員さんが持ってきたのは、慰霊祭のときの芳名録だった。ぱらぱらとめくるページの中に、僕は見たことのある筆跡を見つける。それは毛筆で書かれた小柴聖良の文字。名前の前に書かれた住所は、県名、市名とも手紙の文字と似通っていた。
「この文字、どう思う? 私は九十九%同じ文字だと思う。たぶんこの手紙を書いたのは、小柴聖良さん」
芳名録と手紙の文字が一致しても、僕は残りの一%に賭けたかった。でも聖良が手紙の送り主だったとしたら、なぜ彼女がこんなことをしたのだろう。
「聖良は、石動さんを憎んでいると言っていた」
「私は憎まれる覚えがないんだけどね……何か私を陥れるための策略だったのかもね」
策略という言葉がひっかかる。聖良はそういった計略を巡らすタイプには見えない。僕が知る限り、まじめで純粋な女の子だ。もしこの手紙が聖良から送られてきたものであっても、悪意などはないと思う。僕はまだ彼女を信じたい。
「藤原君はその子のことが好きなんだね。あなたが好きな人を疑ったりしてごめんなさい。でもこれはきちんとしておいたほうがいいと思うの。手紙の件と、GPSの件。もしそれで彼女が何も関係なかったら、私の勇み足ってことで謝る」
摩耶の言葉がどこまで正しいのかわからない。だけど僕も聖良に確かめなければいけないとスマホでメッセージを送る。するとすぐに、今近くにいるから会いたいと返事が来た。僕がメッセージを送ろうとしたら、「神社の近くのM廃材置き場で待っています」と聖良が絵文字付きで送ってきた。
「廃材置き場? 変な場所ね……。ぐずぐずしている暇はない。行きましょ……」
そう言ったところで、摩耶は突然頭を抱えしゃがみこんでしまった。雛乃が慌てて彼女の体を支える。しまった、こんなところで体調不良が出てしまった。
「少し調子が悪いみたい。藤原君、先に行っててくれないかな。私たちは後で追いかけるから」
「お兄ちゃん、気を付けてね」
摩耶の体調が気にかかったけど、僕は行かなければならない。後ろ髪を引かれる思いで、雛乃に摩耶を託し僕は廃材置き場へと向かう。
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