第37話 闇のなかの希望
日は沈み、丸い月と街灯が辺りを照らしている。廃材置き場は人通りの少ない路地の一角にあり、周囲には昔ながらの鉄工所や小さな工場などが立ち並んでいた。廃材置き場内にはドラム缶や配管資材などが無造作に置かれていて、僕は足元に注意しながら敷地内へと進んだ。
聖良のお嬢様イメージとはあまりにもかけ離れすぎていて、なぜ彼女がこんなところに僕を呼び出したのだろうと不思議に思った。
しばらくして、聖良がやってきた。薄いコートを羽織った聖良は、僕を見つけると軽く手を振り、いつもと変わらない優しい笑みを向ける。僕は少し身構えていたけど、普段と変わらない聖良の様子を見て緊張が解けた気がした。
「浩介君、こんばんは。今日は急に呼び出したりしてどうしたの」
丸いパイプに僕たちは腰掛けた。聖良の距離が近く、彼女の唇までこぶし一つ分しかない。僕は彼女のペースに呑み込まれないように必死で理性を保ちながら、聖良に聞きたいことがあると言った。
「聞きたいこと? クリスマスの予定ならあいてるよ」
いつも通りのふんわりとした受け答え。こういうところが彼女の魅力なんだと今さらながら思いつつも、僕は真剣な顔で聖良を見つめ、大切な話があると言った。笑っていた聖良だったが、ふっと僕から視線を逸らして「どんなこと? 」と聞く。
「この手紙なんだけど、聖良が僕に送ったの?」
僕が摩耶に会うことになった例の手紙を聖良に見せる。でも彼女はとぼけているのか本当なのか、そんな手紙は知らないと言う。できれば僕は聖良を問い詰めるようなことをしたくない。だけど心を鬼にして、彼女に神社から借りてきた芳名録を見せた。すると一気に聖良の表情が変わる。それはドラマで見た、動かぬ証拠を突きつけられた真犯人がする表情に似ていた。
聖良は指で顎の辺りを撫で、視線を斜め下に落とした。そして将棋の駒を動かすみたいに次に自分が何を言うべきかを考えているようだった。
季節外れの焼き芋屋が大音量を流しながら通り過ぎていく。一瞬の喧騒に聖良の心の糸が切れたのか、パイプから立ち上がった彼女は、雲に隠れた月を見てこう言った。
「よく私が書いたってわかったね。名探偵浩介君、おめでとう。バレないと思ったんだけど、思わぬところでボロが出たか」
聖良はため息をつき、腰に手をあて困ったような顔をしている。僕は彼女の言葉を待つ。
「私は石動摩耶を憎んでいるの。理由は二つ。私の子ども時代を破壊したこと。それと伯父の腎臓を奪ってのうのうと生きていること。石動摩耶に移植された腎臓は、私の伯父のものなの。伯父は事故に遭って、脳死と診断された。確かに臓器移植の意思は示していたし、小柴家は本人の意向を尊重すると言った。でも私は脳死って言葉が都合よく使われているようにしか見えなかった。死人に口なしだしね。
私は移植を担当した三上医師について調べてみたの。そしたら石動摩耶と雛乃ちゃんがしていたこともわかった。あ、伯父はこの子たちのお遊びの犠牲になったんだなって思った。だから石動摩耶が不幸になるように私は行動した。ただそれだけ」
聖良はもう何もかも隠す気がないようだった。突然彼女はなめらかにすらすらと、自分が行ってきたことを饒舌に語り始めた。聖良によると、文化祭の日に冷蔵庫からケーキを奪うように指示したのも、遊園地で着ぐるみの摩耶に子どもが突進したのも聖良の指示。そして三上医師が逮捕された件も、聖良がKOSHIBAの社員を使って警察に情報を流したとのことだった。その事実のひとつひとつが僕の心を切り裂いていった。
話し終えると聖良はすっきりした顔で僕を愛おしそうに見つめた。なぜそんな風に僕を見るんだろう。僕にはまだ聞かないといけないことが残っているのに。
僕はかばんについているバッジをためらいがちに外した。お守りのように大事にしてきたバッジ。かばんから分離すると、何だか僕と聖良の絆が一瞬で断ち切られてしまったかのような気持ちになった。
「このバッジにGPS機能がついているって本当なのか。それで僕を監視していた? 」
「そうだよ。浩介君が石動摩耶と関係を深めないように動きをチェックしてたんだ。まあ県外に行っちゃったらさすがに追えないんだけどね。ていうかそれKOSHIBA製だよ」
聖良が左手を広げている。僕は彼女にバッジを返す。聖良は何の感情もないというふうに、事務的な態度でバッジを自分のポケットの中に入れた。そんな彼女に僕は悲しさが溢れてきてしまう。
そして、これだけは聞きたくなかったのだけど、「僕を利用したのか」と聞かないわけにはいかなかった。僕との恋は、ただ摩耶に復讐するためだけにあったのだろうか。聖良は僕を利用しただけだったのだろうか。
聖良の目から光が消え、真っ黒な瞳で僕を見つめる。
「利用なんてしてないよ。私は本当に浩介君が好き。子どもの頃からそれだけはずっと変わらない真実だよ」
両手を胸に当て、心からの笑顔で僕にそう言った。月光を背にした聖良はいつにもまして眩しく、そんな彼女を僕は心底愛してしまいそうになる。
「私たちきっとうまくやれると思うんだ。浩介君が私を憎からず思っていてくれるなら、これからも恋人関係を続けましょう。どうかな」
聖良は僕の答えを待っている。でも僕に答えることなんてできない。それは彼女もきっとわかっているのだ。
口ごもる僕に諦めの笑みを浮かべ、そして彼女は僕の体を両手で抱きしめた。とても温かな聖良の体。あの口づけ以来の彼女のぬくもりだった。それはとても愛おしく、離れがたいものだ。でも僕の口からふいに飛び出した言葉は、自分でも思いも寄らない「ごめん」だった。
聖良はその言葉を待っていたのかもしれない。僕を抱きしめる力がすっと弱まり、そしてこう言った。
「ねえ、どうして私がこの場所を指定したかわかる?」
聖良は廃材置き場を眺める。
「実はここは私が最初に住んでいた家があったところなの。家族三人で仲良く暮らしていたころの家。でも今じゃただの廃材置き場。私の思い出なんてこんなものなのよ。いくら聖ライラックの制服を着ていても、学校で目立つ活躍をしてても、中身はこれ。この廃材工場みたいに、私の心はスクラップでできている。そのことを浩介くんには知ってほしかったの」
そして一呼吸置いて、
「浩介くん、私はあなたが思っているよりもずっと弱くて醜い人間。子どもの頃の欠けた破片を探しているだけの女の子。そして復讐のためならどれだけ相手を苦しめたってかまわない。でもそんな自分が嫌になる。でも浩介君の優しさで私は救われるの。浄化されているのは私。だから私と一緒にいてくれない? 二人で傷を乗り越えていくことはできるよ」
その時だった。廃材置き場に突然スマホの着信音が鳴り響いた。話が中断され聖良は少し不機嫌そうな顔をしていて、僕は「ごめん」とかばんからスマホを取り出した。こんな時に誰だろうとスマホを見てみたら、摩耶からの着信だ。電話に出てみると、声の主は摩耶ではなくて雛乃だった。しかも電話の向こうで雛乃のすすり泣く声が聞こえるではないか。何か重大なことが起こったのだ、僕はそう確信し気を落ち着けて雛乃の話を聞いた。
「お兄ちゃん、摩耶ちゃんが病院に運ばれたよ。今は面会謝絶状態になってる。実は石動神社の鈴が落ちて……ねえ、早くこっちに来て。摩耶ちゃんもきっとお兄ちゃんのこと待ってる……」
それだけ言って電話は切れた。摩耶がまた倒れた――。しかも神社の鈴が落ちた? 呪いは断たれたのではなかったのか。スマホを持ったまま僕はその場に立ち尽くす。頭の中で時計がカチカチと針を進め、僕に決断を迫っている。そんな僕に聖良の言葉。
「石動摩耶のところに行くか、私と一緒にいるか、浩介君はどっちを選ぶの?」
摩耶の病院に行かなければきっと一生後悔する。彼女は僕を本当に必要としている。早く行って手を握ってあげたい。そうすればきっと心を落ち着けてくれる。でも摩耶に会いに行ったら、もう聖良とは……。僕は胸が締め付けられる思いがした。
「石動摩耶が心配? 大丈夫だよ、倒れるのは初めてじゃないっぽいし、雛乃ちゃんだってついてる。浩介君は心を惑わさないで。ねえ、今から私の家に行こう。一緒に晩ご飯食べて、クリスマスの予定も立てよう。浩介君と一緒にいれば、私は他に何もいらないんだよ」
「聖良……」
僕がそう名前を呼ぶと彼女は嬉しそうに微笑み、そして大粒の涙をひとつ零した。僕は彼女を傷つけることしかできない。どんなに優しい言葉を投げても、その言葉は刃となって僕たちを切り刻むのだ。それでも僕は答えを出さなければならなかった。
「摩耶は……今、僕を必要としている。彼女はいつも強がっているけど、本当は繊細で傷つきやすい子なんだ。いつも誰かが傍にいてやらないと寂しくて死んじゃうんだ。だから僕は彼女のところに行かないといけない。もし行かなかったら僕はきっと後悔する」
月明りが聖良を照らしている。彼女は黙って僕の言葉を聴いている。優しくて温かくて、とても悲しそうな聖良。僕は必死に言葉を続けた。
「でも僕は君が嫌いになったわけじゃない。君が僕を想ってくれていること、本当に嬉しいんだ。僕もずっと君といたい……でも今日は」
最後まで言葉を言わせず、聖良は僕にキスをした。それはとても長い長いキスだった。僕たちが唇を離したとき、あんなに明るかった月はもう見えなくなっていた。
「ありがとう、浩介君。もう無理しなくていいよ。君と過ごした時間は、私にとって最高の宝物だった。あなたのおかげで私もこれから生きていける」
「ありがとう、聖良。本当にごめん……」
胸が痛む。彼女の表情が、声が、胸に深く刻まれて離れない。それでも、僕は摩耶の元へ向かわなければならない。
「夜明けって曲覚えてるかな。文化祭のときに私が弾いた曲……あなたがくれたこの翼 夜明けの光を浴びて 未来に向かって羽ばたくから これからもずっと 見守っていて……」
そう言って聖良はカリンバを弾き始める。とても静かな、僕たちの別れの曲だった。
永遠のような数分間が終わり、いよいよ僕たちは離れなければならない。
「あ、聖良これ見てよ」
ふっと足元を見るとビオラの花が、廃材の隙間から顔を出していた。僕たちはしゃがみこんでその花をじっと見つめた。その紫色の花は寒さに震えながらも、力強く天に向かって咲いていて、小さな花だけど健気さが胸を打つ。
「この花聖良みたいだね。さっき聖良は、自分の人生をこの廃材置き場みたいだって言ったけど、君の中には美しい花が咲いている。とても柔らかくて温かくて優しくて……。だから自分のことを悪く思わないで。君は最高の女の子だよ」
聖良は泣いている。僕も泣いている。
「……ありがとう。そうだ、このカリンバをあげるね。私だと思って大切にしてほしい」
ほどなくしてやって来た迎えの車に聖良は乗り込んだ。
「浩介君、いい人生を送ってね」
そして車はエンジン音を上げ、僕の前から消えていった。走り去る車を追いかけることはもうできない。聖良がいなくなった廃材置き場に僕はひとり取り残され、しばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。胸が張り裂けそうに痛い。
冷たい風がひゅうっと吹き、僕は涙を拭い顔を上げた。鞄の中でスマホが僕を何度も呼んでいる。摩耶よ、無事でいてくれ。僕は唇を噛みしめ、喪失の痛みに耐えながら、夜の闇に駆け出していた。
殺したいほど憎んでいるいするぎさん 栗山カレン @Karintou0930
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