第34話 摩耶をさがしに①

 町へ戻る新幹線の中、過ぎゆく風景に感傷的になりながらも、僕たちは前を向いていた。

それにしても桃子が雛乃に渡した手紙は何が書かれているのだろう。

「家に帰ってからって話だったけど、今開けてもいいかな」

 雛乃は僕の言葉を待たずに、封筒をぺりぺりと剥がし中を開けた。そこには手紙と写真が入っていた。

「この写真は……摩耶ちゃんが腎臓移植した後にみんなで撮った写真だ」

 そこには五年前の雛乃や摩耶が写っていた。摩耶は顔をほころばせ体全体で笑っている。きっと手術が成功して新たな人生が始まる希望に胸を膨らませていたのだろう。しかし一方の雛乃は表情が冴えない。それどころか、ふてくされてあさっての方を見ている。こんな表情の雛乃を見ることは滅多にない。

「これ五年前の写真。先生も桃子さんも若いな~。いや、私たちもか。はは」

 何が書いてあったのか聞くと雛乃は顔を赤らめ、「絶対言わないんだから」と手紙を隠してしまった。

「摩耶ちゃんにも手紙が入ってた。渡さないと」

 ようやく摩耶の話をするタイミングが訪れた。僕は日記のことを雛乃に告げ、そして彼女も失踪していることを話した。すると雛乃は、なぜ失踪の件を言わなかったのか、そしてなぜ僕が日記を持っているのかと電車内に響く声で怒りだした。

 そして僕が遺書とも取れる文言が書かれた例のページを雛乃に見せると、信じられないといった表情をして、呆然と虚空を見つめた。


 でも私の苦しみもじきに終わる。最後に大好きなあの場所へ行く。二泊三日の大旅行だ。といってもほぼおいしいものを食べて終わってしまいそうだけど。三日目の夕方、私は美しい夕焼けとともに命を終えよう。今ならまだ楽しかった思い出だけを持っていけそうだ


「お兄ちゃん、何でこんな大切なこと言わなかったの。摩耶ちゃん死んじゃうよ」

「忘れてたわけじゃないんだ。でも三上先生の件があって、そっちに気を取られてたから……。ごめん、石動さんを探しに行かないとな」

「そうだよ、三日目の夕方って今日でしょ? どうするの」

 僕は雛乃が「大好きなあの場所」の手がかりを持っているのではないかと思い、逆に聞いてみた。すると雛乃は一瞬考え込み、過去に一度だけ摩耶とふたりで横浜中華街に行ったことがあると言った。

「おいしいものを食べるって日記にも書いてあるから、もしかしたらそこかもしれない」

 新幹線は今ちょうど熱海を通過したところだ。新横浜で降りて中華街に行けば、夕方までには十分間に合うだろう。

 摩耶探しに光が見えてきたけど、雛乃は僕の失態を許せていないようで、新幹線が新横浜に着くまでの間、ねちねちと僕をいたぶり続けた。僕は針のむしろで全身穴だらけだ。

 新横浜から中華街がある元町・中華街駅までは電車で三十分ほどかかった。僕は実は中華街に来るのは初めてなのだ。平日だというのに観光客が多くて、気を付けないと僕らが迷子になってしまいそうだった。こんな広い場所で、摩耶を見つけられるのか僕は少し不安になる。

「とりあえず腹ごしらえにラーメンでも食べるか」

 その言葉に雛乃は呆れたと言わんばかりの表情で僕を睨んだ。でも雛乃のお腹もぐぅと鳴り、食欲には逆らえないようだ。

 僕たちは歩きながら目ぼしい店を探した。すると雛乃が「ここにしよう」と一軒の店を指さす。その店は、まだ十一時半なのにカウンター席はほぼ埋まっていて、外からも繁盛しているのがわかった。のれんをくぐり店に入ると威勢のいい「いらっしゃいませ」という声が聞こえてくる。

 僕も雛乃もAセットを注文。ラーメンと餃子、それとからあげのメニューだ。十分ほどして料理が運ばれて来る。そのラーメンはさすがに横浜中華街に店を構えるだけあって、普段食べているチェーン店の味とは一線を画した。スープは澄み切っていてしかも深みがある。濃厚とは違うコクとでもいうべきか。麺は太くモチモチとした食感で、いくらでも胃袋に入りそうだった。また、チャーシューも極厚なのに柔らかく、口のなかでほろほろと融けた。僕たちは無言でラーメンに食らいつき、摩耶のことを一時忘れるほどだ。

「ここは料理の傑人の陳鱈腹のお店なんだよ」

 陳鱈腹といえば日本でも有数の中華料理人だ。店の壁には確かに陳鱈腹が腕組みをしたポスターが貼ってある。僕は知らぬ間にこんな名店に入っていたのだ。

「昔摩耶ちゃんと来た店はここだったんだよ。あの時は大変だったなあ。腎臓移植の前で、どうしてもラーメンが食べたいって言うから連れてきたんだけど、店に入ってから医者から禁止されているなんて言うんだよ。私困っちゃって、じゃあ何を食べたらいいんだろうと思ってチャーハンを勧めたら絶対ラーメンじゃなきゃ嫌と言うし。勝手にしたらなんて言ったら泣き出しそうになるしさ。本当に面倒くさい人だよ、摩耶ちゃんは」

 雛乃はまくしたてて摩耶との思い出を語った。迷惑そうな口ぶりで話してはいるが、どこか楽しそうで昔を懐かしんでいるようでもあった。話の続きが気になり、その後どうなったのか聞いてみる。

「結局チャーハンセットにしなさいって言ったの。病気で止められてるんだから無理だよね。そしたらふてくされちゃって。食事中全然話さないんだから。私が食べるラーメンを恨めしそうに見ててさ、もうあまりにもかわいそうだから小さいお椀をもらって、その中に少しだけラーメンをよそってあげたの。そしたらうってかわってすごく喜んじゃって。まったく現金だよね。でもその時の摩耶ちゃんの顔、忘れられないな。本当に美味しそうだったんだよ」

 テーブルの上にラーメンの丼を置いて雛乃は感慨深げにそう言った。今まで摩耶の話を避けていたけど、語り出すととめどなく思いが溢れてくるようだった。雛乃にとってここは摩耶との大切な思い出の店なのだ。店はそれほど新しくないし、すごくきれいでもない。でもお店に来た人ひとりひとりの思い出が染み込んで料理の味と渾然一体となっていた。僕もそんな店の雰囲気に浸った。

 その時カウンターの一番端に座っている黒い上着の女性が、顔を伏せ帽子をこそこそとかぶろうとしていた。女性はラーメンをすでに平らげていたが挙動が怪しい。さっきまで屈強な男性三人がいて彼女の姿は隠れていたが、男たちは店を出てしまった。僕も雛乃も思わずラーメンを食べる手を止めて彼女を食い入るように見た。雛乃も変だと思っているようだ。

 でも見知らぬ女性にいきなり声をかけるわけにはいかない。さてどうしようか、陳鱈腹のように腕組みをして考える。そしてひとつのアイディアが浮かんだ。彼女に聞こえるように摩耶の話(悪口)をするのだ。彼女は意外と単純なところがあり、挑発行為には弱いはずだ。自分が悪口を言われているとわかれば、必ず反応する。雛乃に耳打ちし計画を話すと首を縦に振った。

「摩耶ちゃんとラーメン食べて、赤レンガ倉庫に行ったんだよ。そしたら摩耶ちゃんがいなくなっちゃって。さんざん探し回ったんだけど見つからなくって」

 帽子の女性がぴくりと反応し、さらに帽子を深くかぶり直す。その帽子の隙間から、こっそりと僕たちの話を聞いている。

「途方に暮れてたら、館内アナウンスが流れて『迷子のお呼び出しをいたします。藤原雛乃ちゃん、おりましたら受付カウンターまで来てください』って言うの。えっ、て思っちゃった。迷子になったのは摩耶ちゃんなのに、私がいなくなったことになってる。受付に行ったら『迷子になっちゃだめだよ。心配したんだから』って。人に心配かけておいてその態度はなんだって思ったよ。しかも一人でアイス食べてるし。ほんと摩耶ちゃんてサイテー!!」

 帽子をかぶった女性はカタカタと身を震わせ、怒りを押し殺している。ほらやっぱり摩耶じゃないか。声をかけようとする僕に雛乃はストップをかけた。そしてスマホを指さし、摩耶を呼び出してみたらと僕を促す。今日人生を終わりにすると言っている彼女が、スマホをオンにしているとは考え難いけど、やってみる価値はある。

 僕が摩耶に電話をかけると、すぐに彼女のかばんから、ブルースリーの『燃えよドラゴン』のテーマ曲が流れ出した。慌てて彼女は電源を切る。すると僕の電話も切れる。間違いない、あの女性は摩耶だ。彼女を捕まえるべく僕たちが行動を開始しようとしたその時、摩耶は突然立ち上がった。そしてあっという間に摩耶は二千円を店員に渡し、脱兎のごとく店から走り去っていった。

 しまった、逃げられた。僕は舌打ちしながら出口に向かい、必死で摩耶の姿を追う。雛乃もすぐ後ろに続いている。遠くに摩耶と思しき人影が走っていくのが見える。中華街の人混みの中で、僕たちは懸命に摩耶を追い続けた。しかし彼女はもう見えない。手がかりを失い途方に暮れる僕に雛乃は、

「ラーメンの後に行ったのは、ランドマークタワーと赤レンガ倉庫。たぶん知らない場所に一人で行かないと思うんだよね。そういうとこ臆病だし。どっちかだと思う」

 僕は少しの間迷った。ランドマークタワーで何をしたのかと聞くと、

「普通に展望デッキに行ったけど、エレベーターの浮遊感があまり好きじゃないとは言ってた」

 なるほど。それならやはり赤レンガ倉庫の可能性が高い。距離もそっちのほうが近いし。

僕が「赤レンガ倉庫に行こう」と言うと雛乃は小さく頷いた。

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