第27話 捜索①

 翌朝、夢が終わって白昼夢が訪れた。摩耶の家はしんとしずまり返り、外からは能天気なキジバトの声だけが聞こえた。摩耶は一向に下りてくる気配がない。カレンダーを見て今日の日付を確認する。水曜日、平日だ。雛乃からは何の連絡もない。両親からも、優作たちからも連絡がないということは、雛乃はまだ見つかっていないのだろう。このまま見つからなければ捜索願を出すほかない。それだけは嫌だ。二度目の失踪なんて、普通あり得ないし、きっと今度は雛乃が変な目で見られる。だからその前に何としてでも見つけなければならなかった。

 無断でコップを借りて、水を飲む。体が冷静さを取り戻し、自分が何をすべきか考えた。とりあえずこの家から出て、雛乃を探しにいかなくては。そう思い、摩耶にひとこと言おうと二階に上がった。ドアの前で二度ノックをしたけど、中からは何の反応もない。女性の部屋だから失礼があったら大変だなと思いながら、おもむろにドアを開けた。

 部屋の中に入ると、彼女はいなかった。まるで初めから誰もいなかったかのように、部屋はきれいで、ベッドもきれいに整えられていた。この部屋の様子からすると、摩耶は冷静な気持ちでこの部屋を出たのだろう。ドアを閉めて部屋を出ようようとしたその時、摩耶の勉強机の上に二冊置かれた日記帳を見つけた。

 摩耶と雛乃の日記は同じ物の色違いだった。厚みがあり、複数年使用できる大きさだ。表紙にはそれぞれ「石動摩耶」「藤原雛乃」と名前が書かれている。どちらかというと、摩耶の日記の方が手垢がついて使い込んでいる印象を受け、雛乃の日記帳は比較的きれいだった。

 まず摩耶の日記を読むことにした。ずしりと重みが伝わってくる。深呼吸して、一ページ目を開ける。


二〇〇〇年四月十二日

 今日は学校に行った。給食が麻婆茄子だったから悲しくなった。子どもが嫌いな茄子を麻婆に入れて食べさせようとする大人の魂胆が透けて見える。私は少し残してしまった。

家に帰ってお父さんとテレビを見る。ビールを飲んでいるお父さんはいつにもまして陽気だ。今日はまあまあの一日だった。


二〇〇〇年四月十五日

 私には友だちが少ない。ほぼ学校に行けてなかったし、病気が治ってちゃんと学校に行けたのが六年生からなのだから、転校生みたいなものだ。転校生じゃないのに転校生面するのは嫌なのだが、どう友だちと接していいかわからない。

 今日は親子丼を食べた。親子丼という名前をつけた人は、心が痛まなかったのだろうか。親子ともども料理の具材にされる悲しみを思えば、こんな名前をつけなかっただろうに。


 何か重大なことが書かれているかと思って読み始めたら、ほぼ他愛のない小学生の日常だった。期待しすぎたのだろうか。確かに小学生が毎日心の暗闇を日記に吐露するわけはないのだ。でも雛乃に関することも全然出てこないし、日記をこのまま読み進めるか迷う。


二〇〇〇年六月二日

 今日は定期健診の日だった。私は病院に行く。私が通院しているのは、三上先生の病院じゃなくて、ずっと通院していた第一病院だ。何だか里帰りした感じがする。でも私はもう自由なのだ。できれば自由を謳歌したいが、まだそういうわけにもいかないようだ。来世があったらいいなって思うこともあるけど、それって私の意思はもうどこにもないんだな。全くの赤の他人。もし私のこの意識のまま転生できるなら嬉しいけど、そううまくはいかないみたい。だから私はこの人生をなんとか楽しく過ごせるようにするつもりだ。


 一旦摩耶の日記を閉じ、雛乃の日記を読むことにした。僕にとっては雛乃の日記のほうが怖い。普段笑顔の多い雛乃が全く別のことを考えていたらどうしたらいい。それはきっと知らなくてもいい領域のことなのだ。

 摩耶の日記よりだいぶ日付が遅く始まっている。たぶん雛乃が精神的に不安定だったころは何も書いていないのだろう。


二〇〇〇年十一月十六日

 今日お兄ちゃんがちょっと気持ち悪かった。私がハンカチを忘れたぐらいで大騒ぎして、私の教室まで慌ててやってきた。クラスメイトは「お兄さん優しそうだね」と言うけど、恥ずかしくてしょうがない。まったく自重してほしい。


 最初から僕のことが書かれていて心が萎えるけど、勇気を持って読み進める。


二〇〇〇年十二月二十一日

 あのことは私だけの秘密にしておこう。彼女は私を信じ切っている。うそをついたことは私の中で大きな苦しみだ。でもこの日記は二十歳になったら二人で読む約束なのだ。その時は全部話すしかないのだろうか。本当のことが書けないなんて、何のためにこの日記があるのかわからなくなる。ああ、ネガティブなネタはちょっとやめよう。できるだけ明るく。


二〇〇〇年十二月二十四日

 街を歩いている三上先生を見た。私はひそかに「メリークリスマス」とつぶやいた。


 三上という名前は摩耶の日記にも出てきた。摩耶の日記には「三上先生」とあるから、この人は医者なのだろう。摩耶の手術をした医者だろうか。そうすると、雛乃から腎臓を奪った人間ということになる。でも雛乃からは悪い感情が感じ取れない。とにかくこの三上という医者の名前を調べてみる必要がありそうだ。

 早く雛乃を探しに行かなくてはならないのに、日記を読んでいたらどんどんと時間が過ぎていく。全部読んでいたら日が暮れてしまいそうだ。とりあえず最近の日記を読んでから摩耶の家を出ることにした。まずは摩耶の日記から。


二〇〇〇年九月三日

 今日不思議なテレビ番組を見た。「木曜日から夜遊び」という番組で、男子高校生が「殺したいほど憎んでいる人はいするぎさん」と言っていた。その瞬間私は飲んでいたカモミールティーを吹き出してしまった。滅多にいない「石動」という名を口にしたこの男子は何なのだ。


二〇〇〇年九月十二日

 やっとの思いで、例の男子高校生の素性がわかった。藤原浩介君。まさか藤原って雛乃ちゃんのお兄さん? 私は知るべきではなかったのかもしれない。たぶん彼は本当に私を憎んでいるかなんてわからないのだろう。でも潜在意識に私が残っていて、それが出たのなら? 怖い。お兄さんはたぶん私と雛乃ちゃんの関係を知らない。


二〇〇〇年九月十七日 

 摩耶ちゃんのお兄さんが家に来た。なぜ私の家がわかったのだろう、不思議だ。彼も自分がなぜここに来たのかよくわかっていないみたいだった。浩介君はさすがに雛乃ちゃんのお兄さんだけあって、優しい雰囲気があった。お父さんに何を言われても、腹を立てたりしないんだから、なかなかのものだ。でもうちのお父さんの変わり者っぷりにだいぶやられていた印象。しばらくして彼は帰っていった。たぶんもう来ないだろうと思っていたら、彼はうちに生徒手帳を忘れていった。やれやれ、仕方ないから私が届けてあげるとするか。


 最新のページを開く。日付は昨日の夜だ。


二〇〇〇年十一月十二日


 私は完全に藤原君に嫌われてしまった。これで私は名実ともに「殺したいほど憎んでいるいするぎさん」になったのだ。全ては終わった。これでよかったのだ。雛乃ちゃんも私を避け、浩介君も私を憎む。素晴らしい結末! 私は腎臓移植をしてはいけなかったのだ。こんなことなら移植などせずに消えていればよかった。あのとき、浩介君の目に浮かんだ怒りと憎しみが、私の中で唯一の救いだった。彼の中で私は、生きる価値のない存在として完結したのだ。

 でも私の苦しみもじきに終わる。最後に大好きなあの場所へ行く。二泊三日の大旅行だ。といってもほぼおいしいものを食べて終わってしまいそうだけど。三日目の夕方、私は美しい夕焼けとともに命を終えよう。今ならまだ楽しかった思い出だけを持っていけそうだ。


 それは遺書ともとれる摩耶のメッセージだった。彼女は生きることに絶望してしまったかのようだ。昨日の僕への告白は、死を覚悟しての行動だったのかもしれない。でもきっとここに日記を残したということは、書いた日記を僕に見られるのは想定内なのだろう。

それなら探しに行かなければならない。

 でも一人ならともかく失踪者がふたりとは、僕の手に負えそうにない。気ばかり焦って考えがまとまらず途方に暮れてしまう。まさに万事休すだ。

 このまま家に帰ってジュースでも飲んでのんびり待っていたら悪夢が過ぎ去って、いつのまにか二人とも何事も無かったかのようにあっけらかんと帰ってくる可能性もある。それが一番いい方法じゃないか。でももし最悪の事態になったら悔やんでも悔やみきれない。

 ならば行動するだけだ。僕は平凡な人間だし、とりたてて優れているわけでもない。でも大切な人を守ることはできる。全てのタイムリミットは明後日の夕方。それまでに必ず二人を助けだす。まずは、雛乃を探そう。雛乃なら摩耶の居所を知っているだろう。

 摩耶の家を出る支度を始めたところで、スマホにメッセージが届く。それは優作とメグからで、「今どこにいる?」と僕を心配するものだった。もう学校が始まる時間だ。二人には「今日は雛乃を探しに行く」と返信した。すると「何か手伝えることはあるか」と優作が言う。僕は、摩耶と雛乃の両方に書いてあった「三上医師」の件を調べてくれないかと二人に頼んだ。すると「わかった」のスタンプが送られてきた。

 一階に戻り、昨日摩耶のためにコンビニで買ったおにぎりやパンなどを食べようとテーブルの上を探す。しかしどこにも見当たらない。まさか摩耶が全部持って行ってしまったのか。そんな摩耶に、思わず吹きだしてしまう。でもそれと同時に涙が出た。まったくこんなに心配させて、君は何をやってるんだ。

 摩耶と雛乃の日記をかばんに入れ、家を出た。昨日の雨はもう止んでいた。ふらふらとあてもなく探していても埒があかないし、行き当たりばったりで見つかることはない。一体どこを探したらいいのだろう。雛乃がこの数年間、何を考え生きていたのか、僕は本当にわかっていたか。雛乃が好きなこと、好きなもの、好きな場所。実はわかった気になっていただけで、全然妹に寄り添えていなかった。今、そのことを痛いほど痛感する。

 もしかすると日記に手がかりがあるかもしれないと思い、近くのマクドナルドに入って読むことにした。朝マックを食べながら雛乃の日記をめくる。雛乃の日記は摩耶と同様日常のことが中心に書かれていた。その中に、安達さんという女の子の名前が頻繁に出てくる。

 安達さんとは、以前学校で会った雛乃の友人だ。とりあえず手がかりになるなら何でもいい、彼女に会ってみよう。店を出て、一旦家に戻った。

 制服に着替え、学校へ向かう。午前の授業が終わるのを待って、一年生の教室に行く。微かな希望を持って教室を覗いたけど、やはり雛乃はいない。

「安達さん、ちょっといいかな」

「あっ、雛乃ちゃんのお兄さん。今日は雛乃はどうしたんですか。体調不良ですか」

 心配そうに聞く彼女に「そうなんだ。ちょっと風邪でね」とにこやかに答える。安達さんはそれを聞いて胸をほっとなでおろした。心から雛乃を心配してくれているようだ。最近の雛乃について聞くと、

「そうですねえ、普通でしたよ。でもすごくテンションが高い日があったかと思うと、逆にずーんと落ち込んだりして。感情の浮き沈みが激しいなとは思っていました」

 と言った。僕の前ではいつも平気そうに振舞っていたけど、実際はかなり精神的に参っていたのだろう。

「どこかへ行くとか、行きたいとか言ってなかった?」

「そうですね。無性に海が見たいとは言っていました。あと556の豚まんが食べたいとも」

 海に豚まんか。失踪しながら豚まんを食べに行くとは思えないけど、行先リストにその二つを加えた。他に何か言っていなかったか、安達さんに悪いと思いつつも聞いてみた。

「未来が見える場所に行きたいって言ってました。私にはよくわからないですけどね」

 その言葉に思わず驚く。未来が見える場所とはどこだろう。そして雛乃は一体どんな未来を夢見ていたのだろうか。 

 安達さんに礼を言って学校を出た。雛乃が行きたいと言っていた海は彼女の好きな江の島だろうか、それとも横浜だろうか。

 そんな時、優作から電話がかかってきた。何か大事な話があるようで、近くのファミリーレストランに来てほしいとのことだった。

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