第21話 呪いを解くには……

 そして十一月三日の朝を迎えた。石動神社へ行こうと靴を履いていると、

「摩耶ちゃんに会いに行くんじゃないよね」

 いつもより低い声で、不満気にため息をつく声が漏れる。これ以上雛乃を刺激しないように、足早に家を出た。

 駅に着くと摩耶が僕を待っていた。摩耶は僕の顔を見ずに早足で歩き始める。少し緊張しているようだ。

「ケーキは全部食べた?」

「藤原君が帰った日に全部食べた」

 それは食べすぎではないだろうか。聞けば絶対「甘いものは別腹だから」と言うと思う。

 食べすぎを指摘すると、顔を赤らめて「甘いものは別だから」と摩耶は言った。僕の読みは鋭く当たり、思わずにやにやしてしまう。もちろんそのことを咎められるところまで織り込み済み。美しい予定調和だ。

「お父さんの出張は終わった?」

「うん。でも今日は調子があまり良くないから来ないけどね」

「何かの病気なの?」

「そう。腎臓があまり良くなくてね」

 そんな話をしているうちに、神社の鳥居が見えてきた。石動神社は小高い丘の上にあった。白い鳥居をくぐり境内に入ると、小さな森が僕を包んだ。紅葉が始まっており、薄く色づいた木々が季節の移ろいを感じさせた。

 本殿の周りにはすでにたくさんの人が集まっていた。氏子と呼ばれる人たちや、神社に協賛している地元企業の人などが多くいた。大人たちはみな知り合いなのか、あちこちで儀礼的な挨拶を交わしている。僕と同い年ぐらいの人は見当たらない。場違いな所に来てしまったと今さらながら後悔する。

 受付に芳名録が置かれている。僕は筆ペンに慣れていなくて苦戦した。他の人たちはみな達筆で羨ましい。僕の前に名前を書いた人なんてくずし字みたいな文字だ……と知っている名前を見つけた。「KOSHIBAグループ 常務 小柴永観」「小柴聖良」と書かれている。この神社に聖良が来ている? しかし聖良は見当たらない。

「慰霊祭は十時からなんだけど、私は社務所で仕事があるから適当に時間潰しててね」

 十時まではあと四十分ある。聖良に会わないように、周囲に気を配りながら神社を散策した。ばったり彼女に会って、摩耶との関係を勘ぐられてもまずい。慰霊祭が始まっても目立たない場所にいて祭礼が終わるのを待とう。

 慰霊祭までのあいだ神社を三周ぐらいしたけど、聖良らしき人物とは出会わなかった。彼女も何か仕事があるのかもしれない。大企業の一族というのもなかなか大変なのだろう。

 そんなことを思っていたら、不意打ちが来た。

「だーれだ」

 突然両手で目を隠される。かくれんぼで急に見つかった時のような、何ともいえない恐怖心が体を突き抜けた。

「えーと、聖良さん?」

「すっごいねー、なんでわかったの?」

 聖良は僕と神社で会えたことを心底喜んでいるようだった。「運命的な再会」ぐらいに思っているかもしれない。聖良は、なぜ今日僕が神社にいるのかなどを好奇心にまかせて聞いてきた。適当にはぐらかしながらも、聖良が喜ぶような言葉をできるだけ選んで投げた。

 しかし聖良の質問攻めは止まらない。僕は土俵際に追い詰められた力士のように、敗北を覚悟した。その時聖良を呼ぶ声がして、彼女は社務所に消えていった。ほっと胸を撫でおろす。このまま摩耶と聖良が鉢合わせするとあまり良くないことは明白だった。できれば平穏無事に神社から去りたいと心から願うばかりだ。

「藤原君」

 今度は背中からの摩耶の声にびくっとする。何を怖れているのだ藤原浩介。

「慰霊祭が始まるから、社殿の中に入って」

 そう促され社殿に入ると、多くの人が開式を待っていた。できるだけ後ろの隅の席に座ろうとしたけど摩耶が「できるだけ前のほうがいいんじゃない」と言う。仕方なく前から五列目に座った。摩耶は石動家代表として一番前の列にいる。前列は企業関係者や神社にゆかりのある人たちの席になっている。ぞろぞろと入ってくる人波の中に、聖良親子がいた。彼女たちの席は勿論最前列だ。聖良は僕を目ざとく見つけ、親し気に手を振ってきた。無視するわけにもいかず、僕も軽く手を振る。

 式が始まるまでのあいだ、僕はすることがなくぼんやりと社殿を眺めていた。よく見ると奥の方にひときわ大きい鈴が懸かっている。金色に光る表面には鶴の絵が描かれ鈴を囲むように幣が張られていた。石動神社はそれほど大きくないし、もちろん有名な有名な神社でもない。そんな場所にこれほど大きい鈴があるなんて、不釣り合いと言うか意外な感じがした。

 十時になり、場内は静まり返る。神主がやって来て大きな神棚の前に座り、祈りの言葉を唱え始めた。神主が僕たちに向かって大きな御幣を数回振ると今度は、最前列の人たちが目の前に置いてある榊の枝に対して何度か礼をした。神社の作法には詳しくないけど、何だか神聖な感じのする儀式だった。

 儀式自体は三十分程度で終わり、その後お偉いさんの挨拶が長々と続いた。慰霊会の代表、企業代表、氏子代表が代わる代わる話をし、来賓紹介や人柱の歴史などが語られた。

 その後は退屈で寝てしまった。目覚めるといつの間にか参列者が席を立ち始めている。摩耶はいろいろな人に話しかけられ、その都度愛想よく受け答えをしていた。普段のクールな彼女とは違う一面だ。彼女によそいきの顔ができるとは思わなかった。

 自動販売機でサイダーを買い、一気に飲み干す。慰霊祭が終わりほっとして気が緩んでいるところを摩耶に呼び止められた。

「私たちはこれからが本番なの。一緒に来てくれるかな」

 僕たちは社務所の一番奥の部屋に入った。そこには白い服を着た神職の男性が僕達を待っていた。部屋には小さな神棚があり、その部屋が何かの儀式に使うものだとすぐ理解できた。部屋の真ん中に低い机、その上には和紙が置いてあり、小刀が添えられていた。できるだけ早く逃げたいと心のアラームが警報音を鳴らしている。逆らえない状況でなすがままにされてしまいそうで、背筋が冷たくなるのを感じた。

「ターさん、藤原君を連れてきたよ」

 ターさんと呼ばれた男は、柔らかな物腰で、一言話せば信用してしまいそうな雰囲気があった。それにしてもターさんとはどうにも威厳のない呼び名だ。

「君が藤原君か。摩耶から話は聞いてるよ。因果に導かれてよくぞここまで来てくれたね。僕たちに欠けていた最後のピースがようやく揃ったよ」

 仏教のお坊さんでもあるまいし、神職が因果の話をするのも変な感じだ。

「今日来てもらったのは他でもない。石動家と君の家は浅からぬ因縁があった。そして呪いは確実に進行していた。謎の体調不良、不慮の事故。そんなことが頻発していたんだ。でもついに二つの家の子孫が相まみえ、三百年の呪いを解く時が来たんだよ。今からその儀式を行おうと思う」

 石動家に不幸が多いとは聞いたことがないけど、本当にそういうことがあるのなら、確かに因縁は断ち切っておいたほうがいいかもしれない。でも一体何をするつもりだろう。

「大したことではない。私が祝詞を読み、君たちは聞いていれば良い。次第に心が軽くなっていく感覚が来ると思う。呪いが抜けた証拠だ」

 話に違和感を覚えたが、目の前にいるのは本物の神職っぽいし、一応信じてみることにした。もしこの儀式の後で高額商品を売りつけられたら逃げるしかない。

 ターさんは巻物を紐解き、祝詞を読み始めた。祝詞は高らかに朗々と謡い上げられ、その間僕たちは頭を下げて黙って聞いていた。しばらくしてターさんは突然不思議な舞を踊った。僕はきょとんとしてその光景を見ていたけど、摩耶は真剣そうだ。きつねにでも騙されているのだろうか。全く謎空間だ。

 舞のあと、ターさんは棚からとっくりとお猪口を取り出し僕たちの前に置き、

「さあ、これはお神酒です。一口飲んでください」

 と酒を勧めた。未成年だからという逃げは通じなさそうだ。そんなことを言えばすぐにでも切腹だ。ためらっていると、摩耶がすーっと酒を一飲みした。僕もそれに倣って酒をあおる。喉が焼けそうになったかと思うと、すぐに胃が燃えるように熱くなる。酔ったのか、ぼくは軽いめまいを覚えた。現実感がなく、頭がくらくらした。

「それでは最後に、人差し指を出してください」

 指? 詰めるのかしらん。

「藤原君、もう少しだよ」

 摩耶にそう言われても、躊躇した。彼女はいつになく気分が高揚していて、僕を明るく鼓舞する。マルチか新興宗教か、それともラブアンドピースの伝道者か。

 摩耶は僕の手を取りにっこり笑って机の上に置いた。これはもうだめかもしれない。

「今から血判をします。二度と呪われた歴史を繰り返さないために」

 血判。まるで中世だ。しかしもう覚悟を決めねば豚のエサになるしかない。摩耶は小刀で自分の人差し指を少し切った。赤い血がつるりと指からこぼれ落ちる。彼女は紙の上に強く指を押し当て、血の刻印をした。僕も後には引けなかった。もう一本の小刀で指を切り、血判した。痛いとかそういう感覚はなかったけれど、自分のしていることが非日常すぎて、恐ろしくなった。

 ターさんは血判状を大きな筒の中に入れると肩の荷が下りたように、

「これで儀式は終わります。三百年にわたる呪いもこれでようやく鎮まることでしょう。伝説によると、呪いが成就してしまったときは、この神社の大きな鈴が落ちると言われています。でもその心配もなくなりました。本当にお疲れ様でした」

 安堵して全身の力が抜ける。摩耶もどことなくすっきりした顔をしていた。この奇妙な儀式も全て終わったのだ。もう二度と誘われてもこんなことはするまい。

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