第14話 見知らぬ街で①

 本番が明後日に迫り、文化祭の準備が着々と進められていた。僕たちのクラスの模擬店は冥土喫茶。アイデアは奇抜だったが、クラス全員がそのテーマに興味を持ち、意欲的に取り組んでいる。

 男子は冥土執事として黒いジャケットに白い手袋、胸には銀の十字架をつける。ミシンの音が響く中でクラスメイトたちの笑い声が交じり、クラス委員の指示が飛び交う。

「藤原君、お願いがあるんだけど。コーヒー豆が足りなくなっちゃったんだけど、買い出しに行ってくれない? リーダーがどうしても普通のコーヒー豆じゃ嫌だって言うの。それで調べたらゲイシャコーヒーの豆は西浦町の丸豆珈琲店ってとこにしか置いてないみたいなの。今日買ってきてもらえると助かるんだけど」

 家に帰っても他にすることもないし、仕事を頼まれるのは嫌ではない。僕は「いいよ」と快く引き受けた。

 コーヒー担当の渋沢が鼻にかかった声で「よろしく」と僕に言った。彼は妙にこだわりの強い男で、結構煙たがられているところもあるけど、専門分野にかけては誰よりも強い。彼が一押しのコーヒーなら多分間違いないのだろう。

 渋沢によるとゲイシャコーヒーというのは、別に芸者とは何の関係もなく、エチオピアの地名に由来するものらしい。栽培が難しく希少種とされ、あまり注目されなかったが二十一世紀になって一躍脚光を浴びたそうだ。味については「自分で味わってみたらどうだい」と僕を試すように言って、普通のコーヒーとどう違うのか教えてくれなかった。

 西浦駅を降り、丸豆珈琲店を探す。駅周辺は公営住宅が立ち並び、その近くには学校や公園などがあった。車に気を付けながら横断歩道を渡り、「西浦サンロード」と書かれたアーチをくぐると、KOSHIBAミュージックセンターと書かれた看板が目に入ってきた。

 以前聖ライラック学園との交流会で出会った小柴聖良の両親が経営している楽器店だ。正面のト音記号とヘ音記号のマークがひときわ目につく。ぴかぴかに磨かれたガラス張りの窓から、さまざまな楽器が見える。そう言えば彼女に住所を教えてもらったけど、そのままになってしまっていた。僕はちょっと好奇心を出して店の中に入ってみる。

 店内では二、三人の客が熱心にお目当ての楽器を見ている。一階はギターやベース、トランペットなどメジャーな楽器が展示されていた。楽器に触るのなんて、中学校のギターの授業以来本当に久しぶりだ。

 二階は珍しい民族楽器が並んでいた。この前小柴が吹いていたケーナやウクレレ、それから見たことのないアフリカや北欧の楽器など世界の楽器が集まっていた。「カリンバ」と書かれた楽器を手にとってみる。

 カリンバは四角い箱状の板に十七本の金属棒が扇状につけられていて、真ん中には丸い穴が開けられている。板の表面には猫のシルエットが描かれ、デザイン性も優れていた。

テーブルに置いてある解説書を見ると、元々はアフリカの楽器だという。

 棒部分を適当に弾くと、簡単に音が出てちょっとびっくりした。他の金属棒を弾いてみる。そうすると今度は高い音が出た。僕は嬉しくなり、更に自由に音を鳴らす。オルゴールのように優しい音が、お客さんのいない店内に響く。

「いらっしゃいませ……あっ」

 一階から上がってきたのは小柴聖良だった。彼女は僕を見るなり驚いたような顔をして小走りで近寄ってきた。

「ええと、藤原君だよね。まさか本当にうちに遊びに来てくれるとは思わなかったよ」

 小柴は聖ライラックのブラウスにエプロンをつけて接客をしているようだった。長い髪が白い制服に映えて、清楚な雰囲気を醸し出している。

「ちょっとこの辺に用事があったんだ。それで道を歩いていたらKOSHIBAって書いてあるから、まさかと思って入ってみた」

「すごい偶然だね。びっくりだよ。それで、気に入った楽器があったの?」

「うん、このカリンバって結構簡単に音が出て楽しそうだなって思った」

 小柴は僕のカリンバをひょいと取り上げ、

「カリンバは、こうやって両手で軽く持って、人差し指を添えるようにして弾くんだよ。聴いててね」

 と曲を弾き始めた。彼女の指使いはなめらかで、銀の棒をゆっくりはじくと、優しい音色が辺りに響いた。それはオルゴールのようにやわらかな響きを持ち、僕と小柴の間に小さな明かりを灯すような静かな音色だった。

 小柴が弾いた曲は、小さい頃に見たアニメ映画のエンディング曲だった。不思議な街に迷い込んで、そこから出るまでのストーリー。今、初めての街でいつにない体験をしている僕にぴったりの曲だと思った。

 楽器を置き、小柴は僕の顔を見た。僕は思わず拍手する。照れたように「たいしたことないよ」と言う彼女はとても可愛い。

「藤原君も弾いてみない? 何がいいかな。そうだ、かえるのうた」

 小柴は僕の横に座りカリンバを真ん中に置いた。僕の指を手に取ると、ゆっくり銀の棒の上に置いた。

「まずC1のキーをはじいてみて。それからD2、次にE3……」

 楽器に書かれた番号を、小柴が言う通りに弾いてみた。すると拙いながらも、かえるのうたのメロディが浮かび上がってくる。その後は難しくて指がついていかなくなったけど、小柴が指を重ねてくれて、なんとか最後まで弾けた。

「どう? 面白いでしょ」

「そうだね。楽器はほとんどやったことないけど、これならできるかも」

 お愛想の言葉ではなく、本当にそう思ったのだ。派手じゃないところも、何となく僕に向いてそうな気がした。

「もしよかったら、習ってみない? うちは音楽教室もやってて、カリンバ教室もあるから是非どうかな」

「でも音楽教室に通うのはちょっと敷居が高そう。まだ始めるかわかならいけど、やるなら独学で頑張ってみるよ」

 小柴はその言葉に残念そうな顔をしたが、

「独学でやってみて、難しいところは私が教えてあげるよ」

 と提案してきた。僕は、もうちょっと考えてみると小柴に言った。

「そっか。じゃ、始めたくなったら私に言ってね。あ、ごめんね、何か用事があったんだっけ?」

 コーヒーを買いに来たことを小柴に言うと、彼女は興味を持ったようで、僕と一緒に買いに行きたいと言った。小柴は柔らかい言葉で僕の心の中にやすやすと入ってくる。ふかふかと温かみがあって、何だか気恥ずかしい気持ちになる。

「あ、これ来店記念です。かばんにつけてあげるね」

 それはKOSHIBAミュージックセンターのバッジだった。楽器を購入した人にだけもらえるものらしいけど、僕がもらってよかったのだろうか。でもかばんにつけられたバッジはなかなか様になっていて、ブランド品を身に着けたような誇らしい気分になった。

 店を出るところで長身の男性が声をかけてきた。優しそうな声で「やあ、こんにちは」と男性は言う。丸い眼鏡ごと笑っているような、穏やかな雰囲気の人だ。

「この人、私のお父さん」

「父の小柴永観です。娘がお世話になってます」

 小柴の父と知って急にかしこまってしまった。怒られるわけでもないのに、何だか恐縮してしまって、それを見た小柴は思わず吹き出してしまった。

「藤原君面白い。結婚の挨拶しに来たわけじゃないんだし、そんなにかしこまらなくても」

 そう言って小柴は僕を紹介した。小柴父は若く、僕たちより少し上ぐらいにしか見えなかった。年齢を聞くのも失礼なので、あとで彼女に聞いてみようと思った。

「お父さん、私たちちょっと出かけてくるから」

 店を出てから小柴父の年齢を聞く。するとまだ三十六歳だという。つまり二十歳の時の子どもということか。

「うちの両親、昔駆け落ちしたんだよ。高校生のときから付き合ってたんだけど、小柴グループの社長、つまり私のおじいちゃんが許してくれなかったみたいで、卒業と同時に駆け落ち。お母さんは社長令嬢だったんだけど、それから結構苦労したみたい」

 あの穏やかな風貌からは想像もできない。もしかすると昔は結構なワルだったのかもしれない。人は見かけによらないものだ。

「でも今は小柴グループに戻れたんだ?」

「うん。お母さんのお兄ちゃんが死んじゃって、それで継ぐ人がいなくなっちゃったんだ。それでお父さんが小柴に入ることを条件に許してもらえたらしいよ。それでお母さんは小柴の役員になり、お父さんはこの店をもらったの」

 結構複雑な家庭環境のようだけど、小柴は屈託なく家族ヒストリーを話している。

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