第13話 摩耶とデート②
お茶をゴミ箱に入れ、これからどうするのだろうと思っていたら、摩耶は突然「行きたいところがある」と言い出した。でも場所は言わない。僕は素直についていくことにした。
「神戸に摩耶っていう駅があるらしいの。私の名前と同じ駅。大人になったら行ってみたいわ。でも遠くに行くって難しい」
神戸までなら新幹線で行けば簡単に行けると思うけど、彼女が言っているのはそういう物理的な話ではないようだ。
「あんまり遠くへ行ったことないの?」
「うん、一番遠くへ行ったのは横浜ぐらいかな。まあ横浜も神戸も港町だけどね。その時は友だちと行ってすごく楽しかった。基本的に私は地元から離れられない。結界の外に出ると塩になっちゃうのよ」
冗談交じりに彼女はそう言った。僕が連れて行こうか、などと軽はずみなことは言わないでおく。
「みんな自由にいろいろなところに行けるけど、私はそうじゃない。いつの間にかみんな外に出て行って、私だけが残る。誰もいなくなって、四十年後とかにこの街が廃墟になったら、草ぼうぼうの線路を歩くの。どこまでも空は青くて、若かった頃の話なんかをしちゃってね。藤原君がぼろぼろで帰ってきたら、町で唯一生き残った喫茶店に行って、朝焼けを見ながらアイスカフェオレを君と飲むの。その後ふたりでピストルを撃ち合って死ぬ。どう、最高でしょう」
摩耶はうっとりしながら言った。なんで僕はぼろぼろになるんだろうという野暮な疑問は捨ておいて、彼女の想像力に圧倒された。でもそれが摩耶の実体験から出た諦念なのか、豊かな創造性なのかはわからなかった。
「ごめん、あんまりうまく答えられなくて」
「ううん、そんなことない。私の話を受け止めてくれるだけでも十分だよ。あのさあ、君は自分を凡庸だと思ってるかもしれないけど、変に小賢しくなるより数倍ましなんだよ。もし私の話しに全部うなずいて、うんうん君のことがよくわかるよ、なんて言われたら私それだけで嫌いになっちゃうかもしれない。だからあんまり自分を卑下しないでね」
不機嫌になったかと思えば妙に優しかったりと、今日の摩耶は変だ。でも今の言葉は僕の心に響いた。他人にそうやって自分を褒めてもらうなんて久しぶりな気がした。
「ねえ、あれは何?」
摩耶が指差す方向には、道の真ん中にうずくまる男性の姿があった。病気だろうか怪我だろうか、心配になりかけよろうとしたその時、雛乃が以前話していた「卵あっためおじさん」のことを思い出した。おじさんに声をかけると「卵温めてます」と言ってゆで卵をくれるが、レアな確率で追いかけられるという。
僕がおじさんについて説明すると、摩耶は僕の背中に隠れた。そして僕の背中をぐいぐい押して先を促す。これは引くに引けない状況だ。
「なんとか避けて通ろう。僕が三つ数えるから、ダッシュするんだ」
そろりとおじさんに近寄る。おじさんはうずくまったままだ。そのまま刺激しないように体を横にして逃げる準備。そして僕は摩耶の手を掴んで思い切りダッシュした。後ろを振り返ってはいけない、ただ逃げるんだ。
「はぁはぁ、もう大丈夫かな、石動さんは平気?」
「大丈夫じゃない……。何でこんなこと……あっ、見て」
風が僕たちの間を勢いよく吹き抜けた。後ろを振り返るとそこにいるはずの卵あっためおじさんが消えていた。彼はどこかへ消失してしまったのだ。背筋が凍る思いがした。秋の怪談話なんて冗談にもならない。僕たちは顔を見合わせ、思わず噴き出してしまった。恐怖を通り越して、何だかおかしな気持ちになってしまい笑わずにはいられなかったのだ。
「何なの、あれ。藤原君が呼び寄せたの?」
「そんなわけないだろ。あの人はどこにでもいるんだ。みんなの心の中にもね」
摩耶がお腹を抱えて笑っている。彼女がこんなに笑うところを初めて見た。今日はいろいろな顔が見られて本当にラッキーだ。
「私が来たかったのは、ここ」
そこは何の変哲もない公園だった。錆びた遊具が風にあおられぎこちない金属音を発している。誰かが作りかけたままの砂山がぽろぽろと崩れかかって痛々しい。何だか寂しい場所だ。
でも僕はこの場所に見覚えがあった。もう記憶の遠い彼方に沈んでいた子どもの頃の思い出が、少しずつ浮かんでくる。そうだ、僕と雛乃が遊んでいた公園だ。
「藤原君と雛乃ちゃんが遊んでいた公園てここだよね。私、公園で遊んだことってほとんどないんだ。さっきも言ったけど子供の頃体が悪くて、あまり外出できなかったの。だからみんなが当たり前に見ている景色を私は知らない。子どもの頃の思い出が希薄なのって、ものすごい人生の欠落感があるんだよ」
摩耶のいう欠落感が僕にはわからなかった。彼女の言葉の重みを感じ取りたかったけど、僕は言葉が見つからず、ただ話を聞いていた。
「言い訳になっちゃうかもしれないけど、子どものころ友達と遊んだこともなかったし、喧嘩なんかもしたことなかった。だから友だち関係ってどうしても苦手なの。距離感がわからないのよね。藤原君と仲良くなれたと思ったら、つい嬉しくてわがままで感情的な自分がでちゃった。今日私不機嫌だったけど、藤原君はこんな私を嫌いになった?」
強い風が彼女のスカートを揺らす。摩耶は僕をじっと見据え、次の言葉を待っている。
「嫌いになるわけないじゃないか。むしろ石動さんの意外な一面が見えて嬉しかったよ」
「本当? でも藤原君は私のこと殺したいほど憎んでるからなぁ」
僕は彼女の言葉を否定する。
「もし私が『いするぎさんを憎む理由』を知ってるって言ったらどうする? 知りたい?」
今度は挑戦的な目で僕を見た。摩耶の真意が読めず、心がざわめく。うまい切り返しの言葉など見つかるはずもなく、理由を知っているのかと質問返しをした。摩耶から笑みがこぼれる。僕は彼女の巣の中に迷い込む羽虫のようだった。全ては摩耶のペースで進んで行く。
「もし私が知ってたら、の話しだよ」
「僕は人を嫌わないし、殺したいなんて思わない」
「優等生的答えね。藤原君が優しい人でよかった」
日が陰り始めていた。摩耶は無言で何かを考えていたが、シーソーから立ち上がると、
「あの、お願いがあるんだけど。五分でいいから私と公園で遊んでほしい」
と言った。摩耶は小さい頃公園で遊んだことがなく、一度でいいから誰かと遊びたいと僕に懇願した。でも摩耶は昔僕たちとここで遊んだはずだ。忘れてしまったのか。
僕は時計を見ながら、「仕方ないな」と言って彼女に少しだけ付き合うことにした。
「ほら、何でもいいから砂で作ってみて」
「そんなこと言ったって難しい」
「僕は五歳で松本城を作ったけどな。天才だろ」
「残念だけど才能はそこまでだったみたいね、お気の毒」
結局砂場で摩耶は砂山を作った。それは決して出来がいいとはいえないけど、彼女は満足しているようだった。その後ブランコでは、あまりにも摩耶が高く漕ぐからひやひやした。シーソーは体重がばれるからという理由でパスし、摩耶は最後に滑り台を気持ちよさそうに駆け下りた。
「どうだった?」
摩耶の顔は紅潮し、きらきらと輝いていた。
「すごく楽しかった。まさかこの歳になって公園で遊ぶとは思わなかった。できれば鬼ごっこもしたかったけど、まあいいか。藤原君、付き合ってくれてありがとう」
摩耶は一通り遊んで満足したようだ。そして「帰りましょう」と言って、ちょうど来たバスに乗った。摩耶が隣の席に座っているだけでドキドキする。彼女の太ももが僕の足に触れるたび、体に低周波の電流を流されているような刺激があった。
「今日は色々あったけどありがとう。公園で遊べたし、ラーメンも食べられたし。君を誘ってよかったわ。文化祭楽しんでね」
そして僕は駅で彼女を見送った。摩耶のいない空間に残され、月面のクレーターのようにぽっかり穴が開いてしまっていた。また彼女に会えるだろうか。僕の中で次第に摩耶への思いが強くなっていった。
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