第15話 見知らぬ街で②
暫く道を歩き、丸豆珈琲店まで来た。まだ開店間もなく、お祝いの花が店内に見える。
あまりこういった店には入り慣れていないから躊躇した。一見さんお断りみたいな雰囲気だったら困る。小柴に背中を押されおそるおそる店に入ると、店中にコーヒーの香りが漂っていた。
「いい香りだね。私コーヒーの匂い大好き」
小柴が胸いっぱいに店の匂いを吸い込む。そんな無邪気な一面をいいなと思った。
アンティークな色調の店内には、コーヒー豆の入った瓶が所狭しと並べられ、見たことのない種類の豆が多くて僕を驚かせた。
僕と彼女はコーヒー瓶を端から探していく。瓶に入ったコーヒーにはそれぞれに説明が書いてあって、素人の僕にもそれがどんなコーヒーなのかわかるようになっていた。
店の人に「ゲイシャはありますか」と言うと店員は「はい、少々お待ちください」と言った。
「コーヒーが好きなんですか?」
と店員の女性は棚の上にあるコーヒーの袋を取り出してそう言った。
「いえ、僕はただのお使いです。うちのクラスで冥土喫茶をやるので、そのコーヒーを買いに来ました」
「ずいぶんとコーヒーに詳しい人がいるみたいね。普通なら市販の有名どころを使おうとすると思うんだけど」
穏やかな瞳で彼女はそう言った。僕が渋沢のことを話すと、嬉しそうにもう一度小さく笑った。
「そうなんだ。こだわりがあるのはいいことね。私もコーヒーが好きでこの店を始めたの。人生で何かひとつ打ち込めるものはないかと探したらそれがコーヒーだったのね。はい、ひと袋二千円だから、三袋で六千円。ねえ、あの子は君の彼女?」
小柴は世界各地のコーヒーを興味津々で眺めたり手に取ったりしていた。僕が振り向いたことに気づくと、彼女は軽く手を振った。
「かわいらしい彼女ね。あの制服、聖ライラックのよね。ずいぶんレベルの高い子をゲットしたのね、うらやましい」
店員さんがどんどんと先走って話を進めるから、僕は「彼女じゃないんです」と否定した。でも彼女は「照れなくていいのよ」と信じてくれない。
「あっちに座れる場所があるから、ちょっとお話でもしていったら?」
僕たちは奥のカフェコーナーに座り、同じレアチーズケーキとアメリカンコーヒーを注文した。コーヒーは普段飲んでいるインスタントとは違って苦味ばかりでなく、酸味もしっかりと感じられ飲みやすい。
「このケーキもおいしいよ」
小柴の唇が動くたび、鼓動が早くなるのを感じた。何だか摩耶と話すときとはまた違った緊張感がある。摩耶と話すときは、こういう話しは嫌がるだろうなとか、線引きが必要だなとかわかりやすい。でも小柴との会話は、広い海を泳いでいる感じ。そして知らないうちにセイレーンに魅了されてしまうのだ。
「小柴さんのお父さんてすっごく優しそうだよね。怒られたこととかあるの」
彼女のペースに合わせてゆっくりとケーキを口に入れる。
「ほとんどないかな。でも、私がおもちゃを丁寧に扱わないで壊しちゃったことがあったの。そしたらすっごく怒ったな。物を粗末にするんじゃありません、てね」
彼女が物を丁寧に扱わないなんて信じられない。
「今はすごく丁寧に見えるよ」
「そうかなあ。でも昔は破壊神なんてあだ名をつけられたこともあったんだよ。友だちのものをすぐ壊しちゃったりしたから」
「破壊神なんて信じられないよ。今は女神みたいに穏やかじゃないか」
と冗談めかして言うと、彼女は照れ隠しにコーヒーを少し口に含んだ。昔の小柴はどんな子だったのだろう。僕の目の前にいる彼女は、おっとりした優しい雰囲気があり、とてもそんな激しい過去を持っているようには思えなかったのだ。
「もう、私のことばっかり。そろそろ藤原君について話してもらおうかな。十秒以内に答えてね。答えられなかったら、全部藤原君のおごりってことで。じゃ、始めるよ」
小柴の質問責めが始まった。好きなものや嫌いなもの、所属していた部活、これからやってみたいことなどを事細かに質問してくる。よく動画などで見る百の質問というやつだ。
僕が答えを言うと小柴は間髪入れずに次の質問を投げてくる。でも決して「言わされている」感じはなく、彼女が僕に興味を示してくれているようで嬉しかった。
「彼女はいるの?」
「いません」
そこで一息ついた。小柴はスプーンでコーヒーをかしゃかしゃとかきまぜ、「ふうん」と呟く。小柴には彼氏がいるのか聞いてみようとしたけど、矢継ぎ早に質問が来てタイミングを逃した。
「きょうだいは?」
通算五十三個目の質問。これは秒で答えられる。
「妹がいるよ」
と素っ気なく言った。あんまり食いついたらシスコンぶりがばれてしまう。
「えっ、そうなの。藤原君て妹さんがいるんだね。なんて名前?」
「雛乃っていうんだ」
「へえ、かわいい名前だね」
と小柴は笑顔を見せながら言った。彼摩耶のときもそうだけど、みんな僕より妹に興味があるみたいだ。兄としては嬉しい反面、自分って一体何なんだろうといじけ心が密かに湧いてくる。
「うん、名前だけじゃなくて、全てがかわいいんだ。キモイって言われるかもしれないけど! でも、雛乃は結構しっかり者で、僕よりも大人びてるところがあってさ。ときどき、逆に僕が面倒見てもらってる感じなんだ。この前もスピーチで賞とったんだよ、って小柴さんが優勝だったよね」
そういえば小柴と雛乃にはそんな因縁があった。けれどあの時の小柴のスピーチは本当に素晴らしかったと思う。そのことを彼女に伝えると、嬉しそうに「ありがとう」と言った。
「私一人っ子だからきょうだいって憧れちゃう。その妹さん借りてもいいかな。レンタル料はいくら?」
小柴は冗談を交えながらそう言い、僕は思わず苦笑した。妹とのエピソードを話すうちに、いつの間にか会話は自然と流れていく。小柴との会話は自由で、風のように軽やかだった。
「ところでさ、藤原君は子供の頃のことって覚えてる?」
質問コーナーは終わったようだ。通算七十六個。僕もよく答えたものだ。気楽な気分で小柴を見ると、明らかに表情が変わっている。
「私は小さい頃に海外に住んでいたでしょう、それで戻ってきたら誰も私のことを覚えてなかった。幼馴染だと思っていた人も。すごく怖かったな。私という存在はなかったことになったんじゃないかって。ねぇ藤原君、人の記憶って、他者を担保にしているの。いくら私が自分の過去をはっきりと細部まで覚えていても、他人が忘れてしまったら意味がない。それは初めからないのと同じなんだよ」
急に小柴が真面目な顔でそう言った。レアチーズケーキの最後の一切れを食べ、残りのコーヒーを一気に飲み干す。
「もし藤原君が私と幼馴染だったら、君は私のことを覚えていてくれるかな」
「あんまり細かいことは無理かもしれないけど、遊んだこととか、そういうことは忘れないと思う」
「ウソつき……」
「えっ、今何て言ったの」
「なんでもない、なんでもない」
小柴は何事もなかったかのように伝票を取り、「お会計しなきゃ」と言った。そそくさとレジに向かう彼女を追いかけ、僕も席を立つ。
店主に笑顔で挨拶し僕たちは店を出た。
「家まで送っていくよ」
僕らは彼女の家に着くまでの間、音楽の話しで盛り上がった。小柴の民族楽器に対する造詣の深さは高校生とは思えないほど深く、難しい部分もあったけどすとんと理解できた。
彼女の家の前まで来た。さすがKOSHIBAミュージックの創業家だけあって、小柴の家は門構えから立派だった。塀は高く家の姿さえ拝めないほどだ。
「今日は楽しかったよ。カリンバの件忘れないでね。絶対楽しいから」
そう言って彼女は厚い扉の中に消えていった。
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