第8話 ハニワ展で……②
待ち合わせ場所では、摩耶が柱に凭れてスマホを操作していた。声をかけると、僕たちがここにいることが意外だとでも言いたげな表情で振り向いた。
「来てくれるとは思わなかった。たぶん帰っちゃうんじゃないかと。だからこれからどこで時間潰そうかと、スマホでエスニック風カフェを探してたところ」
だんだんと以前摩耶と会った時のイメージが蘇ってくる。いつも黒系の服を着ているからなんとなく寡黙なイメージだけど、彼女は見た目に寄らずよく喋る。
「紹介するよ、妹の雛乃。高校一年生」
「雛乃ちゃん、久しぶりだね」
きらきらと顔を輝かせ摩耶は親し気に挨拶をした。まさか二人は知り合いだったのか?
「お兄ちゃん、とりあえず歩こうよ。ここで話してもしょうがないでしょ」
すっかり空は曇天模様だ。僕たちは不忍池まで歩いた。博物館からは結構距離がある。お香の匂いにむせびつつ弁天堂に参詣し、蓮の葉池のベンチで一息つく。僕が真ん中で、両隣に雛乃と摩耶。水面がゆらゆらと波を立たせるたび、僕らの気持ちもさざ波立った。ここまで、三人での会話は微妙に成立していない。こんなとき紅葉シーズンだったら自然と会話も弾むのに、蓮の花も咲いていないし、見えるのはヒガンバナぐらいだ。
僕は率直に、二人の関係を聞く。すると雛乃は落ち着かない様子で「えーと」とか「あのー」とか視線を右へ左へ動かした。
「ほら、覚えてない? 近所に住んでた女の子。私とお兄ちゃん、いつも二人で公園で遊んでたよね。そしたら後から混ぜてほしいって来て。それでもお兄ちゃんは妹最優先主義だから、『だめだ』とか言って友だちになろうとしなかったじゃん。冷たいお兄ちゃんだなーって思ったよ」
うっすらと記憶がよみがえってくる。確かにそんな子がいたかもしれない。摩耶をちらりと見ると、こめかみにうっすらと汗をかいている。
「結局その女の子と友だちになったんだっけ」
「うん。『せーので友だちになろう』って二人で決めたんだよ。それでさ、いつものように『あそぼー』って来たから、気のない振りして、子どもながらに焦らして焦らして、『せーの、いいよーっ』って言ったんだよ。その時の摩耶ちゃんの顔、忘れられないなあ。鳩が火縄銃食らった顔してたよ」
火縄銃食らったら死んでしまうのでは?
「それから幼稚園を出るまでずっと一緒だったじゃん」
女の子の輪郭が浮かんでくるが、顔は思い出せない。そうだ、いつもスコップとバケツを持っている、白い服の女の子。
「僕が砂場で松本城を作ってたら、できのよさに嫉妬して砂の城を叩き壊した?」
「そうそう、あのときは本当にごめんなさいね。あなたの才能に嫉妬してつい破壊衝動にかられたの。惜しいことしたよね」
と妙な笑顔を僕に向けた。そしてバッグからえびせんのミニパックを取り出し、マガモのいる池へと投げた。その顔は少し寂しそうだ。
「生きてるってだいたい曇り空よね」
摩耶の視線は遠くのスワンボートに注がれている。そして突然何の脈絡もなくあれに乗りたいと言った。池は色とりどりのボートで埋め尽くされていて、優雅というよりバーゲンセールのデパートのようにごった返している。
摩耶は僕たちがOKサインを出すのを待っているようだ。でも雛乃は乗り気じゃないし、僕と摩耶が二人で乗るのも変な感じだ。それなら乗らずに帰るのもひとつの手だと思い、摩耶に「ごめんだけど……」と言おうとしたとき、雛乃が、
「グーパーで乗る人決めようか。でもみんな同じの出したら帰るってことでどう」
と後ろ向きなのか前向きなのかわからない提案をしてきた。僕たち三人は雛乃の提案に同意した。
「じゃ、いくよ。ぐとぱーだっ」
僕と摩耶がパーで雛乃がグー。つまり僕と摩耶がボートに乗ることになった。雛乃は深くため息をついて、いってらっしゃいとやる気なさげに手を振った。決まってしまったことは仕方ないが、摩耶と二人でボートなんて気まずい。今にも逃げ出したい気分だと摩耶を覗き見たら、彼女は期待で胸が膨らんでいるようで、手をわくわくさせながら僕をじっと見ていた。たぶん摩耶は相手は誰でもよくてただ乗りたいだけなんだろう。僕と乗るからといってデートみたいだとかそんなことは微塵も考えていないようだ。
ボートに足を踏み入れると船体が左右に揺れて、触れてもいない水の感覚が体に伝わってきた。あんなに乗りたいと言っていた摩耶は、緊張したような顔をして身を縮めている。
「それじゃ、出発するよ」
僕はゆっくりとペダルを漕ぎ始める。僕がペダルを回すと、ボートは鳥が餌をついばむように一瞬前のめりに先端を下げた。思わず摩耶が僕の左手を強く掴んだけど、僕は笑ってそのままペダルを漕いだ。
「沈没しないよね、このボート」
「するわけないじゃないか」
ボートはゆるやかに水面を走っていく。穏やかな水の音が耳に心地いい。長閑な秋の景色を味わいながら、僕たちはゆったりとした時間を満喫していた。と言いたいところだけど、ボートをずっと漕いでいるのは結構しんどい。摩耶のほうにもペダルがあるのに、彼女は自分でやろうとはしなかった。僕が漕ぐのを休むと、「どうしたの? 止まっちゃったけど」と無表情で促した。まったく世の中は理不尽にできているなと思っていたら、
「藤原君、ありがとう。私ボートに乗るのって初めてなの。すっごく気持ちがいいのね、これ」
僕の顔を見て今まで見たことのない柔和な表情でにっこり微笑んだ。その瞬間僕の中に彼女に対して微かな優しさと親近感が生まれた。ボートを漕ぐのは大変だけど、こうやって喜んでくれるなら僕は嬉しい。
「石動さんは雛乃と知り合いだったんだね」
「……まあね」
雛乃の話題を振ると摩耶に少しばかり暗い影が差した。あまり好ましい話題ではなかったみたいだ。
「藤原君、これってデート、なのかな」
「うーん、ボートに乗るのがデートなら、僕は今まで百回デートをしたことになっちゃうな」
「えっ、あなたはそんなにこのボートに乗ってるの? しかも女子とでしょ?」
僕の冗談を摩耶は本気にしているようだった。意外と単純なところがあるんだなと僕は彼女を微笑ましく思えた。とっつきにくいクールビューティのイメージがあるけど、そればかりではないみたいだ。僕が冗談を言ったことがわかると、彼女はあからさまに不機嫌になり足でボートを揺らし始めた。ボートはそのたび上下に揺れて不安定になる。
「ひゃあっ」
摩耶がバランスを崩して僕に寄りかかってきた。そんなに激しい揺れだとは思えなかったけど。
「もう揺れてないから離れても大丈夫だよ」
しかし摩耶は僕にしがみついたままだ。上目遣いで僕を見る摩耶。その目は少し淫靡な雰囲気だ。何だろう、この状況は。足漕ぎに集中、集中……。
「ねえ藤原君、キスしたことある?」
これはサキュバスの誘惑だ。ペダルを漕げ、藤原浩介。
「いや、ないけど」
努めて冷静に僕はそう言った。すると、
「じゃ、ここでしてみるのはどうかな」
何か変な媚薬でも飲んだかのように、摩耶が僕に迫る。
「自分を大事にしよう、石動さん」
僕はペダルを三倍早める。きっとかなりのスピードが出ているに違いない。周りから見ればスワンボートの暴走に見えるかも。
「私とキスするのイヤ?」
「何ていうか、脈絡がないっていうか。今そういうシチュエーションかな」
「キスしないと、私死んじゃうかもしれない」
何を言っているんだこの人、摩耶が変になってしまった。これは僕の貞操の危機だ。こんなところを雛乃に見られたらどうなるかわからない。
「どうしたの石動さん、変だよ」
「そうね。私変かもしれない。でも大事なことなの。だから……」
と摩耶に押し切られそうになったところで、ボートは無事に乗り場に戻ってきた。僕はせめてもの償いに、彼女の手を取ってボートから降ろしてあげた。不満そうに眉を寄せる摩耶に雛乃が「おかえり摩耶ちゃん」と言うと、彼女の表情はぱっと明るくなり、キスのことも一瞬で忘れてしまったかのようだった。
「石動さん、帰ろうか」
肩の糸くずを払い、摩耶は僕らのほうを向く。光と影の両方が、彼女を照らしている。
「藤原君、すえぜんなんとかだよ……」
摩耶が僕を見て恨めしそうに言った。
「お兄ちゃん? 変なことしてないよね?」
疑いのまなざしが僕を射貫く。雛乃にそんな目で見られたらどうしたらいい。全力で否定しても、僕の無実は晴れそうにない。こうして冤罪は作られていくのだろうか。まったく俗世はせちがらい。
「藤原君、雛乃ちゃん、今日はここでお別れ。ありがとう」
「じゃあ、またね。バイバイ摩耶ちゃん」
ぽつぽつと雨が振り始めていた。僕たちも帰らなくては。
帰り際、雛乃は僕があげた土偶キーホルダーを嬉しそうに眺め、「このセンスはないわ」とひとりごちて笑った。でも家に帰るまで、雛乃の口から摩耶の話題が出ることはなかった。
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