第32話

 タイムに手を引かれ、パン屋の前まで来た。


 刀を持ったままで銃刀法がどうとか心配していたが、誰にも声をかけられることはなかった。


 タイムがドアを押していつものベルの音が響くと、強張っていた心が落ち着くようだった。


「いらっしゃい、タイム君。あら、おかえりアルト」


「こんにちは」


「ただいま……」


 律子は椅子から立ち上がり、厨房にいる弦二郎がこちらの様子を伺っている。


「お茶、入れるわね。よかったらゆっくりしてって」


 律子がリビングへ上がろうとしたところをタイムが止めた。


 彼は後方でだまっていたアルトを前に押し出した。


「お話したいことがあるんです。おじいさんにも聞いてほしいんです」


「どうしたの? ちょっとあなたー」


 急遽店の札を”CLOSE”にすると、四人は二階にあるリビングへ上がった。


 律子がお茶を用意し、弦二郎は焼き立てパンをのせた皿をテーブルの中央に置く。


 祖父母と向かい合って座ると、アルトが口を開いた。


「じいちゃん、ばあちゃん、これ……」


 彼女はずっと手にしていた刀を二人の前におずおずと差し出した。


 律子と弦二郎は身を乗り出して見入ると、刀とアルトを交互に見た。


「これは……玲嵐じゃない。どうしてアルトが?」


「……」


 神社に行ったら突然飛んできた、とは言えない。あまりにも突拍子がなさすぎる。アルトは眉を下げ、無言でタイムを見つめた。


 彼は動揺した様子を見せることなく、口元に穏やかな笑みをたたえていた。


「父から譲ってもらったんです」


「匡時さんから?」


「学者さんだから警察に鑑定を頼まれていたのか……?」


 タイムの意味深な言葉に二人は顔を見合わせた。疑わし気な表情で。


 少年がそれ以上何も話さないことを察すると、二人は決心したように体を前に向けた。


「アルト、よく見せてくれるか」


 玲嵐を弦二郎に渡すと、彼はそっと受け取って目を細めた。律子もその隣で鞘にふれ、目元を押さえた。


「百年以上ぶりの里帰りね……。おかえりなさい」


 彼女の優しい言葉に、玲嵐がまた輝いたような気がした。やはりこの刀には特別な力が備わっているのだろう。そうでなければあんな風に飛んでこないし、意思表示するような光を放つことはないだろう。


 両親が亡くなるきっかけになり、先祖のお守りだったのに仇を取るための道具となった刀。


 正直、この刀に対してどんな感情を抱けばいいのか分からなかった。祖父母は少なからず、恨みを抱いていると思っていた。


 うつむくと膝にのせた拳にタイムの手が重なった。テーブルの下でポンポンと叩かれる。


 手から腕、顔を見ると横には着物の男がいた。まただ。タイムによく似た優しそうな男。タイムは祖父母の様子を見つめているが、男はアルトに目を細めた。


(あなたは……。タイムに姿を変えたんだね)


 なぜかそう思えた。何もかもが似ているというのもあるが、前にも彼と一緒にいた記憶がよみがえってくる。


 その瞬間、アルトの脳内に映像が流れてきた。目の前で映画を上映されているような鮮明さで。












「琵琶。これを持ってけ」


 頭に手拭いを巻き付け、キセルをくわえた男が刀を差し出した。


 職人たちの食事を運び終えた彼女は、お盆を脇に挟んでそれを受け取った。


「打刀?」


「嫁入りのお守りだ。お前に近づく悪は玲嵐が追っ払ってくれる」


 父はニヤリと口の端に笑みを浮かべた。キセルを指でつまみ、煙を吐く。


 琵琶は鞘の美しさに”わぁ……”と声を上げた。一つ一つ丁寧に彫られた乱菊が美しい。それをなぞると、打刀を胸に抱いた。


「ありがとう、父様!」


 父は琵琶の頭に手を乗せ、キセルを置いて食事を始めた。


 その周りに父の仲間である職人たちが集まり、琵琶のことを取り囲んだ。彼らは父のように手拭いを頭に巻きつけたり首にかけている。


「本当におめでとう、琵琶ちゃん!」


「里帰り以外で帰ってくんなよ!」


 囃し立てる彼らは琵琶が生まれる前からここで働いてる者もいる。琵琶の兄たちでありもう一人の父たちだ。


「言われなくても!」


 琵琶はわざと口をとがらせて頬を膨らませた。


 やがて奈良に出発する日が来て、琵琶は皆に見送られた。


 家族たちに容易に会えなくなるのは寂しいが、新しい土地での生活は楽しみだ。


「婿殿、琵琶のことを頼んだよ。なんせ俺たちの大事な娘だからな」


「もちろんです」


 彼は琵琶の嫁入り道具が入った籠を背負いながらうなずいた。


 彼は緑の着物がよく似合う。風呂敷を持っていない方の手を琵琶に差し出した。



 








 温かい手に引かれた瞬間、アルトの体全体が綿に包まれたようになった。


 あたたかくて柔らかい。ずっとここにいたい。温水プールに浸かっている時に似た感覚だ。


 目を閉じてうとうとしていたらぎゅっと抱きしめられた。


「あるとぉ……」


 汗と涙が混じり、真っ赤な顔でほほえんだ顔は懐かしい。アルトがその女の人に向かって手を伸ばそうとしたら、きゅっと握られた。


「やっと会えたね、アルト……。世界で一番可愛いなんて思ったのは初めてだ」


 のぞきこんだ低い声に顔を向けると、男の人が涙ぐんでいた。握ったアルトの手をゆっくりと上下する。


(お母さん……。お父さん……)


 十年ぶりの両親との再会だ。幻でもいい、両親の温かさをもう一度感じたい。アルトは母の胸に顔を埋め、父の手を握り返した。


 そんなアルトに母は頬ずりし、鼻水をすすった。頬に柔らかな唇を押し当てると優しく抱きしめる。


「幸せになって……。罪も穢れもない、可愛い子」


 表情と一緒に消えてしまっていたあたたかい記憶。自分は確かに愛されて生まれ育ったことを実感した。


 その時、琵琶は自分の過去世の姿であり、アルトとして生まれ変わったことを悟った。


 乱菊と呼ばれた頃の記憶も同時によみがえる。


 袴に身を包み、玲嵐を抜く。玲嵐の刀身を見つめていると別人格が生まれてくるようだった。


 刀を打つところは十何年と見てきたが、振るったことはない。それなのにいとも簡単に何十人も殺めた。夫の仇をとることだけを胸に。


 だがそれは、愛された記憶とは違い不鮮明な映像だ。傷だらけのフィルムが再生されているようだった。


 少しずつ両親の温度が薄れてゆく。アルトは残ったぬくもりを逃さまいと自分の身体をかき抱いた。目をぎゅっと閉じると涙がにじみ出る。


 人を殺めた過去がなければ家族が命を失うことはなかったし、今も幸せに生きていたはず。


(お母さん、お父さん、ソラ……。私のせいでごめんなさい)


 その時、頭と腕に手を置かれた。目元を拭う指の感覚に目を開けると、両親と幼い少女がアルトのことを取り囲んでいた。


 彼らはアルトにほほえみかけると優しく抱きしめ、ぽんぽんと背中を叩いた。少女は無邪気にアルトに笑いかけ、手を強く握った。


 その少女が誰かなんて愚問だ。アルトは頬に滑り落ちる涙も構わず、彼女の手を握り返して頭をなでた。


 少女がはにかむと、両親はアルトの頭をくしゃくしゃにかき混ぜた。この瞬間を目に焼きつけたいのに、視界はにじんでいた。


(琵琶も乱菊もアルトも私だ……。でも今は、アルトとしての人生を生きなきゃ)


 後悔するのは今日でおしまいにしよう。


 玲嵐のことで思い悩んでいるのは自分だけだ。そう気づけたのは家族の笑顔のおかげ。もしかしたら気づかせるためにこうして会いに来てくれたのかもしれない。


 言葉を交わすことはできなかったが、もう一度会ってふれることができて幸せだった。


 









 タイムが一緒にお墓参りしたいと言ったので、集合墓地を訪れた。


 隣に並んで歩き、先祖たちが眠る場所で手を合わせた。


「実は毎年、命日にお墓参りをしてるんだ」


「そうだったの……。ありがとう」


 アルトがお礼を言うと、タイムはまだ手を合わせていた。目を伏せたまま。


「玲嵐が妖刀になってしまったのは俺のせいだから……。 俺が先に死んだせいで君を狂わせてしまった。罪を重ねて……玲嵐を人殺しの刀にしてしまった。ずっと謝りたかった」


「フジはタイムだったんだ……」


「うん」


 現実ではにわかには信じがたい展開だが、お互いに飲み込むことができた。


 見上げるアルトにタイムが向き合う。


 いつもの優しい顔に哀愁を足した表情。彼もずっと苦しんできたのだろう。


「アルトが俺のことを思い出すまでは黙ってようと思ってた。ポーカーフェイスを保つのに必死だったよ」


 寂しそうに笑った顔に心臓が跳ねる。


 好きな人と前世で夫婦だったなんて都合のよすぎる話に、なんとも思わなかったと言ったら嘘になる。


「だから……ね。アルト」


 タイムはアルトの手を取ると、この前のように額を突き合わせた。


「ま、待って!」


「君が好きだ」


「タイム……!」


 夢にも見たことある彼との甘いシーン。告白と同時に抱きしめられたアルトは、彼の腕の強さにときめきながら胸を押し返した。


「ダメだよ!」


「どうして? 君も俺のことを好きなんだろ」


 想いがバレていることに言葉が詰まる。それもそうだろう。見過ぎなくらい彼を見つめていた。


 アルトはタイムの腕が離れると、視線を地面に落とした。


「だって……。私はタイムにふさわしくない」


「まだ言う? 乱菊のことは俺のせいだ。今のアルトが気に病むことはないんだよ」


「そうじゃないの……」


 タイムはかっこよくて勉強ができてスポーツも得意。誰からも好かれる朗らかな性格の持ち主。


 対してアルトは特別可愛いわけでもなく、勉強はそこそこだしスポーツはからっきし。タイムやテツ、双子がいなければ交友関係は狭いままだっただろう。


 こんな自分では彼に釣り合えない。


 真面目な彼だからこそ、謝罪のために記憶を保持したまま何度も生まれ変わったのだろう。


「責任感じてる、とかだったら気にしないで。可愛い子は他にもいっぱいいるでしょ。タイムのことが好きな人だってたくさんいるじゃん。大会の時とかすごかったし、先輩にも好かれてるし……」


 これまで彼が黄色い声を浴びたり告白されている現場を見てきた。ストレートに彼に想いをぶつけられる彼女たちを見る度、自分にはそんな勇気はないのだとみじめに感じた。


「俺が気を遣って、とか前世で結婚したから今世もそうしなきゃいけないと思ってると思ったの?」


 怒りをのせた声にこくんとうなずくと、タイムがため息をついて両肩に手を置いた。


 顔を上げられない。今彼がどんな表情をしているのか、どんな言葉を発するのか怖い。


 本当は好きと言われて嬉しかった。抱きしめられたことも。拒絶したが、彼が他の女子と結ばれるのは嫌だ。だがそれは口にできない。彼には、今世は今世の幸せを手に入れてほしいから。


「可愛いだけじゃ嫌だ。君が……アルトは、本当に優しい人だ。笑顔も仕草も。だから好きなんだ。俺が人に親切にしたいと思ったのは琵琶やアルトが優しいからだよ。ずっと見習っていたんだ」


 タイムの優しさは海よりも深いが、それは彼の元々の性質だと思っていた。


「聞かなかったことにしないで。アルトが思ってる以上に俺は、君のことを諦められない」


 見上げると、タイムは赤い顔ではにかんでいた。こんな顔は見たことない。


 再び抱きしめられ、彼の茶色い髪でくすぐったくなる。


「愛してるよ、アルト」


 中学生にしては重い愛の言葉に、アルトは目を見開いた。


 ずっと想われていて嬉しい。抱きしめられて幸せ。自分の想いがバレていたのは恥ずかしい。初めて彼に怒られてちょっと驚いた。


 全ての感情が自分の中に流れ込んでくる。滝壺にでもなったかのように。


 同時に涙を浮かべ、口元の強張りがゆるんでくる。


「私も……好き。好きだよ、タイム……!」


 震える口元でささやくと、タイムは回した腕に力をこめた。


 アルトは十年ぶりにはっきりとした笑顔を浮かべた。それを見たタイムも口元をふるわせ、泣き笑いの顔になった。

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