第33話

 アルトが笑うようになった。それは瞬く間に学校中に広がった。


 彼女のポーカーフェイスが崩れて一番嬉しいのは自分たちだ、とハルヒとミカゲは自負している。


「これが15歳のアルトの笑顔か……」


「大きくなったね、アルト!」


「二人は誰目線なの……」


 記憶の中の幼い笑顔が、年頃の少女らしい笑顔にアップデートされた。


 双子はアルトが様々な表情を浮かべるのを、時々涙ぐみながら見つめた。


 それと同時にアルトとタイムが付き合い始めたと大きな話題を呼んだ。


 タイムのファンは人知れず落ち込み、このタイミングでアルトは男子によく声をかけられるようになった。クラスメイトはもちろん、今まで関わりのなかった者まで。


『麗音さんはどこの高校に行くの?』


 進路を聞かれたり連絡先を教えてほしいとスマホを出されたりする。


 アルトがどう反応しようかまごついていると、どこからともなく双子やテツが現れてガードしてくれる。


『悪いけど超パーフェクト彼氏がいるの! ごめんね~』


『おいおい人の女に手を出そうなんて身の程知らずだな』


『今さらアルトがいいかもって? 節穴野郎は黙って失せな』


 テツの追い払い文句には毒がききすぎて、大抵の男子はすごすごと引き下がる。


 それだけ笑うようになったアルトには破壊力がある、ということだろう。






「そ・れ・で~? タイムとデートした? どこまでいったの?」


「受験優先だし。 デートでどこ行ったとかないよ……」


 アルトとタイムが想いを伝え合い、冬休みが終わって年も明けた。


 今日は冬休み明け初めての登校日。アルトの両横にはもちろん双子。ハルヒはアルトの頬をつつきながらニヤけている。


「でも一緒に勉強したんでしょ? ついでに初詣行ったりしなかったの?」


「あー……うん。行った」


 歯切れの悪いアルトの返答には気づかず、ハルヒは”いいなー!”と手を叩いた。年頃の中学生らしく、人の恋愛模様が気になるのだろう。


 アルトは冬休み中にタイムと神社を訪れた時のことを思い出していた。











「君はあの頃、この辺りに住んでいたんだよ。鍛冶場と家とで建物が分かれていて、職人たちの寮みたいな建物もあった」


 タイムは家が立ち並んでいる場所をぐるっと指さした。


 この日は神社に向かいながら琵琶とフジだった頃の話を聞いた。


 文献では知れなかった話を聞けるのが楽しい。


 例の文献は祖父母に返す前、内緒でタイムに見せた。彼は懐かしそうにめくり、琵琶が書いた文字を指でなぞった。骨ばった指は爪の形が綺麗だ。目を細めた様子は愛おしそうで、盗み見たアルトは顔を赤くした。


 あれから過去の記憶を映像で見ることはできなくなった。だが、タイムが話し聞かせてくれる方が好きだ。


「パン屋から遠いんだね」


「パン屋の土地は当時、親戚が住んでいると言ってたかな」


 何か思い出したことがあるのか、タイムは頭の横をぐりぐりと揉んだ。


「とてもにぎやかで皆、元気な人たちばかりだったなぁ。そのせいか君に求婚した時に”絶対幸せにしろ。でなきゃ斬る”って、刀を突き付けられたよ……」


「血気盛んなんだ……」


 タイムは疲れた表情でうなずいた。


 最近の彼は優しいだけの表情以外に、いろんな顔を見せてくれるようになった。


 ヤキモチを妬いている時はむすっと口をとがらせる。口を開けて快活に笑って涙を浮かべたり。アルトのことでからかわれると、照れて固まることもある。


 それを指摘したら”俺のポーカーフェイスもなかなかでしょ”と得意げにしていた。


 ちなみに前世で自分たちが夫婦だったことや、タイムが前世の記憶を保持していることは他の誰にも話していない。ハルヒだったら”アニメみたーい!”と興奮するかもしれない。


 きっと彼女なら、玲嵐のことも喜んで聞いてくれたかもしれないが、このことは麗音家の秘密にすることにした。


 今日のアルトは袋に入れた玲嵐を手にしている。着なくなった浴衣をほどき、律子が細長い巾着を作ってくれたのだ。

 

「いらっしゃい、アルトちゃん。タイム君」


 神社の境内に上がると、今日も蘭花が掃除をしていた。巫女服の上からあたたかそうな綿入れを羽織っている。


 今日の目的は彼女と菖蒲、鷹野に会うこと。蘭花に案内されるまま家に上がると、二人は客間でお茶を飲んでいた。


「来たかの」


「お邪魔します」


 この前まで菖蒲のことは苦手だったが、蘭花や鷹野を通して話していく内に苦手意識が抜けていった。今ではためらいなく挨拶できるし、菖蒲のアルトを見る表情も穏やかなものになった。


「タイム君、先生は大丈夫だったかい……?」


 私服姿の鷹野がタイムの顔をうかがった。タイムは人差し指を唇に当て、いたずらっぽく笑った。


「全然。玲嵐が無くなったと知ったらすぐに興味なくなったみたいで、今は土器の発掘に夢中です」


「そうか、よかった……。先生の執着は異常だったからなぁ」


 彼は胸をなでおろし、長い息を吐いた。


 アルトが玲嵐を持ち出したあの日、夜に匡時がパン屋を訪れた。玲嵐を見せてほしい、と。


 事前に鷹野に相談していたアルトは鷹野に返却したと答えた。


 すぐ彼の元に連絡がいったが、不手際によって焼却炉でとかしてしまったと深刻そうに伝えると、匡時は無言で電話を切ったらしい。


「玲嵐のことはもみ消した。玲嵐はアルトちゃんの元にいたいようだしね」


 鷹野は好戦的だった瞳を和らげた。聞き捨てならない不正が聞こえた気がしたが、アルトたちにとって都合のいいことなので言及はしなかった。


「玲嵐の様子はどうかの?」


 蘭花が新しいお茶を持ってきてアルトとタイムの前に置く。


 菖蒲は身を乗り出すと、背中を拳で叩いた。


「何も変わったことは起きていません。これからは我が家に置いておくつもりです。祖父母もいい、と言ってくれたので」


「それがよい。玲嵐は浄化されたようじゃな。妖気は見えないし、それどころか清廉な気を放っておる」


「本当に……。ずっと会いたかったんだね」


 蘭花は玲嵐にほほえみかけ、お盆を胸の前で抱きしめた。


『ウチにいていいって。鷹野さんがごまかしてくれるみたい』


 ある夜、アルトが床の間の玲嵐に語りかけた瞬間のこと。玲嵐は強い輝きを放ち始めた。


 思わず目をつむると、柔らかな花の香りが漂った。かぐわしい香りに誘われて目を開けると、玲嵐が一人でに立っていた。


 目を見張ったアルトだが、目を細めて笑いかけた。


『私の守り刀になってくれる?』


 自然と口からこぼれ出た。だが、本心だ。本来の玲嵐は誰かを傷つけるためのものではない。ここで穏やかに過ごし、麗音家の行く末を見守ってほしい。


 玲嵐は光の粒子を放ち、元の位置に戻った。


「れいらん、と改名したいと思います」


「ん……? 変わっておらぬようだが……?」


 アルトとタイム以外が怪訝な様子で首をかしげる。


 二人は顔を見合わせてほほえむと、蘭花に向き合った。


「麗しい蘭と書いて麗蘭です。麗音家の一員、という意味と蘭花ちゃんへの恩を込めました」

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