第30話

 ある日の下校時間。


 アルトは窓から校門をのぞき、人影がないことに息をついた。


 この時期になると事件を追っているメディアが校門で張っていることがあるのだ。アルトは顔を覚えられているので、カメラとマイクが迫ってきたことがある。


 その時は川添が追っ払い、パン屋まで送ってくれた。


 店の周りにも記者がいたが、一緒についてきたテツとタイムが蹴散らしてくれた。テツは家が反対方向なのにも関わらず。タイムも笑顔で”中学生の女の子を追いかけ回すとかマジありえないよね”と毒を吐いていた。


「アルトー。しばらく一緒に帰れないんだよね?」


 スクールバッグを肩にかけた双子が現れた。アルトは窓から離れるとうなずいた。


 二人にはしばらく響子の家から通うことを話してある。ウチに泊まったら、とハルヒに誘われたが丁重にお断りした。そこまでお世話になるわけにはいかない。


「じゃ。もうすぐ響子さんが迎えに来るから」


「ねぇ、響子さんに会ってみたい!」


「いいな、俺もあいさつしたい」


 ハルヒが手を組んで目を輝かせると、ミカゲも賛成した。


「いいよ、私も二人を紹介したいから」


「でも待って……。なんでジャージ?」


 双子は教室を出て行こうとしたアルトを引き留めた。彼女は制服の上にコートを羽織り、スカートの下に体操服のジャージを履いていた。


 アルトはスカートをつまみ、はらっと落とした。


「今日はちょっと」


「どゆこと?」


「まぁ校門までは一緒に行こう」


 三人が昇降口に下りるとなにやら騒がしかった。


 靴を履いて外に出ると、来賓用出入口の方に人が集まっているようだ。しかも三年生だけでなく、後輩たちも集まっている。


 アルトたちも気になって人だかりに近づくと、後方に華とショウがいた。


「どうしたの?」


「バイクに乗った綺麗なお姉さんがいるんだよ」


「バイク?」


 アルトはその単語に反応し、人ごみをかきわけた。双子もその後に続く。


 人だかりの中心には叔母と真っ黒なバイク。響子のもう一台の愛車だ。


 彼女は停めたバイクのそばでヘルメットを抱え、レザージャケットとジーンズといういかにもなバイク乗り姿。


「バイクで来たの!? なんで!?」


 響子とバイクを交互に叫んでいるのは川添だ。


「郵便やさんはここまで入ってくるでしょ」


「そうじゃなくて生徒の送り迎えをバイクで、ってのはちょっと……」


「可愛い姪がバイクに乗ってみたいっていうから来たのよ。ヘルメットもちゃんとあるわよ?」


 響子はメットインを開いて見せたが、川添は”そうじゃないんだよ……”と頭を抱えている。


 どうやら生徒たちは川添と話している美女とバイクが気になって野次馬をしているらしい。中にはバイク好きの生徒が車種をスマホで検索し、”本物だ……”と見入っていた。


「響子さん、お待たせ」


「あ、来た来た。じゃあね、川添君」


「ちょ……」


 アルトが声をかけると、響子は同級生に向かって手を振った。長い巻髪をヘアゴムでくくり、再びメットインを開ける。


 アルトは響子に同級生を紹介すると、ヘルメットをかぶせてもらった。


「こんにちは、アルトと仲良くしてくれてありがとう。ゆっくり話したいところだけど……ごめんね」


 彼女が双子にウインクするとハルヒは”かっこいー!”と飛び跳ね、ミカゲは若干顔を赤らめた。野次馬たちもおおよそ同じ反応をしている。


「ポーカーフェイスのお姉さん……?」


「に、してはちょっと歳離れてそうじゃない? 川添先生のことを君付けで呼んでいたよ」


「待て! もしや噂の叔母さんじゃね!?」


「川添先生の好きな人か……!」


「美人すぎ! 暴力的な美!」


 何やら湧いている者たちもいるが、響子がエンジンをかけると歓声が上がった。川添は生徒たちに向かって手を振った。


「おい、あぶねーから離れろ」


「かっこいいお姉さんを校門まで送ります!」


「よっしゃSPごっこしようぜ!」


「おらお前ら! さっさと部活に行け! 三年生は勉強しろ!」


 川添が生徒たちを散らす。アルトは双子と手を振り合い、ここで解散となった。


 アルトはスクールバッグの持ち手を肩にかけ、リュックのように背負った。タンデムステップに足をかけ、後部にまたがる。川添が肩を差し出したので遠慮なく手すりにさせてもらった。


「アルト、落ちんなよ。ここを掴んでろ」


「が……がんばります」


 響子の後ろに座ると目線が身長よりも高くなった。冷や汗が出てきて、タンデムグリップをありったけの力で掴む。はめた手袋は響子のお古だ。


 バイクが発進すると、アルトは慣性の法則で体が置いていかれそうになった。


「ひぇっ……」


 アルトの悲鳴に構わず、響子は校門まで一気に加速させた。帰路についた生徒たちがバイクの唸り声に振り返る。


(ひぃっ……!)


 簡単にバイクに乗ってみたい、なんて言ったことを後悔し始めていた。


 カーブでは体を傾けるよう言われたが、落ちてしまうんじゃないかという恐怖が勝って体が硬くなった。


 注目を集め過ぎたのと、風が強くて寒いので次からは車での送り迎えになった。


 だが、風になったような、風と一つになったかのような感覚。車で窓を全開にした時と違い、全身で風を浴びる爽快感。初めてのバイク旅はしばらくの間忘れられなかった。











 アルトは一週間ぶりにパン屋に帰ってきた。祖父母も温泉地から帰ってきて、お土産をリビングに広げた。二人は響子に温泉まんじゅうやら特産品をたくさん持たせた。


 彼らがスマホで撮った写真は緑豊かな場所や、温泉街などでどれも風光明媚だ。これは何、あれは何、と教えてもらい、アルトはいつか行ってみたいと大人になった自分を想像した。


 三人がそれぞれ外に出ている間の出来事はご近所さんたちが教えてくれた。


 命日の登校時間にマスコミが店を囲んでいたらしい。それも目の前の道いっぱいに広がって。


 しかし店は暗く、いつまで経っても住人が出てこないことに肩を落として退散したそうだ。次の日に訪れる者もいたが、なんの収穫も得られずに帰っていったのだとか。


 ということでアルトたちは旅行前と変わらない穏やかな日を過ごすことができている。


 思えばこれだけ地元を離れたのは初めてだった。響子と二人で一週間を過ごしたのも。


 仕事の合間に送り迎えをしてくれて、食事の用意をしてくれた彼女には頭が上がらない。


 ”もっとパン屋に帰ってきて”、と別れ際に言ったら”それもいいかもね”と曖昧な笑みを浮かべていた。


(さむ……)


 帰ってきてから初めての下校。だが、今日は一人だ。ハルヒもミカゲも進路のことで川添に呼ばれたからだ。


 アルトはコートの襟を上げ、首を縮めた。最近はさらに風が冷たくなってきた気がする。響子と服を買いに行った時、マフラーも買えばよかったと今さらながら後悔した。


 校門を抜けると風が強くなったような気がした。周りの生徒たちも"さむーい!!"と絶叫している。


 暑すぎたり寒すぎる日は、自宅が近いことに感謝の気持ちが止まらない。


 今日も帰ったら宿題を片付けて受験勉強をして、お風呂から出たら読書の時間にしよう。


 図書室で借りる本の冊数を控えめにしようと思っているが、唯一の楽しみなので実行に移せないでいる。ハルヒもアニメを見るのが止まらないらしい。


「アルト!」


 後ろから呼ばれるのが聞こえた。同時に駆け出す足音も。


 男子の声だが柔らかく高めで、地面を蹴る音は軽い。振り向かなくても気配で分かるのは彼しかいない。


「タイム……」


 横に並んだ彼はワインレッドのマフラーを整え、優しくほほえんだ。息切れ一つしていない。


「こっちに帰ってきたんだね」


「……うん」


 アルトは短く答え、うつむいた。


 以前までは下校中に彼の姿を見かける度に嬉しかった。今は心が苦しくなるだけ。


『その恋が間違った道じゃなければ、周りの声を聞くことはないわ。好きな人が誠実なら尚更』


 響子が赤い顔で言った言葉を思い出す。


 タイムは誠実過ぎるくらい誠実で誰よりも優しい。ポーカーフェイスだと揶揄されていたアルトと唯一、仲良くしてくれた人だから。


 だが、この恋は間違った道かもしれない。殺し屋の血が流れている自分はふさわしくない。


 清廉な彼と並ぶのもおこがましく思えてきて、アルトは立ち止まった。


 タイムもほぼ同時に立ち止まる。彼が気づくことなく先に歩いて行ってしまったらよかったのに。


 しかし、自分から別れる勇気はなかった。


 彼は気まずそうに”あー……”と頭をかいた。


「最近あんま話さないけど……。俺、何かしたかな」


「違う!」


 間髪入れずに叫んでいた。顔を上げるとタイムは眉を下げ、傷ついたような表情でアルトのことを見下ろしていた。


 そんな顔をさせたくて彼を避けていたのではない。アルトは首をぶんぶんと振って口を開きかけた。


 この様子を見るとおそらく、彼は父親に何も言われてないのだろう。疑問に思ったが、真実を彼に教える勇気はない。


 自分が、彼にふさわしくないことも。


(……っ!)


 これまで優しくしてくれた彼にこんな態度を取り続けたくない。アルトの口は震え、息がもれたが声が出ない。再び口をつぐんで目をぎゅっととじた。


 その時、一陣の強い風に襲われてスカートが広がった。冷えを感じてくしゃみをすると、タイムがくすっと笑った。


「風邪引くよ」


 彼の柔らかな声と同時に、首元があたたかくなった。心までほぐれる感覚に目を開けると、あたたかい赤に包まれていた。


 彼のワインレッドのマフラーだ。その柔らかさは彼の声と笑顔のよう。


 されるがまま彼を見つめていたら、冷え切った手も包まれた。幼い頃のぷくぷくとした楓はどこへやら、骨ばった大きな手。アルトの華奢な手はすっぽりと収まり、熱を持ち始める。


 タイムは目をとじるとアルトの手を引き寄せ、首元に押し当てた。


「アルトが落ち着くまで……俺は話しかけないようにする。でも覚えておいて。俺はアルトと仲良くしていたい」


 彼の言葉が頭にこだまする。頭を打ちつけられたような痛みと、胸に響いた甘さ。正反対の衝撃にアルトは声を出せずに硬直した。


 彼は手を離すとそれ以上は何も言わず、立ち去った。


 原因は自分なのに心が痛くなった。どうしようもない後悔に罪悪感に襲われる。


(私だってタイムと……)


 小さくなっていく彼の背中に胸をぎゅっと掴まれた。寂しい、苦しい、本当はそばにいてほしい。


 彼女はその場に膝をつくと、タイムのぬくもりが残った手を握りしめた。マフラーを巻きこんで。


(仲良くしたい、だけじゃ嫌……。タイムのことが好きだよ……)


「うっ……うぅっ……」


 地面に小さな小さな水たまりが出来上がった。それを作っているのが自分だと気づいた時、アルトは顔をくしゃりとゆがめた。


 雫が頬を伝う、なんて表現はぬるいと思った。本当につらい時は洪水のように止まることを知らない。


 気付いてしまった。どうしようもないくらい彼のことが好きなのを。抱きしめてほしいのは彼だと。


 記憶史上、初めて泣いた。嗚咽をもらし、子どものように泣きじゃくった。ポーカーフェイスが涙を流すなんて自分でも驚いた。


「アルトちゃん!?」


 いろんな足音が不審そうに通り過ぎる中、その足音はまっすぐ近づいてきた。


 泣きはらした目で見上げると蘭花だった。いつもの赤いカチューシャをつけているが私服姿だ。






 目立つから、と近くの公園に移動した。ベンチに座ると蘭花にハンカチを渡された。


 泣いていた理由を聞かれ、タイムのことを打ち明ける。彼のことを蘭花に話すのは初めてだった。


 追いかけてくる妖刀や先祖の殺し屋のことを家族以外と話したのも初めてだ。現実味がないのに彼女は親身になって聞いてくれた。


「好きだけど……踏み切れなくて。タイムを不幸にするのは嫌だから……」


「アルトちゃん……」


 蘭花はまるで自分のように思いつめた表情をしていた。


 が、目に力をこめると突然立ち上がった。


「アルトちゃん、そんな難しいこと言わなくていいんだよ。まだ中学生だよ、好きなら好きで突っ走った方が楽しいよ! 玲嵐と乱菊さんがアルトちゃんの足枷になることは望んでないよ、絶対」


 明るい彼女はまるで春の太陽のよう。木枯らしを追い返してしまいそうだ。


 アルトが封印しようとした恋心も引っ張り出される。


「せっかく好きになった人だもん、簡単に諦められないでしょ? だったら心に従おうよ」


 蘭花は目を細めると、アルトの肩に手を置いた。

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