第29話
響子の家に泊まる一日目の夜。
アルトは寝室の窓辺に立ち、再び外をのぞいた。
空き地は月に照らされ黄金色に輝いている。夜風に揺れるねこじゃらしでまるで小麦畑だ。
お風呂から出た響子に呼ばれてリビングに戻ると、彼女は缶チューハイと缶ジュースを手にしていた。
「おやつ、食べる?」
「食べたい」
普段、晩御飯の後に何か食べることはない。背徳的な言葉にアルトは秒でうなずいた。
響子が出したのはメレンゲクッキー。白いお皿に開けるとピンクと紫がよく映えた。
彼女は皿と缶の横にグラスを置いた。
「アルトが呑めるようになるまであと五年かー……。遠いな」
ソファに座ると隣で響子が缶を開けた。
「響子さんはお酒好き?」
「好きっていうか……。何かやりとげた後に呑みたくなるかな。ちなみにこれ、姉さんが好きだったの。そのマンゴージュースも」
響子はそれぞれに指をさしてほほえんだ。
「トウジさんはビールとハイボールばっか呑んでたわ。メレンゲクッキーは姉さんが作ったお菓子の中で私が一番好きだった」
「へぇ……。知らなかった」
それぞれ飲み物を注ぐと、グラスを軽く鳴らして一口飲んだ。マンゴージュースは喉をゆっくりとおりていき、濃厚でおいしかった。
メレンゲクッキーも軽い食感がおいしくて何度も手を伸ばしてしまう。
響子は追加でポテトチップスを持ってくるとパーティー開けをした。
「双子……ってハーフの? 確かお金持ちの……」
「うん、ハルヒとミカゲだよ」
「アルト追いかけて引っ越してくるなんてさすがね……」
「でも嬉しかった。いつも一緒にいられて楽しいよ」
彼女に学校の話を聞かれ、幼なじみの双子や修学旅行などの学校行事のことを話した。
「幼稚園の運動会の時かしら、ご両親を見た覚えがあるわ。あのご夫婦も相当若いわよね」
「聞いたことないけどそうだと思う。お母さんは綺麗で優しいしお父さんはかっこいいよ」
今年は身近な大人が増えた。だが、なんやかんやで川添に一番心を開いている気がする。長年顔を合わせてきただけある。
「鷹野さんって知ってる?」
「あぁ、中学の時の後輩よ。刑事になったんだってね」
「知ってるんだ」
「たまに連絡が来るわ。忙しそうなのに食事に誘われるの」
「わー……」
川添もぼんやりしている場合じゃない。時々パン屋に来るだけではダメだ。これは教えた方がいいだろう。
「ちなみにどこへ食べに行くの……?」
「いつも断っているわ」
「どうして?」
「どうしてって……。どうしてかしらね」
響子ははぐらかすようにグラスに口をつけた。その横顔はどこか悲しげで。
彼女の部屋に男の気配はない。彼氏ができた、なんてこれまで聞いたことがなかった。誰よりも目を引く美人だから引く手数多だろうに。
「アルトこそどうなのよ。最近の中学生はマセてるらしいじゃない。いっちょまえに彼氏が彼女がどうこう言ってるんでしょ?」
「私は別に……」
今度はアルトが目をそらす番だった。手をグラスから離すと膝の下に隠した。
「ミカゲ君にバレンタインチョコあげたって姉さんに聞いたことあるわよ。少年、あの歳にしては随分顔ができあがっていたじゃない? 再会してどうなのよ」
「ミカゲは親友だから。あの時あげたのは友チョコだし」
そういえばバレンタインに誰かにお菓子をあげたのは幼稚園以来だ。
引っ越してきてからはあげるような友だちはいなかったし、タイムにあげる勇気もなかった。
きっとハルヒは来年になったら"絶対タイムに渡すよ! 手作りの!"とお菓子作りに誘うだろう。
「響子さんは……。好きな人がいても、その人を好きになっちゃいけないって言われたらどうする……?」
もし歌子が生きていたら、こうして恋の相談をすることがあったかもしれない。彼女だったらなんて言ってくれたのだろう。トウジが聞いたらどう思っただろう。
「あんたまさか、その歳にして略奪愛を……」
響子はポテトチップスに伸ばした手を引っ込めた。
「そんなんじゃない」
「重苦しそうな顔してるじゃない」
「それはいつもだよ」
「違うわ、絶対。笑うようになったな、って思ったもの。いろんな人と関わるようになって、表情を分けてもらったんじゃない?」
響子はアルトの頬をつつき、真剣な眼差しになった。
「その恋が間違った道じゃなければ、周りの声を聞くことはないわ。好きな人が誠実なら尚更」
「もし自分が相手にふさわしい人間じゃなくても……?」
「ん? あんたやっぱり好きな人できたんでしょー!」
響子は高い声を上げるとアルトのことを抱きしめ、頭をなでくり回した。
「どわっ……! 響子さんお酒……」
「まだまだ呑むわよ!」
彼女のグラスはいつの間にか空。顔は陽気に赤く染まっていた。
響子が川添に再会したのは実家。姉夫婦と生まれることのなかった姪の葬式以来だった。
彼はカランコロン、というベルの音と共に現れた。
「いらっしゃい、川添君」
「響子さん!?」
出迎えると彼はドアに派手に激突した。失礼なものだ。
その頃の響子は週末になると、実家で暮らす姪の様子を見に行くようにしていた。
アルトは事件のショックからか表情が乏しくなり、口数が激減した。以前は会いに行く度に幼稚園での出来事をたくさん話してくれる子だった。
その日も店先でアルトと遊んでいた。話しかければ受け答えはするし、遊びに誘えばおもちゃを持ってくる。その日の彼女は絵本を読んでほしいとねだった。
最近のアルトのお気に入りは童話らしい。シンデレラとか白雪姫とか。可愛いお姫様の絵が好きらしく、自分で絵を描くこともある。
感情を表に出さなくなっても、可愛いものや綺麗なものには興味があるお年頃。響子がピアスをしていると”見せて”と、指をさす。
「あら~イサギ君いらっしゃい。いつもありがとう」
「いっいえ、こちらこそ!」
「いつも?」
「そうなの。アルトのことを気にかけてくれてるのよ」
律子に紹介された彼は頭をかいた。うつむいた顔は赤い。
「アルト、このお兄さんに遊んでもらってるの?」
アルトは絵本から顔を上げて川添のことを見ていた。
「イサギおじさん」
「おじ……。まだ27よ」
諫めたが彼女は聞く耳を持たず、慣れた様子で川添の足元に駆け寄った。腕を高く上げると、川添が顔をとろけさせて抱き上げた。
「いいんだ、お兄さんからおじさん呼びに代わった時にショック受けそうだから……。今からおじさんって呼んでもらうようにした」
この頃の川添は地元ではない中学で教鞭を取っていた。遠くても実家を離れずにここから通っている、と響子は聞いた。
「やっぱり先生ね。子どもの相手、うまいわ。アルトも懐いてるみたいだし」
アルトは川添に高い高いしてもらっても表情を変えないが、嫌がる様子はなかった。
「やっぱり歌子さんの娘だからかな。すぐに心を開いてくれたよ」
「うん……。姉さんは誰とでも仲良くなれる人だったな……」
残念ながら彼女が周りと打ち解けなくなるとは、今の響子たちには想像できなかった。
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