第28話

 歌子とトウジは中学、高校と別の学校に通った。


 彼女は彼氏にぞっこんで同じ高校に通いたかったが、校風が合わなくて諦めた。


「スポーツ推薦? さすがね!」


「いやぁ、俺は勉強が苦手だから助かったよ」


「運動部がさかんな学校じゃなかったらなぁ~……」


「無理に同じ高校に通わなくてもこうして会おうよ」


 週末は一緒に過ごすようにしていた。トウジが自転車ではるばるパン屋まで来てくれるのだ。


 歌子の方から会いに行こうかと申し出たこともあるが、”大事な彼女だから”といつも家まで来てくれた。


「歌子の高校はレベルが高くてすごいね。俺のおつむじゃとても行けないや……」


 この日は歌子の部屋で受験勉強に励んでいた。


 両親公認の仲で、二人はトウジのことを気に入っているようだった。いつも帰る時は”またいつでも来てね”と大量のパンを持たせる。


「そんなことないよ。ある程度勉強すれば余裕だもの」


「そう言い切れるのがすごいよ」


 そうしてお互い、無事に志望校に合格。高校に入って部活が忙しくなり、中学の時に比べて会う頻度は減ってしまった。しかし、足を伸ばしてテーマパークへ、とデート先をグレードアップした。もちろん、歌子の地元の夏祭りには毎年行った。


 離れていても相手への気持ちはずっと変わらなかった。歌子は高校に上がってからも男子に声をかけられることが多かったが、”彼氏がいるから”と全てお断りした。


 トウジはトウジで高校に入ってぐんと身長が伸びたり、部活で輝かしい成績を残したがモテることはなかったそうだ。友だちにそのことをいじられる度、”モテ期と引き換えに歌子と結ばれたんだ”とはにかんだ。


 それは大学に入学したり就職してからも同じ。


 彼は”もっといろんな女を知った方がいい”と女性を紹介されたが、誰とも会おうとしなかった。


 そしてそのまま歌子と結婚。二人が23歳の時のことだった。歌子の地元でトウジは再び伝説の人として注目を浴びた。


 それからすぐに子宝に恵まれ、二人はトウジの父が建てた家に住み始めた。


「名前、”アルト”にしたいなって思ってたの。どうかな?」


「可愛いと思うよ。でもどうして?」


 大きくなったお腹を二人でなでながら顔を寄せ合う。


「合唱部の時に先生が言ってたんだけど、アルトパートは重要なパートなの。曲全体の調和を取って、ソプラノとテノールをつなぐの。だから……人と人をつなぐような存在になってほしい」


 歌子はお腹に当てた大きな手に、自分の手を重ねた。


「すごくいいと思う。歌子は素敵なことを考えていたんだね」


「えへ、先生のおかげだよ」


 冬の気配が訪れた頃、アルトは無事に生まれた。


 初孫である彼女は歌子の両親やトウジの両親、響子に可愛がられてすくすくと育った。


 特に響子は家が近いこともあって、度々家に訪れては歌子を手伝った。


「響子も抱っこが様になってきたわね」


「似合ってる似合ってる」


 響子はアルトを片手で支えると、よだれをスタイで拭ってやった。


「早く彼氏作ったら?」


「嫌よ、仕事がようやくノってきたの。もっと頑張らなきゃ」


 仕事一筋の彼女はアルトを両手で抱え、体をゆっくりと揺らした。


「響子ちゃん、モテそうなのに。告白受けないの?」


「告白なんてされたことないわ」


「響子には隠れファンが多いのよ」


 歌子は二人に歩み寄ると、アルトの頬を指でなでた。アルトは母をじっと見ると、きゃっきゃつと手足を動かして喜びを表現した。


「わわっ」


 激しい動きに視線で姉に助けを求めた。歌子は抱っこを代わり、目を細めた。


「アルトもいつか好きな人ができるのね……」


「そういうの、トウジさんはどうなの?」


「俺は大歓迎。お嫁に行ってほしくないとかはないなぁ」


 トウジはのんびりとした様子で答え、ソファから立ち上がった。


「アルトが幸せな恋をできるなら、どんな相手でもいいと思う」


「えー本当に?」


 そばに来たトウジを、歌子は体を使って押す。


「私はトウジみたいな人と結ばれてほしいなぁ」


「え、嬉しいなぁ……」


 えへへ、と笑い合う様子に響子は”ごちそうさま”と肩をすくめた。






 アルトは3歳から幼稚園に通い始めた。外の世界にふれるためだ。


 4歳の誕生日の時、幼稚園で誕生日を祝ってもらった。


 自分の写真が入ったバースデーカードをもらい、嬉しい誕生日になったらしい。幼稚園バスから下りてきたアルトは、リボンがついたバースデーカードを首に提げていた。


 ちなみに写真は前日に撮ったもの。同じ月生まれの同級生との集合写真だ。本当は仲良しの双子と撮りたかったらしい。


「じゃあ、今度ハルヒちゃんとミカゲ君に遊びにきてもらいましょ。おやつパーティーに招待しようか」


「おやつパーティー!? やったー!」


 アルトは目を輝かせ、その場で飛び跳ねた。


 トウジの父に提案されるまでアパートやマンションに住む予定だったが、一軒家でよかったとしみじみ思う。


 子どもは喜びも悲しみも体全体を使って表現する。怒りにまかせて地団太を踏むのは止めるが、喜んでいる時は水を差したくない。歌子は腰を屈めるとアルトの頭をなでた。


「アルトは何が食べたい?」


「プリン! ドーナツも!」


「ドーナツも? この前失敗したからちょっと……」


「おいしかったよ! おかーさんがつくったの、なんでもおいしいもん。ハルヒちゃんとミカゲ君にも食べてもらいたい」


 きらきらとした目で見つめられては折れるしかない。それに、まっすぐな目で”おいしかった”と言われると胸がキュンとする。


 アルトは天使だと思う。それはトウジも同じだろう。


 こんなにたくさんの表情を浮かべ、両親を優しい気持ちで包んでくれる。嫌なことがあっても、彼女の笑顔を見ていると気持ちが和らぐ。


 家の中を走って戸のガラスを割った時は厳しく叱りつけたが、娘のことが何よりも愛おしい。


「アルト、おいで」


「うん!」


 歌子はアルトに向かって腕を広げると、抱き上げて頬ずりをした。


「くすぐったいよぉ」


 スキンシップで、きゃーと笑う様子は赤子の頃から変わらない。林檎色の頬は食べてしまいたいくらい柔らかい。


「大好きよ、アルト」


 口に出すと、アルトはぎゅうぎゅうと体を押しつけた。


「アルトもおかーさんのことだいすき! おとーさんも、きょーこちゃんも、じいとばあたちも、おばあちゃんも!」


 その日の晩はアルトの誕生日パーティーを開いた。響子と律子と弦二郎もお祝いに駆けつけ、にぎやかな晩御飯となった。


 欲しがっていたおもちゃや新しい服をプレゼントすると、その場で遊んだり着替えて終始はしゃいでいた。


 歌子お手製のケーキは特に大喜びで、アルトは誰よりも早く完食してケーキを頬張った。


「もう4歳か……」


「時が過ぎるのはあっという間ね」


 一足先にアルトはケーキを食べ終え、リビングでおもちゃで遊び始めた。それを眺めながら、大人たちはアルコールで乾杯する。


 祖父母となった律子と弦二郎は感慨深くうなずきあった。


「俺たちもアラサーになるわけだよ」


「ね、もう27だって」


 歌子は自分で言いながら年齢に驚いた。トウジに出会って一目ぼれしてから干支が一周した。


 彼の走る姿と清々しい笑顔に惹かれ、その場でアタックして本当によかったと思う。こんな幸福に満ち足りた生活が待っていたなんて、夢にも思わなかった。


 恋人から家族、母になってもトウジのことが好きだという気持ちは変わらない。ささいなケンカもしたことがない。


 これから先、家族が増えてもずっと幸せな家庭が築けますように。歌子は缶チューハイに口をつけながら目を閉じた。

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