六章 誕生日と命日
第27話
11月に入った。
空気が一気に冷え込み、あたたかいものが恋しくなる季節。
アルトは制服の上にグレーのコートを羽織り、手に息を吹きかけた。そろそろ手袋を出そうかとパン屋の上を眺める。
「アルトー! おはよー! 誕生日おめでとー!」
「おはよ、ありがと」
今日も双子がパン屋の前に現れた。ハルヒは相変わらず朝から元気でアルトに飛びついた。その後ろでミカゲは”やれやれ……”と言った様子でゆっくりと歩いてきた。
彼とは今までと変わらない関係を続けている。
『これからも親友でいていいか?』
告白された後日にそう言われた。改まって言うことじゃないのに。アルトは聞くまでもない、と首を縦に振った。
「ミカゲったらいつの間にアルトに誕プレあげたの? 抜け駆けー」
「……たまたまだ」
「驚かせたかったんでしょ!?」
ハルヒはミカゲをつついた後、スクールバッグから小さな包みを取り出した。
「はい、これ! 私からの誕プレ」
「ありがとう……」
淡いピンクの不織布の袋。アルトはリボンをほどくと、中身をのぞいた。
「おぉ……」
「スマホカバーだよ! 綺麗でしょ~」
薄いビニールに包まれているのはスマホカバー。背には水色と白の小花と、薄緑の葉っぱのドライフラワーが散りばめられている。
アルトはさっそくスマホに装着し、まじまじと眺めた。
スマホカバーはなんやかんやで欲しくなってきたところだったので嬉しい。
「本当にありがとう、ハルヒ。すっごく綺麗」
「いえいえ~。喜んでもらえたならよかった!」
「とりあえず学校行こうぜ。遅れるぞ」
三人はいつものようにアルトを真ん中にして歩き始めた。
進路のことを話していると後ろから声をかけられた。
「おはよう」
「あ、おはようタイム!」
アルトは振り返ったが声の主にかたまった。
登校中にタイムに会うことは滅多にない。プレゼントをもらって感動して、いつもより遅くなったのかもしれない。
タイムはミカゲの横に並び、”相変わらず仲いいね”とほほえんだ。
ミカゲは”当然だろ”と目をそらし、アルトはうつむいた。タイムの視線から逃れるように。
「タイム~。今日はアルトの誕生日なんだよ」
ハルヒが口元を隠しながらアルトのことを指差す。
「うん、知ってる。おめでとう」
タイムはアルトの誕生日を知っている数少ない人だ。毎年欠かさず祝ってくれるのが嬉しかった。
だが、今年は。
「……ありがとう」
アルトは口の中でつぶやくようにして言うと、列から外れた。
「ごめん、宿題まだやってなかった。早く行ってやらなきゃ」
「あ、理科の? 六限目だから余裕でしょ~」
「川添さんに特別課題を出されたから。じゃあね!」
彼女は適当な言葉を並べると、三人の返答を待たずに駆け出した。三歩目あたりでコケそうになったが、踏ん張って態勢を整えた。
アルトの誕生日をハルヒが言いふらしまくった結果、クラスメイトのほとんどからお祝いの言葉をもらった。
こんな大人数に祝われたことはない。アルトは最終的に照れて顔を覆った。
そんな誕生日の次の週、アルトは学校を休んだ。
今年も秋はあっという間に去り、風が冬の気配を運ぶ。冷たく乾燥した風は頬を容赦なく突き刺す。アルトは上着と手袋をつけると外に出た。
時刻は午前六時前。普段だったらまだ眠っている時間だ。彼女は身震いするとほのくらい空を見上げた。
弦二郎と律子は毎朝、明け方の空を見ながらパン作りを始める。しかし、今日からしばらくは臨時休業。二人は身支度を整えているようでまだ下りてこない。
店の前にはグレーのワゴン車。滅多なことでは帰ってこない叔母の愛車だ。
「おはよう、響子さん」
アルトは助手席に乗り込んだ。車内のあたたかさに体のこわばりがとけていく。
運転席に座っているのは赤みがかった茶髪の女。長く伸ばした髪を巻き、耳にかけている。黒い瞳は鋭く細められていた。
「おはよう……」
「おはよう」
元々そんなに笑わないし優しい表情を見せることが少ない彼女だが、今日は一段と横顔が険しい。ハンドルに手をかけ、終始周りを警戒している。
「マスコミいる?」
「いないわ」
今日はアルトの両親と妹の命日。毎年この時期になると、事件を追い続けている雑誌やマスコミが取材に来ることがある。
特に今年は事件から十年。五年目の時は店がマスコミに囲まれ、ひどい目にあったものだ。あの時は鷹野のおかげでなんとかなったが、今回は響子が作戦を立てていた。
それは朝の早い内に墓参りをし、その後しばらくは温泉旅館で過ごす……というもの。残念ながらアルトは受験生で出席日数が響くため、明日からは通常通り登校する。響子の家に滞在し、彼女に送り迎えをしてもらうことになっている。
するとバックドアが開き、弦二郎と律子が顔をのぞかせた。二人共大きなバッグを載せている。
律子は腕に花束を持っていた。
「お待たせお待たせ」
「悪いわね、響子。車出してもらって」
「平気よ。運転好きだし」
響子は何事もなく出発できることに安堵したようだ。心なしか穏やかな表情になり、シフトレバーに手をかけた。
麗音家のお墓は町はずれの集合墓地にある。
本来なら歌子はトウジの実家のお墓に入るはずだが、彼女は地元に帰ってきた。トウジの両親がそれをのぞんだのだ。トウジも一緒にここで眠ることを。
手桶に水を汲みもうと水道をひねるとキンキンに冷えた水が飛び出た。
麗音家と刻まれた墓石の前で律子は持ってきた花を花立に活けた。ピンクと白の可愛らしい花たち。風に揺れ、アルトたちを歓迎しているようだ。
白い花を見るとタイムのことを思い出す。
夏祭りで彼が選んでくれた髪飾り。夏以来大切に飾っているが、今は見る度に心が痛くなる。彼は似合うと言ってくれたが、白を身に着けられるような清廉な人間ではないことを知ってしまった。
匡時と神社で会って以来、アルトはタイムを避けるようになった。匡時に言われたから、だけではない。
アルトの急変した態度に彼が表情を曇らせていることも知っている。何か言いたげなのも。
だが、彼を守るにはこうするしかないのだ。
(だって私は……殺し屋の子孫だから)
夫を失って自分が壊れてしまったことには同情するが、乱菊の血を受け継いでいることに引け目を感じていた。自分が犯した罪ではないのに罪悪感さえある。
(お母さんとお父さんと妹が殺されたのも、私のせいだ……)
この頃のアルトはそんな風に考えるようになってしまった。
玲嵐が自分を追っている。それがどういう意味なのか、匡時に言われた時は分からなかった。
だが、ある日突然家族を襲ったのだ。行方不明となっていたのに。こんな偶然があるものか。
(私を狙っているなら私を殺してよ……)
律子は墓石をなで、目を細めた。その隣で弦二郎がほほえみ、線香に火をつける。いい香りが漂った。
「歌子、トウジ君、ソラちゃん……。おはよう」
「今年で二人は37……。ソラちゃんは小学生か」
「ランドセル、買ってあげたかったわね……」
律子が涙ぐむ隣でアルトは目を伏せた。
悲しんでいると思ったのだろう、響子は無言で肩を抱き寄せてさすってくれた。
その後、四人で駅前に出てモーニングを食べた。
律子と弦二郎とは駅で解散になった。二人はこれから電車で名古屋へ行き、観光列車で温泉地を目指す。
「なんだか悪いわね……。私たちだけ旅行なんて」
「いいのよ、たまには二人でゆっくりしてきてよ」
「お土産、たくさん買ってくるからな」
二人はアルトの頭をなでると改札の向こうへ消えた。一度振り返って大きく手を振ってから。
アルトたちは改札を離れ、駅ビルへ向かった。
「さ、アルト。どこ行きたい?」
「どこにって?」
「平日の昼前よ、ぱーっと出かけましょ」
「それなら行きたいところがある」
「いいわよ」
「前住んでたお家」
アルトは立ち止まって答えた。忙しなく行き交う人たちは、柱になったアルトを横目に通り過ぎていく。
響子も一緒に立ち止まり、小さく息を吐くと髪をかきあげた。
「いいけど……。何も残ってないわよ。あれからすぐ火事になったの知ってるでしょう」
「それでもいい」
ここ近年考えていたことだ。昔住んでいた場所に帰ってみたい、と。
彼女の顔色を窺うと、仕方なさそうではあったがうなずいた。
「分かった、行きましょう。その代わりちょっくら付き合ってもらうわよ」
響子はアルトの返事を待たずに腕を引っ張った。向かったのはアパレルショップが集まっているエリア。
「あんたねぇ……、着ているものに関心なさすぎ。中学生女子でしょ、もっと気を配りなさい」
「これ……ばあちゃんが買ってきてくれたヤツ……」
「服くらい自分で選びなさいよ……。何その真っ赤なダサジャンパー。それが可愛いのは小学生までよ」
「ダサ……」
アルトは自分の格好を見下ろした。
確かにこの上着は小学校高学年から着ているもの。成長期が来てもあまり身長が伸びなかったアルトは、小学生の頃からタンスの中身が変わっていない。
それを話したら響子は信じられないと言いたげな顔でかたまった。
彼女はアパレルショップに入ると手当たり次第服を手に取り、アルトの体に当てた。時々それをアルトに持たせては試着室に押し込んだ。
駅前から響子の自宅へ向かった。
彼女はアルトが住んでいた家の近所のマンションで一人暮らしをしている。
部屋は一人で住むにはかなり広い。響子が20歳の時から住んでいるらしい。
アルトは大量の紙袋を下ろした。この中の服はタンスの中身と総入れ替えができるくらい入っている。運んでいる間、両腕がちぎれそうだった。
響子はリビングの分厚いカーテンを開けた。アルトに手招きし、寝室に来るよう促される。彼女はレースのカーテンを残してカーテンをまとめた。
少し高い位置にある窓の前に立ち、目を細める。
「こんなところからだけどごめんね」
「ううん、充分見えるよ」
アルトは若干背伸びをし、窓から顔をのぞかせた。
道を一本挟んだところに空き地がある。草がぼうぼうに生え、細いロープで仕切られていた。その前には大量の花束やおもちゃ、お菓子。
それらの周りには、様々なサイズのカメラを持った大人たちがこぞって撮影している。中にはマイクを握ったリポーターが空き地を背景にしてカメラに顔を向けている。
「やっぱりいるわね……。マスコミと学者は関わらないのが吉ね」
響子はマスコミたちに舌打ちした。歪んだ顔は心から彼らを嫌っているようだ。
アルトは踵を下ろし、再び背伸びをした。
たった五年だが、住んでいた家が無くなったと聞いた時は喪失感に襲われた。
父と遊んだり、母の手作りおやつを食べたり、時には祖父母や響子を呼んでホームパーティーを開いたこともあった。幼い頃に家でハルヒとミカゲと遊ぼう、と約束をしていたことも思い出した。
(そういえば……)
アルトはぶどうの花が咲いてた庭のあたりを見つめ、あることを思い出していた。
トウジとハンバーガーショップへ行き、ラッキーセットのおもちゃをもらった時のこと。
数日間、そのフリスビーでトウジと遊んでいた。すると、真っ白で毛の長い猫が現れた。その猫は大きな体を揺らしながらアルトに近づき、そばに座った。手を体の下に隠す香箱座りだ。
『おとーさん! ねこちゃんだぁ!』
『本当だ、可愛いね』
トウジは猫にそっと近づくと、首輪をさわった。
『飼い猫だね、こりゃ』
アルトは彼のように猫にそっとふれた。柔らかい体は初めての感触で、猫は気持ちよさそうに”なぁ”と鳴いた。
猫は二人になでられて気を許したのだろう、コンクリートの上でお腹を上にして体を転がし始めた。
そこでアルトは思いつき、フリスビーをひっくり返して家の中へ走った。
『おかーさん、おみずー!』
『お水ちょうだい、でしょ』
歌子は晩御飯の準備をしているようだ。エプロンをつけ、長い髪を肩の上でまとめている。手元には包丁とまな板。
『ねこちゃんがあそびにきたの! おみずあげたい!』
『いいけど……。ほら、こぼさないようにね』
歌子はアルトのフリスビーに薄く水を注ぎ、そっと歩くように玄関を指差した。歌子に玄関を開けてもらうと、猫は父にねこじゃらしで遊んでもらっている。大きな体の割りに動きが俊敏だ。
『ねこちゃん! お水だよ』
アルトが猫のそばにフリスビーを置くと、猫はありがたいと言わんばかりにフリスビーに口をつけた。
(大きな猫……。さすがにいないよね)
記者にまぎれて遊びに来てたりして……と期待したが、あのコロコロとした姿はなかった。空き地にはお気に入りのねこじゃらしがたくさん生えているのに。
「響子さん、ペンペンって覚えてる?」
「勝手に名前つけた飼い猫でしょ? しばらくこのマンションの下に遊びに来てたわよ。一階の人が可愛がっていたみたい」
「今も?」
「数年前から姿を見せなくなったわ」
ペンペンとは、当時流行っていたアニメの主人公のしゃべるペット。アルトはそれを猫に命名した。ほぼ毎日遊びに来ていたので、ペンペンのことは響子や祖父母も知っている。
トウジによると猫はエサをもらえる場所を三ヶ所持っているらしい。その内の一つがここだったのだろう。
「アルト、お隣のおばあちゃんのこと覚えてる?」
「うん」
空き地の横の立派な家。当時はただ大きい家としか思っていなかった。
庭師が手入れしているであろう日本庭園、瓦葺きの大きな平屋。今見るとまるで武家屋敷のようだ。
「そこのおばあちゃん、今はデイサービスに通ってるの。時間が合えばお話するんだけど、ずっとアルトのことを気にかけているわ……。本当の孫みたいだった、ですって」
遠く離れていても思ってくれる存在に胸がうずいた。
ここに来るまで思い出せなかった近所のおばあちゃん。幼稚園から帰ってくる時間は彼女のお散歩の時間で、いつも”可愛いねぇ”としわくちゃの笑顔を向けてくれた。
「おばあちゃん……会えるかな? 会ってお話がしたい」
「もちろんよ。すっごく喜んでくれるわ」
響子は力強くうなずき、明るく笑った。強気な瞳だが、笑顔は歌子に似ている時がある。
アルトはもう一度窓の外を見ると、目元にこめた力をゆるめた。
きっと自分は今、ほほえんでいる。窓ガラスに反射したのは穏やかな表情をした自分だった。
またここに来ることができてよかった。玲嵐のことは心に杭のように刺さっているが、今だけは優しい思い出に浸っていたい。
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