第24話

 九月になるとアルトの学校では体育祭が行われる。


 運動が苦手なアルトにとって憂鬱でしかない学校行事の一つだ。


 だが、観ている分には楽しかったりする。


 リレーなどコースを使う種目だと選手が応援席の近くを走る。歓声にのせられた選手がパフォーマンスをすることがあるのだ。応援する声に手を振ったり、投げキッスをしたり。主に男子生徒が。


 それで盛り上がる観客の生徒を見るのがおもしろい。


 次の種目は紅白対抗リレー。出場する選手たちは入場してコースの中で整列していた。絶好のパフォーマンスタイムだ。クラスのおちゃらけキャラは事前にどんなことをするか決めていたりする。


「アルト……。ファンサチャンスだよ」


「ファンサ?」


「タイムにもらうんだよ!」


 恐れ多くてパーフェクト人間と付き合いたいと願う女子はいないが、モテるにはモテる。同級生にも後輩にもファンは多い。


「紺野せんぱーい!」


「いっけータイムー!」


 リレーは始まっていないのに選手への応援が始まっている。女子たちの黄色い声援が目立った。


「絶対気づかれないって。てかいいし……」


「なーに言ってるの! 中学最後の体育祭だよ!? 思い出作らないでどうするの!」


「ハルヒたち家族とお弁当食べたり、二人といられただけで十分思い出できたよ」


 先ほどの昼休憩でアルトと双子とその親たちで昼食を取った。麗音家はパンやおにぎりを、ハルヒたちはからあげ、卵焼きなどのおかずとデザートを用意した。


 今まで親を巻き込んだ付き合いはしたことがなかったので、楽しい昼食だった。


 買ったばかりのスマホでクラスメイトと自撮りできたのも楽しかった。ハルヒの一言で叶ったタイムとのツーショットはゆっくり見返したいと思う。


「そっそれもそうだけどアルトの甘酸っぱい恋の思い出も作りたいの!」


 この会話は市内大会を見に行った時を思い出す。サッカーの試合中、火事場の馬鹿力のように大きな声を出せた。今でも不思議だ。


「肇ー! 華が応援してるぞー!」


「一位になったら告白しろー!」


 リレーが始まると、生徒たちは控えエリアのギリギリに立って声を張り上げた。結局アルトは後方で赤いフラッグをパタパタと振るだけにとどまった。


 紅白は奇数のクラスが赤、偶数のクラスが白と分けられている。自分の組の色のはちまきを巻くのだが、女子生徒はカチューシャのように巻くのが流行りだ。


 応援グッズとして事前にポンポンや手持ちフラッグ、身長より大きなフラッグが用意されている。


「もう……。消極的なんだから……」


 ハルヒはつまらなさそうにしていたが、タイムの勇姿を拝めたので満足している。


「お前らー、そろそろフォークダンスだぞ。入場口に並べー」


 リレーの審判を終えた川添が控えエリアに来た。今日は部活中のようにポロシャツとジャージのパンツで、首からホイッスルを提げている。


 フォークダンスは毎年中三の伝統種目。


 入場口での待機中、気恥ずかしくてうつむいている生徒が多い。いつもはちょっとした隙間時間があればおしゃべりをする生徒でさえおとなしい。


 そんな思春期まっさかりの彼らを整列させながら、川添は口元を囲んで声を張り上げた。


「おーいショウ、お前は男子列だろーが」


「誰が男ですか!」


 はちまきをカチューシャのように巻いたショウがガバッと顔を上げる。


 いつものやり取りに笑いが生まれた。他のクラスでもこのくだりを知っている者は吹き出している。


 そのくだりで空気が和んだのを見届けると、川添は”整列完了です”と無線に話しかけた。


「ミカゲ……。足踏んだらごめん」


「いい。転ぶより全然」


 アルトは入場時、ミカゲとペアだ。


 中には好きな人と踊れるチャンスだと一瞬を心待ちにしている生徒もいる。しかし、アルトは相手に迷惑をかける自信しかなくてそれどころではない。


 先に謝ったらミカゲは前を向いて答えた。長時間太陽を浴びているせいか、彼の顔は真っ赤だ。


『ウチでフォークダンスの練習? いいじゃない』


 体育でフォークダンスの練習をした時、アルトは左右が分からなくなったり相手とぶつかりそうになった。しかもかなりの回数。体育教師も苦笑いだ。


 それをみかねてハルヒが自宅での自主練に誘った。


 リラもマコトもそれに賛成し、自らお手本を見せるなどノリノリだった。


『俺と踊ろうか?』


『いやいや、ミカゲでしょ』


 見本として踊った後、マコトがアルトの前でひざまづく真似事をした。キザな姿は彼によく似合っている。


 その手を取るべきか迷っていたら、ハルヒがミカゲを押し出した。


「……行くぞ」


 フォークダンスは入場する時、腕をクロスして手をつなぐ。


 入場曲と同時に川添から指示が出たが、周りのほとんどが指先だけをふれあわせている。


 その中でミカゲはアルトの手を取り、包み込んだ。アルトよりはるかに大きな手で。


 ためらいがない彼だが、手が小刻みに震えているのが伝わってきた。緊張しているのだろうか。それとも身長が低いアルトに合わせるために腕を伸ばしきっているのか。


 入場してコース上で円が出来上がると、最近一番聞いた曲が流れ始めた。遠くからは後輩たちの囃し立てる声が聞こえる。指笛を吹いて冷やかす者もいた。


 肇は後輩に名指しで呼ばれ、”華先輩と踊れるといいですねぇー!”とバカデカい声で暴露されていた。それに吹き出して調子を崩された者も何人か。


 当の本人は真っ赤な顔でうつむき、華は首をかしげるだけ。


 アルトはおもむろに両手を後ろへやり、再びミカゲと手を重ねる。彼は自主練した時と同じように指先を包み込んだ。前にいる男女はかろうじて手が離れないように、男子側が軽く指を曲げているだけだ。


「ミカゲ……」


「コケるぞ」


 曲に合わせて歩を進め、振り返った。硬い表情の彼があごをしゃくる。前を向けということだろう。


 アルトは顔を前方に向けると、小声でつぶやいた。


「ミカゲはちゃんと手を組むんだね」


「どういうこと?」


「ほら、皆恥ずかしくてできないじゃん」


 かくいう自分もそうだが。彼の返事を待っていると最後のターンに差し掛かった。足を半歩出し、同じだけ引っ込める。


 本当は彼も恥ずかしかったのかな、と半回転すると手を持ち上げられた。


「アルトとだけだよ」


 握られた手に力がこめられる。思わず見上げたら、彼の顔は相変わらず真っ赤で不機嫌そうだった。


「ちゃんと手をつなぐのは、アルトだけだ」


 ミカゲの言葉に最後の一礼を忘れた。呆けている間に彼は前に進み、次の女子の手を取った。彼女は一瞬だけ振り返ると、相手の顔を見て頬を赤らめた。


 ミカゲは他の男子と同じように恐る恐る指先だけを折り曲げていた。











 運動会が終わるとすぐに二学期の中間テストが行われた。


 毎回恒例、テツによるアルトの数学講座が行われた。今回は双子も加わって。


 テツはなぜか不機嫌で、タイムも参加したらますます口をへの字に曲げた。


「テツのおかげで頭良くなった気がするー!」


「俺も」


 ハルヒとタイムは大絶賛。テストの結果を握りしめた二人の顔は明るい。


「タイムは俺がいなくても余裕だろ……」


「期末も学年末も頼みますよ先生」


 今回も数学のテストの点数がクラス一位だったテツだが、その表情は不満げ。ミカゲはそんな彼の肩を揉みながら口の端を上げた。


 テストが全て返却されると帰りのホームルームで順位の紙が配布された。


 アルトたちはホームルームが終わると自然と集まり、”タイムはやっぱり一位か~?”と感心していた。


「タイムはどうしてそんなに頭いいの!?」


「噂で実はそんなに勉強してないとか聞いたぞ」


 双子たちはタイムの勉強法に興味津々だ。


「そんなことないよ。めちゃくちゃ勉強したからだよ」


「でも塾とか通ってないんでしょ? 自力でここまでなんて……。すごいよ!」


「ありがとう」


 アルトも常々そう思っていた。中学に上がってからは塾に通いだす生徒が多い。受験生になった今年から、という生徒もいる。


「アルトたちはよく一緒に勉強しているんだって? そういうの楽しそうだね」


「まぁね~。難しい問題は一緒に解説見たり、ママの差し入れもあるし。タイムたちも来る?」


 冗談交じりにハルヒがタイムとテツを誘うと、一人の女子が輪に割り込んだ。


「タイム~、教科の順位どうだった~?」


 アルトがぎょっとして輪から外れかけると、彼女はタイムに近づいた。


 明るい黄色の髪と赤い瞳。白い肌と合わさってまるでお人形さんだが、彼女の表情は下卑たもの。テツはあからさまに冷めた表情に変わった。


「数学はテツ様に勝てないね」


「じゃあ国語は!? ちなみにあたし、社会は一位でした~」


「やるね、平野ひらのさん」


 平野、と呼ばれた彼女は鼻の下をかいた。


 彼女はそれまでパッとしない成績だったが、塾に通い出したことでグンと上がった。テストの総合順位は毎回一桁台。


 彼女はテストの順位表が配られるとこうしてタイムに絡む。総合順位が勝てなくても教科の順位で一位を取った数で競うのだ。


「国語? 二位だった」


「えー? あたしは五位。誰だ一位……」


 隣にいますよ、とアルトは名乗らない。いい順位でもひけらかすような趣味はないからだ。アルトはじりじりとハルヒのそばに寄って背中に隠れる。


 平野はその後もタイムに順位を聞き出した。彼は嫌がることなく全て答える。結局、教科別の一位の数はタイムの方が多かった。悔しがる平野にテツは鼻で笑った。


「何よ!? テツなんかどうせ数学以外ボロボロじゃん!」


「おう、そうだぜ。好きなのだけ頑張れば十分だろ」


「いいのそんなこと言って? 受験近いよ?」


「勉強できてもなー。こんな下品な女じゃなー」


 テツは本気で言ってるらしい。目が笑っていない。いつもの憎たらしい笑顔も、わざとらしく口の端を上げることもしない。彼は嫌いなものに対してお世辞を並べることはしない人だった。


「タイムは立派だな。勉強ができることを鼻にかけてねーし、成績のことでバカにしねーもん」


「ほっ……本当のこと言っただけじゃん! あたしは現実を見せようとしただけだし!?」


「……能ある鷹は爪を隠す」


「アルト……!」


 思わず口からこぼれ、ハルヒに口を押さえられた。その瞬間に平野の顔は真っ赤に燃え上がり、アルトのことをにらみつけた。


 アルトも正直、平野のことを苦手に思っていた。タイムに絡むところも見ていて気持ちよくない。それがついつい口からこぼれてしまった。


「ド正論」


 テツはアルトのこぼした言葉にのり、うんうんとうなずいた。平野は肩をいからせ、怒りでプルプルと震え出した。


「……何あんた…………。タイムのこと好きなん!?!?」


 アルトはハルヒの手をはがそうと暴れていたが固まった。悔し紛れに言った言葉なんだろうが図星だ。しかも本人の前で言われるなんて。


 心の内を知っているハルヒとミカゲも同じような反応をしていた。


 今だけは自分がポーカーフェイスであることに感謝した。普通の人だったら顔が赤くなったり、派手に驚いた顔をしていただろう。


 アルトは力が抜けたハルヒの手を静かに剥がすと、くるっと背を向けた。


「……川添さんに職員室に呼ばれてるんだった」


 独り言のように口走ると、アルトは教室を出ようと出入り口へ向かった。手と足を一緒に出しながら。途中、机の脚に足の小指をぶつけながら。


「アルトー!?」


 ハルヒが後を追いかけ、隣に並んだ。ミカゲも続く。


「痛くないの!?」


 彼女には涼しい顔をして歩いているように見えるのだろう。アルトの顔と足を交互に見ている。


「超痛い」


「全然見えないぞ……」


 痛みさえ周りに伝わらないなんて、まるで表情が茨に囚われているよう。アルトは教室を出るとその場にうずくまった。

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