第23話

 中学校近くのパン屋には看板娘が二人いる。どちらも美人で、芸能事務所からスカウトが来てもおかしくないほどだ。


 歌子とその妹、響子がそう言われ出したのは二人が中学に上がった頃。


「行ってきまーす!」


 看板娘の一人、歌子は店を振り返りながら手を振った。両親は焼き立てのパンを売り場に並べながら振り返す。


 袖にぐるりと水色のラインがある白い半袖シャツ、水色のスカートと真っ赤なリボン。近年モデルチェンジしたばかりの夏服だ。


 スカートはギリギリまで短くし、足元は白いルーズソックス……と言いたいところだが、紺色の指定靴下。


 髪は流行りの歌手のように伸ばし、毛先はこっそり巻いている。寝ぐせと言えば生徒指導の先生の目をかいくぐれるだろう、と踏んでいる。高校生になったら茶髪にするのが夢だ。


「わぁ……。麗音先輩だぁ……!」


「今日も可愛いよな」


 歌子が走れば男女問わず目で追う。


 彼女は何をしても似合うし、何もしなくても目を引く。


 その整った顔立ちも、流行りの髪型も明るい性格も。どれも彼女にしかない、と誰もが認めている。


 そんな彼女なので告白されるのは日常茶飯事だ。授業後に校舎裏に呼ばれたり、ローファーにラブレターをつっこまれたり。それは同級生も先輩も後輩も関係ない。


 だが、歌子は自分の色恋沙汰には一切興味がなかった。全て断り、恋に悩む女子がいれば恋愛成就の手助けをした。


『絶対結ばれるよ!』


『ちょっとケンカしただけでしょ、大丈夫。素直になれば分かり合えるよ』


『そんな男はダメ! 幸せになることだけを考えて!』


 相手にとって都合のいい言葉を与えるだけではない。時には現実を突きつけ委員長を務め、中二の生徒会選挙では生徒会長に就任した。


 キラキラとした中学校生活に転機が訪れたのは、中三の夏休みだった。






 ハードル走で有名な藤原ふじわらトウジは伝説的な人だ。他校の選手だが、誰もがその名前を知っている。


 当時、陸上競技に熱を入れていた川添は彼の走りに目を奪われた。


 鹿のように軽やかな跳躍、完璧な歩幅。足の筋肉が引き締まっているのは言わずもがな。こちらのレベルの低さを思い知らされたが、落ち込むことはなかった。


 彼の走りを見ていると気持ちがいい。真剣な眼差しは走るのが好きなことが伝わってくる。自分も走りたい! と自然と体がうずうずしだす。


 伝説的な人、というのは何もハードル走のレベルの高さだけではない。


 彼はあの歌子を射止めたのだ。同じ中学の男にはなびかなかった彼女を。


「えっ!? あれって麗音先輩と……藤原トウジ!?」


 川添の横で部活の友人が飛び上がった。


 今日は地域の夏祭り。川添はラムネをあおり、二人が歩くのを見つめていた。


 浴衣姿で花の髪飾りをつけた歌子と、半袖半ズボンというラフな格好のトウジ。初めて来た他校の様子が珍しいのだろう。校舎やグラウンドを見渡している。


 横にいる歌子は彼の様子を見つめ、笑顔を浮かべている。ただ隣を歩くだけで嬉しそうだ。


『ねぇ! あの人の中学はどこで控えてるの!?』


『麗音先輩!?』


『早く!』


 この前の市内大会のこと。出番が迫った川添の緊張感をぶち壊したのはあの有名人だった。同級生の姉でもある。


『あの人って……』


『今ハードル走で優勝した人!』


 ”あそこです”、と指さすとお礼もそこそこに彼女は駆け出した。”次の配達先に行くぞ”、という両親の声を無視して。


「マジかよ……。付き合ってんのかよ……。藤原トウジめ、この前優勝したから口説くの成功したのかよ……!」


 友人は割と本気で悔しがっていた。周りには同じようなのが何人もいる。一部は地面に突っ伏し、”この世の終わりだ……”と声にならない声を上げた。まるで屍だ。


 しかし彼らは知らないだろう。このカップルは逆ナンで成立したことを。


 川添は冷静だった。歌子は可愛いと思うし憧れたことはない、と言ったら嘘になる。だが彼は歌子の妹、響子派だった。


 キツ目の美人という表現が似合う、ちょっぴり怖い彼女。そんな彼女は友だちが少ないようだった。休み時間は一人で読書をしていることが多い。最近は視力が下がってきたのか、赤いふちのメガネをかけるようになった。


 夏祭りに来るだろうか、と期待していたが姿はなかった。


 彼女は一部の男子から絶大的な支持を誇る。彼らは少数で、響子について語り合うことはしない。だから川添も自分以外に誰が響子を好き、なんて知らなかった。後輩ができるまでは。


『川添先輩は響子先輩が好きなんですか?』


 同じ陸上部で一年生の鷹野だ。彼はだまっていたら男装女子にしか見えない。色白で小柄で甘い顔立ち。入学当初から先輩女子たちから人気がある。


 鷹野はある日、部活の休憩中に話しかけてきた。川添は勢いよく喉に流し込んでいたお茶を派手に吹き出してしまった。


「ごふあぁ!?」


「あ、やっぱり? 熱い視線がバレバレなんすよ~」


 鷹野は咳き込む川添の横に腰を下ろし、ニタニタとした笑みを浮かべた。


「……なっ。……何を根拠に」


 激しく咳き込んだせいで気管支が痛んだ。痛みが肺にまで到達しそうだ。


「響子先輩が帰るとこ、よく目で追ってますよね?」


「知らねぇよ……」


「ごまかさないでください。俺もそうだから分かるんですよ」


 聞き捨てならない言葉に痛みを忘れた。川添は坊主に近い頭をかきむしると、熱くなった顔で校舎をにらみつける。


「俺、めっちゃ好きなんです。響子先輩のこと」


「……ふーん」


「おもしろくないんでしょ? もっと噛みつけばいいのに」


「るせぇ、つかその”響子先輩”ってなんだ。馴れ馴れしいな」


 初めてのライバル。言い当てられた心情。川添は鷹野のことをギロリとにらみ、水筒を置いた。


 鷹野は相変わらず飄々としており、川添の怒りに恐れる様子はない。同級生ですら強面の体育教師より怖いと恐れているのに。


「麗音先輩って呼んだらどっちか分からなくなるじゃないですか」


 不意に彼は遠くを見つめる顔になり、膝を抱えた。急にしおらしくなってなんだ、と気を許しそうになった。が、彼は憎たらしい笑顔に戻る。


「あっ、もしかして川添先輩……。響子先輩のことを名前で呼んだことないんですね? だから悔しいんだぁ!?」


「てめぇ……。鷹野ー! ぶっ殺ーす!」


 鷹野はひょいっと立ち上がると、グラウンドの中央に向かって駆け出した。


 追いかける川添はこの世のものとは思えない悪魔の形相を浮かべていた、と後で同級生に教えられた。











 川添はアルトと鷹野と共に校長室を後にした。


 後輩がいるせいか生徒だった時のことを思い出していた。


 鷹野とは部活の先輩後輩の関係だが、部活以外でも彼は絡んできた。体育祭、文化祭などの学校行事、学年合同の授業など。周りには兄弟みたいとか仲いいねとほほえましく思われていたようだが心外だ。


 鷹野は川添をからかったり、響子と話しているところを見せつけて反応を楽しんでいる。他の者には見せない黒い笑みは憎たらしいたらありゃしない。


「アルトちゃんは部活は? もう引退したのかな?」


「帰宅部です」


 アルトは鷹野に話しかけられ、表情筋をぴくりともせず答えた。


 ちなみに陸上部は川添が卒業した数年後に廃部になった。部員の数が減り続けていたからだ。サッカーブームでサッカー部の部員が増え、グラウンドを広く使いたいから、というのも理由らしい。


「鷹野さんはどうして警察になったんですか?」


 校長室のすぐそばにある来賓用の玄関。革靴に足を差し込んだ鷹野に、アルトが唐突に話しかけた。


 珍しい。古い知り合いとは言え、長年話していない人物に話しかけるなんて。鷹野をさっさと見送ろうとした川添はアゴをなでた。


 鷹野は爪先を打ち付けるとジャケットの衿を整えた。


「響子さんを守れる男になりたいからだよ」


 その表情はまるで、目の前に響子がいるように優しく細められている。


 告白とも受け取れる言葉。アルトは”はえ~……”と口をぽかんと開けていた。


「俺って男の平均身長より小さいんだ。走るのもめちゃくちゃ早いわけじゃないしパワーもない。でも警察を志せば武道を身につけられる。今は俺よりデカい男を投げ飛ばせるんだ。そこの中年太りの途中も余裕だよ?」


「なんで俺は警察に絡まれてんだよ」


「響子さんのこと、好きなんですか」


 川添は前髪をかきあげ、頭を抱えた。アルトの声はワクワクがもれている。そういうことを好奇心で聞いてしまうところはまだまだ子どもだ。


 大人に聞くもんじゃない……と、驚いた顔の鷹野に一ミリだけ同情した。


「好きだよ」


「お前まだ……!」


 しかし、鷹野は包み隠さず愛を口にした。


 今度は川添が掘り下げたくなる番だった。奴が響子を好きなのは知っていたが未だに?


 彼はスラックスのポケットに手を突っ込み、片頬を上げた。おもしろがっている目は中学時代から変わらない。


「まだ、ってお互い様でしょ?」


「ぐっ……」


「川添さんのライバル……」


「やめろお前!」


 アルトに胸の内がバレていることは薄々勘付いていたが、いざ口に出されると恥ずかしいものがある。


「えー!? 三角関係!?」


「川添がアルトと仲良くしてんのはそういうことか……」


「お前ら隠れてた意味……」


 角からハルヒ、テツ、ミカゲが現れた。興奮気味のハルヒは鷹野にはしゃいでいるわけではないらしい。さすが二次元にしか興味がない女子だ。


 そういえばテツは鷹野と同じタイプだ。ニヤけた顔が時々似ている。彼は驚き過ぎて陰での呼び方が出てしまっている。


「……お前らいつから聞いてた」


「「「アルトちゃんは部活は? もう引退したのかな?」」」


「最初からかよ!」


 川添がシャウトすると、鷹野が手を叩いて笑った。ハルヒとテツは舌を出し、ミカゲはため息をついた。


「すみません、立ち聞きするつもりはなかったんですけど……」


「一人だけ優等生ぶんなよ。アルトがイケメン刑事と知り合いだって知って気で気じゃなかったくせに」


「お前こそ刑事さんがアルトに笑いかけた時歯ぎしりしてただろ!」


 二人の言い合いに鷹野は吹き出した。


「川添先輩……。あの時と同じですね」


「……本当だよ」


「あの時? なんですかそれ」


 アルトは今にも掴みかかりそうな二人をなだめている。ハルヒはススッと川添たちの近くへ避難した。


「麗音家の女は男を狂わす……。アルトの母も叔母もよくモテていた」


「へー!」


「アルトちゃん、可愛いというよりはトウジさんに似てキリッとした顔立ちだからなぁ……。響子さんみたいに隠れ熱狂ファンがいそう」


 ハルヒは激しく首を縦に振り、小声で二人に話しかけた。


「まさにそうかも! ミカゲは十年くらいアルトのことを忘れられなかったし、テツはフラれたけどまだあきらめきれてないみたいなんです」


 鷹野は納得、と言わんばかりに笑った。


 彼は”いずれまた”と、最後にミカゲとテツをニヤケ面で見て去った。

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