第25話
アルトは川添に職員室に呼ばれ、オープンキャンパスについてのプリントを渡された。
「来月行われるけど行けそうか?」
「はい。バスで行くので」
「そっか。気を付けてな」
アルトが見学に行くのは夏休み前の保護者会で勧められた私立高校。
ハルヒは夏休み中のオープンキャンパスで見学したそうだ。
『校内見学の途中で休憩って言ってジュースくれたんだよ! 先生たちも優しくておもしろかったから絶対ここにするんだ~』
他にも部活中の先輩が”どこの中学?”と話しかけてくれたり、アニメーション部の見学をした時に他校の生徒と推し語りできたと嬉しそうに語った。
アルトもこの高校を第一希望にするかもしれないと話したら、もっと喜んでいた。”一緒の高校に行きたかったんだ”、と。
ミカゲは公立の進学校を希望していると本人から聞いた。
『将来、父さんの会社を継ぐとかは分かんないけど……。会社の立ち上げに興味あるんだ。大学に行って経営学を学びたい』
そう語る彼はもう、遠い未来を見据えていた。
テツは市外の私立に行き、サッカー部に打ち込みたいと話していた。勉強は嫌いだがサッカーは好きだから、と。
タイムの進路は知らない。彼の成績ならどの高校も行けるだろう。難関高校を受験する、と言われても驚かない。
他のクラスメイトの進路希望はあまり知らない。
この時期、どこの高校を目指しているかなんて聞きづらい。受験モードでピリピリしてきたからだ。成績の関係で諦めなければいけない生徒もいるだろう。平野はトップレベルの公立を受験すると言いふらしていた。
十月のある日曜日。アルトは昨日、私立高校のオープンキャンパスへ参加した。同じ中学からも何人か参加しているが、ほとんどが話したことがない生徒だった。
だが、知らない場所で同じ制服を見た時の安心感が心にしみる。アルトたちは自然とかたまり、一緒に受付をした。
ハルヒの言ってた通り、高校の教師たちはユーモアを交えながら校内を案内してくれた。途中何組かの見学グループとすれ違い、その先頭に若いイケメン教師がいた時は女子たちが湧いた。
部活の見学でアルトは手芸部に興味を惹かれた。手芸部ではフェルトで小物を作ったりかぎ針でマスコットを編んだり、推しぬいを手縫いで作っている。
その中で特に目を引いたのはフェルトで作った文字のない絵本だ。見学者への見本として置かれたそれを手に取ってめくった。他よりも厚いフェルトに、薄いフェルトを果物や動物の形に切ったものが貼られている。暗い色のフェルトで影を表現しているのがすごい。
「こんにちは」
凸凹をなぞっていると声をかけられた。手芸部の部員だろうか。アルトの手元を見て笑顔を浮かべている。
「それ、私が作ったんだよ。どうかな?」
「すごい……です」
正直、先輩という存在と話したのは久しぶりだ。帰宅部できょうだいがいないアルトにとって、先輩と関わるチャンスはそうそうない。
アルトの表情が変わらなくても褒められたことが嬉しいらしい。柔和な笑顔を浮かべると、”子どもたちにも喜ばれてる”と絵本を指差した。
「ボランティアで近所の幼稚園に寄付することがあるんだよ。絵本だけじゃなくて編みぐるみとかも」
子どもに、か。なのかも喜びそうだ。改めて手元を見つめると、先輩はアルトの顔をのぞきこんだ。
「こういうの作るの好き?」
「あ、いえ。やったことないです……」
「器用そうだし向いてると思うなぁ。子どもも好きそうだし」
どれも初めて言われた言葉だ。
無表情で口数も少ないから、いい印象を持たれるのは珍しい。アルトは内心嬉しく思いながら会釈した。
「ウチに入学したら手芸部においでよ! 楽しいよ~」
「……来年も先輩はいますか?」
「うん! 二年生なの。待ってるよ」
引率の教師に呼ばれるまでアルトはその先輩と話し込んでいた。
見送ってくれた先輩の笑顔はあたたかかった。手を振ってくれた彼女に遠慮がちに振り返すと、引率の教師が優しくほほえんでいた。
(あの私立に行こう。ハルヒと通って……。あの先輩ともっと仲良くなりたい)
そのことを川添に伝えたら、あの高校に余裕で合格できる成績だから、後は残りの中学生活を真っ当に送るよう言われた。
いよいよ進路を決め、アルトは週末に菊理神社を訪れた。もちろん受験合格祈願だ。
菖蒲の姿がないことにホッとしたが、蘭花に会えないのは残念だ。
蘭花は来年から本格的に巫女として働くと話していた。だから就活はしない、と。
アルトはお金をお賽銭箱に転がし、二礼二拍手をして目を閉じた。
(受験合格できますように。ハルヒとミカゲも希望している高校に合格しますように)
タイムやテツの分も願う。入れたお賽銭以上の願いを心の中で唱えると、最後に一礼した。
(もう……あとちょっとか。タイムと当たり前に会えるのも……)
拝殿に背を向けると空を見上げた。
どんよりとした曇り空で、町全体が灰色に見える。今にも雨が降り出しそうだ。
その前にさっさと帰らなければ。アルトは一歩踏み出した。
鳥居に向かって歩いていると、二つの人影が階段を上がってくるのが見えた。
一人は柔らかな茶髪に温和な笑みを浮かべ、アイボリーのジャケットにジーンズを履いた男。もう一人はチョコレート色の髪とスーツの小柄な男。
(タイムのお父さんと鷹野さん……?)
アルトは思わず立ち止まり、彼らを凝視した。
不思議な組み合わせだ。大学教授と刑事。友だち、と言うには二人の年齢差は開いている。
挨拶しようか迷っていたら相手から声をかけられた。
「あ、アルトちゃん。奇遇だね」
「……こんにちは」
鷹野が笑顔が手を振った。口元には笑みを浮かべているが、目は笑っていない。特別授業の前に見せていた好戦的な瞳と同じ。アルトは体が強張るのを感じた。
「お二人はお知り合いなんですか?」
「ん? あぁ。紺野先生には時々、捜査に協力してもらってるんだ」
そう言われればこの組み合わせも意外ではない。警察に協力する大学教授なんてまるで刑事ドラマのようだ。
タイムの父、匡時は柔らかい表情を浮かべているがアルトを警戒しているようだった。
息子とよく似た彼だが、彼の笑顔は何かを隠すために張り付けているように見える。
居心地が悪かったので”では”とさっさと立ち去ろうとしたが、匡時に呼び止められた。振り向くと鷹野は不思議そうに首をかしげていた。
「アルトちゃん。君のご先祖は刀鍛冶だったね」
「はい……」
修学旅行で偶然会った時にも聞かれたことだ。怪訝に思いながらうなずくと、匡時の目が鋭くなった。鷹野の好戦的な瞳など可愛く見えるくらい。
「そのご先祖について何か知らないかい?」
「いえ……。全く」
「本当に? 何か隠してないだろうね。例えば刀を関西の方に卸していたとか……。ご先祖がうった刀を殺し屋が使っていたとか」
「しっ知りません」
「先生!」
詰め寄る匡時を止めたのは鷹野だった。
アルトは二人から距離を置き、首を振った。匡時ははっとして目を見開いたが、話を続けた。
「俺が刀鍛冶について調べ回っているのは以前話したね。ある刀を追っているのだが、それは玲嵐という」
「れい、らん……?」
思わず繰り返したがなんとも言いづらい単語だ。どんな字を書くのかも想像できない。
しかし、どこか懐かしいような苦しくなるような響きを持っている。
一体彼は何を言いたいのだろう。上目遣いになったアルトは匡時が口を動かすのを待った。
「妖刀だ。そして、君のご両親の事件に関わった刀でもある」
「……!」
「紺野先生、それはさすがに……!」
その瞬間、アルトの頭に激しい痛みが走った。思わず目を見開き、その場にうずくまる。突き刺すような痛みにこめかみを押さえると、鷹野がそばにしゃがんだ。
家に充満した鉄のにおい、血まみれの両親、妖気をまとった刀、父親の最後の絶叫。ずっと心の奥底で眠らせていた記憶が、否応なしによみがえってくる。
死なないで、一人にしないで。ずっと押し殺していた願いが頭の中でこだまする。どんなに願っても、たとえ命を捧げても叶わないのに。
(おか……さん、お父さん……)
突然失われた日常。なぜ突然トラウマがよみがえったのだろう。
苦しむアルトに匡時は同情するよう、ひと時だけ目を細めた。
「単刀直入に言う。タイムに関わらないでくれ」
鷹野に背中をさすってもらったら少し楽になった。しかし、突拍子のない匡時の言葉に思わず顔を上げた。
「妖刀……玲嵐はずっと君のことを追いかけている。タイムは何かと君のことを気にかけているようだが……。ウチの息子を巻き込まないでくれ」
彼は目だけでアルトを見やると、背を向けた。これ以上話すことはない、ということだろう。
しかし、玲嵐が追いかけているとはどういうことなのか。
アルトが疑問を投げかける前に、彼は拝殿に上がった。
彼女は大きな深呼吸を何度かすると、立ち上がった。鷹野が不安そうに支えてくれたが、”大丈夫ですから”と足早に鳥居をくぐった。
歩き出すと不思議と頭痛はなくなり、呼吸も正常に戻った。
だが、心は痛いままだ。
(タイムに関わらないで……)
匡時の言葉を心の中で反芻し、うつむく。道路前の鳥居をくぐって外に出ると、頬に冷たいものが当たった。
雨だ。我慢しきれなくなった黒い雲がとうとう泣き出した。しかし、アルトは濡れるのも構わずのろのろと帰路についた。
鷹野はここ最近、妖刀のことで地元に帰ることが多い。
幕末の頃に殺し屋が振るっていたらしい刀。それはアルトの両親を死に追いやり、アルトがこちらに引っ越してきたのと同時に、菊理神社に預けることになった。同席していたのでよく覚えている。
彼は地元の夏祭りが終わった頃に連絡を受け、匡時と神社に訪れた。
『先生のせがれとあの娘は何か関係があるかの?』
『さぁ……? よく話すみたいですが』
その時に聞かされた話は現実味がないが、鷹野以外は信じているようだった。
『アルトちゃんがタイム君と一緒にいた時、玲嵐が熱くなったんです。その後にタイム君が一人で来た時も、ひとりでに熱くなったので彼も何かしら関係あるのかと……』
巫女の蘭花は落ち着きのない様子で教えてくれた。
彼女には巫女としての素質が充分すぎる程備わっているらしい。知的な瞳は嘘を語っているようには見えない。
(だからって息子を引き離すもんかね……)
鷹野は底の読めない笑顔の男を盗み見た。自分に子どもはいないしもうける気もないが、彼の行動は過保護だと思う。
この日、神社には菖蒲しかいなかった。蘭花は彼氏とデートらしい。
玲嵐の様子を聞くといつも通りだと言われた。その途中で匡時は電話で席を立った。
「刑事さんや。玲嵐の本当のことについて教えてくれんかのう」
「本当のこと?」
「とぼけてもムダよ」
菖蒲は全てを見透かしているような目をとじ、お茶をすすった。
「玲嵐は勝手に外に持ち出されたんじゃろう? それは警察によるものじゃないのかえ? 警察署に押収されていた刀が簡単に持ち出されるとは考えづらい」
鷹野は降参した笑みで前髪をかきあげた。
「……ははっ。神職の方の目はごまかせませんねぇ」
彼女の言う通りだ。あの事件の真犯人は警察。世間には犯人は見つかっておらず、未解決事件と報じられた。
鷹野は巡査時代からその噂を耳にしていた。それがガセでないと知ったのは、階級が巡査長に上がって刑事として署に勤務するようになってからだ。
「これもおとぎ話みたいなものですよ……」
彼は匡時がまだ戻ってこないことを確認してから口を開いた。菖蒲にだったら話してもいい。し、そもそも彼女に隠し事はできない。
「その日、署では特別講師による剣道の指導が行われていました。その時、気分を悪くした巡査がいたんです。彼は虚ろな目をして休憩室に向かうと思いきや……押収品を保管している部屋に忍び込んだ。監視カメラの映像ですが、巡査は迷うことなくある一角へ向かった。そこにあったのが玲嵐です。まるで妖刀に呼ばれ、操られたようでした……」
「……ふむ。玲嵐にはやはり力が備わっているようじゃな」
菖蒲は何も驚いていないようだ。署内では監視カメラの映像を見ても頑なに信じない者もいたそうなのに。
「……でしょうね。巡査は白い道着を着ていたのに、当時のアルトちゃんは黒い服だったと話しています。しかも警察署からあの一家の家は車で三十分以上かかる。それなのにはるばる歩き、あの家に押し入った。途中で誰かに見つかることもなく……」
「やはりあの娘を追っている、というのは本当のようだの。白の道着が黒に見えた、というのは……妖気にとらわれていたんじゃろう」
「今も玲嵐には妖気というのが取り憑いてますか?」
「もちろん。悪さをする気はないようだがの」
鷹野は最後に”この話は内密でお願いしますね?”と念を押した。
一部の都市伝説好きやオカルト雑誌には、事件の裏側を一部知られている。公式発表にはない内容なので誰も信じちゃいないが、いつ暴露されるか分からない。
ちなみに例の巡査はアルトの家の玄関で自害していた。腹をかっさばいて。アルトは父親のそばで血を浴び、気絶していた。
菖蒲は”言われずとも”とうなずいてお茶を飲み干した。
「あの娘を追っているが殺すつもりはないのだろう。娘だけ生き残っているということは……。だが、表情を殺されたな」
「表情を殺された?」
オウム返しすると、彼女は急須を傾けた。注がれたお茶は抽出され過ぎたのか色が濃い。
「あの娘は笑わん、顔が動かん。以前は活発な幼子だったとか……」
アルトが無表情なのは鷹野も気になっていた。祖父母や響子たちから事件のショックのせいだろう、と聞かされていた。
「どうしたら元のアルトちゃんに戻りますか?」
気づいたら前のめりになっていた。アルトの表情のことは響子がこぼしていたことがある。姪の笑顔が見られなくて寂しい、と。
「さぁ……。確かなことは言えんが、玲嵐がきっかけじゃないかの。すべての鍵は玲嵐が握ってる気がするよ」
菖蒲は”いっそ娘と玲嵐を引き合わせたらどうだ”と提案した。
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