第17話 夜が明けて
翌朝、俺は頬をペロペロと舐められて目覚めた。
昨夜はトビが心配で、ずっとそばで見ていたが、いつの間にか寝てしまったようだ。
目を開けると眼前に三毛猫の顔があって、俺は飛び起きた。
「トビ、お前、出てきたらだめだろ。え、いや熱は大丈夫か?」
トビが、弱々しい声で「にゃー」と鳴いた。
朝早くから鴨高生たちが、昨夜の余韻がまだ残る神泉苑に、次々と集まってくる。
そんな中、俺は、池の前で、心配しながら待っていた。
昨日、学校に戻った時に確認したが、天見の母からの連絡はまったくはいっていなかった。
娘が夜帰らなかったのに、学校にも連絡をいれていない。いつもの勢いならすぐにでも問い合わせがありそうなものだが、……ようするに外に知られたくないということなのか。結局その後も、本人からの連絡もなく今朝を迎えていた。
片付けに集まる生徒が増えだした頃、やっと、天見の顔を見つけた。
天見はそばに来ると、静かな笑顔で「大丈夫でした。いっぱい言われたけど」と言った。
その白い顔は疲れから、随分やつれて見えるが、表情は柔らかかった。
「不思議なんです、いつもだとすぐに白黒の世界になっちゃうのに、昨日は母さんが怒り出しても、そうならなくて……、私、竜王様が降りて来た時のこと思い出してたんです。そしたら、白黒じゃなくて、蒼い空色の中にずっといられて……」
「そうか、竜神様の力を受け止めたおまえだ、人の力ぐらいで倒れないよな」
天見は、にこりと笑って、半袖シャツの腕でガッツポーズをして見せる。
そこへ、伊山、南條がやって来た。
天見もその中で笑っている。
俺は、その姿にほっとして、とにかくいろんなものに感謝した。
トビのことを3人に話す。
トビは、今朝、久しぶりに少しフードを食べたのだ。
「でもな、あいつ元気になった途端、じっとしないんだよ。お札のそばでじっとできないもんだから、今日はかわいそうだが、バスタブに閉じ込めて来たんだ」
3人は安心して、笑い合った。
トビの話をしていると、生徒会の日野、岡崎がやって来た。
「昨日はお疲れさま、ネットの方は、まだまだ差があるよ。やっと30万を超えたところ。それだってすごいんだけどね。少なくとも、私たちに言葉をくれた20万人分の願いを伝えたかいがあったよ。あとはこの一週間以内で、雨が降るかだな」
「大丈夫です。きっと降りますよ」
天見の力のこもった言葉に、日野がちょっと驚いたように言った。
「いつも控えめなソラが、そう言ってくれると、なんだか凄く頼もしいね」
「え、私そんな控え目ですか」
「ああ、そこにいるお友達たちと比べてっていう意味だけどさ」
「何ですか先輩、まるで私が、厚かましいみたいじゃないですか」
伊山の言葉に、みんなが吹き出した。
片付けと掃除は昼には終わった。みんな、道具を持って学校へ帰っていく。
◇◇◇◇◇
ソラは、最後に、鯉の主様やアヒル母さんに挨拶をすると、小町さんと改めて池を眺めた。
池は、昨日と変わらず、静かに水を湛えている。心なしか水面が綺麗に光って見えるのは、気のせいだけではないだろう。
「さあ、最後にそれを出して」
小町さんの言葉に、ソラは、ポケットから昨日、池の底で拾った物を出した。
小さな碧い玉、何でできているのだろう。水底で呪いの石を探していた時、見つけた物だ。これも大事な物だと感じて、そのまま持っていた碧い玉を取り出した。
「それはね、空海様が、この池の守りとして、水の湧き口に置かれた数珠よ。おそらく長い時の中で残った最後の物かもしれないわね。
でも確かにその玉からは、空海様のお力を感じるわ。昨夜龍王様が降りてこられた最後の決め手は、あなたがそれを持ってお迎えする形になったからかもしれないわね。空海様との縁があるから、龍王様はまた戻ってくださったのよ」
ソラは、鯉の主様に頼んで、その玉を、あの水の湧き口のところに戻してもらった。
「これで、しばらくは龍王様もここにいてくださるでしょう」
「うん、雨、大丈夫よね」
小町は静かに頷いた。
空は青く澄み渡り、まだ、雲は見えない。
でもきっと大丈夫だ。ソラはそう思っていた。
学校に戻り、ソラたちが教室で最後の片付けをしていると、外で、誰かの大きな声がした。
「雨だ!」
生徒たちが、次々とグランドに出て行く。みんな空を見上げている。
グランドに出たソラも、大きな蒼穹を見上げた。
どこまでも高い真っ青な空には、巨大な入道雲が天頂目指して盛り上がっていた。まるで龍のようだ。
雲の山の頂が太陽の光を反射し、輝いて見えた。
「雨だ!」
また、声がした。見上げるソラの頬に大きな雨粒が当たった。雨だ!
突如、バラバラと雨粒が空からばら撒かれた。
そこからは、すぐだった。あたりは瞬く間に、大量の激しい雨に見舞われた。
すごい雨だ。顔に当たる雨粒が痛いほどの。でも、みんな中に入らず、雨の中にいた。手を取り合って喜び、グランドはたちまち大騒ぎだ。まだ校舎にいた者たちも、次々と飛び出してくる。
「やったわ。ソラ、雨よ」
朱莉は、もう泣いていた。
「ほんとに雨降ったな」
美紅は、じっと空を見上げていた。
「ソラ、ありがとう」
日野先輩が駆け寄って来て、握手をした。
「みんなのおかげだよ。ほんとやったよ。凄いよ。最高だよ」
興奮した日野先輩は走って行く。学校の全員と握手をして回るつもりだ。
「ソラ、みんな、ありがとう。ネットの方も、さっきうちが上回ったわ。大逆転ね。小町の絵、守れた。良かったね」
そう言って岡崎先輩は、ソラたちと握手をすると、日野先輩を追って行った。
「これで、きっとトビも大丈夫よね」
朱莉の言葉に、ソラはうなずく。
「やっぱ、最高だよ、この鴨高は」
美紅の言葉に、三人は肩を組み、空を見上げた。
全身を打つ雨粒を、天からもたされたこの雨を、ただ感じていた。
お祭り騒ぎの雨のグランドで、柊の背中を見つけたソラは、駆け寄って声をかけた。
振り向く柊に、ソラは黙って右手を差し出す。
柊も黙って手を出し、二人は握手を交わした。
「ありがとね、柊くん」
ソラはニコリとして、みんなの方へ戻って行った。
俺は生徒たちが、グランドで泥まみれになってはしゃぐのを見ていた。
本当に降りやがった。
本当に降ったよ。
中倉先生が俺の肩を叩いて「やりましたね」と嬉しそうに言った。
「ええ、ほんとに降るとは、思いませんでしたよ。すごいですね。あいつら」
グランドの真ん中で、あの3人が肩を組み、土砂降りの空に向かって何かを叫んでいた。
「よし、中倉先生、俺らも外行きましょう」俺は、笑う中倉先生と一緒に雨のグランドへ飛び出した。
■雨の鴨高 エピローグ
まだ朝早い校舎は、生徒も少なく、動き出すのはこれからだ。
街並みの向こうに霞んで見える山の連なりから、雲がどんどん湧き上がっている。
雨も少し小止みになったか。空が少し明るくなり、東の大文字山の山腹から上がる雲は、まるでこの大地が湯気をあげているように、あちこちから湧き上がり、空へ消えていく。
廊下で一人、降る雨をぼんやり眺めながら、俺は、この一週間を思い返していた。
雨乞いから降り出した雨は、あれから一週間、降り続いていた。
雨は広く日本列島を覆い、あちこちで災害も起きている。だが、この恵みの雨は、確実に大地を冷まし、潤わせた。
小町さんによれば、気脈の要の龍王が復活の叫びをあげたことで、各地に滞っていた気の淀みが次々と流れ出したようだ。
今回の雨乞いは、ネットでも大変な盛り上がりを見せた。
それはたちまち全世界に大きな波となって広がり、思わぬ効果をもたらすことになった。ネットを通じて「祀り効果」が世界に広がったのだ。
小町さんいわく、地球自身がブルルと身を震わせたかのように、世界中の気脈が活発に動き出したのだという。ネット時代にもいいことはある。それに気づいた小町さんは、今後もネットをじっくり研究すると言っていた。
そんな影響なのか、台風やハリケーンが世界で発生し、熱波に苦しんでいた世界各地に雨を降らせることになる。雨量というより同時に大地を冷やしたことが良かった、と小町さんが言う。
「この大地の危機を、今回は冷ますことができたわ。でも、相変わらず、陰の気は多い。これも、あくまでもひとときのことね」
「うん、でも今は、この今をみんなと楽しもうって思うんだ」
そう言う天見を、小町さんは優しく微笑んで見ていた。
俺は天見が力強くなったのを実感する。いや、元々のものを出せるようになっただけか。彼女のことはあれからも、花山先生と相談しているが、今は様子をみようということになっている。
天見が、親から離れようとしだした今、おそらく母親からの締め付けは増々強くなるだろう。 だからこそ彼女が安心していられる環境と、彼女のケアは慎重に、しっかりとしなければいけない。
泉さんもトビも、この一週間ですっかり元気になった。
トビには、明日にでも地元に帰って天見のことをしっかり見ておいてもらうつもりだ。相棒がいなくなるとパンの奴が寂しがるが、まあしかたない。
そういえば、あの成らずの柿の実だが、この雨で、すっかり落ちてしまったと、伊山が教えてくれた。
「それでさ、あの池田副会頭がさ、私たちにまた会いたいって。
負けを認めて、逆に今度、京都のために力を貸せって。どこまでも上からだよね」
そんなことを言っていた。
なんとか終わったんだな。
明るくなってきた空から、ほんの少し、青空が見えている。
そこへ、後ろから声をかけられた。
「いたいた、葉山先生、ちょっと見てほしいものがあるんで、来てもらえます」
天見だった。
俺は、引っ張られるようにして、実習室に来た。
「では、どうぞ」
そう言って、天見は、いつものスケッチブックを机の上に広げた。
そこには、小町さんがいた。
「どうした、小町さん、何かあったんですか」
「確かに、何か、あったわね」
小町さんはそう言うと、すくっと立ち上がり、ぴょんと跳んだ。
次の瞬間、紙の上に、小町さんが実体化した。
えっ!
机の上に、三次元の小町さんが、立ってこちらを見ている。
「うわっ! これどういうこと?」
取り乱す俺に、横から天見が腕を出すと、小町さんは彼女の腕に飛び移る。
大きさこそ、いつものスケッチサイズだが、紙の中じゃない。
三次元モノクロの小町さんがそこにいた。机のスケッチブックは真っ白になっている。キョトンとして事態が飲み込めない俺に、小町さんは笑って話した。
「ソラは、神子(みこ)として成長したのよ。まあ、『天のお使い』を成し遂げたのだから当然といえるかな。格が上がると『使い』を実体として呼び出せると聞いたことある。かつて阿部清明が使った式神というのも、その類ね。我も、さすがに驚いた。ソラのおかげで、こうしてちゃんと現世へ出ることができたわ」
「ええ〜!!」
驚く俺を、小町さんは楽しそうに見ていた。
天見は、ちょっと自慢そうに小町さんを腕に乗せている。
なんの騒ぎかと、今日もついて来ていたパンが、俺の胸ポケットから顔を出して小町さんを見るなり、「キー!」と悲鳴のような鳴き声をあげて固まった。
朝陽が、差し込む校舎に、生徒たちが登校して来たようだ。校舎にいつもの賑やかな声が響き始める。
新しい今日、ワクワクする今日が、また始まろうとしていた。
蒼穹のお使い 《お使い№1》 @saiha48
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