第7話 塁編
烏星 遥(えぼし はるか)と初めて会った日のことは今でもはっきり覚えている。
彼女はとても不思議な子だった。
あれは小学校にあがる少し前のこと。その年の正月、佐羽さんが着物を来た小さな女の子の手を引き挨拶に来た。
男ばかり4人兄弟2番目の俺だが、幸いにも過疎の進む田舎町にしてはまだ子供たちもそこそこいる中で育ち、近所には同じ年ごろの女の子もいた。当時は男女の差もあまり意識することなく遊んでいたが、女の子とは、それなりに自分とは違う性の人種であることは理解していた。
だが遥を見た瞬間、ちょっとしたパニックに陥った。
市松人形がそのまま歩いているのかと思った。
女の子は違う性の人種どころではない、まったく自分とは違う生物で、小さくて小さくてものすごく可愛いものなのだと衝撃を受けた。だが、当時の遥はまったく笑わなかった。話しかけても聞こえているのかいないのかもよくわからない。中空を見つめてぼーっとしている。本当に作り物の人形のような不思議な生物だと思った。
「塁、遥はちょいと人と話すのが下手くそなんだよ。ぼーっとしてる時は、何言っても聞こえてないから、揺すってやっておくれ。悪いがしばらく一緒に遊んでやってくれるかい」
佐羽さんにそう言いわれ、おそるおそる肩に手をおいてそっと揺らすと、黒々した瞳がぱっちりと開いて俺を凝視した。撃ち抜かれたかと思った。当時は全くわかっていなかったが、ようするに一目ぼれだったのだ。
「あ、俺、真田 塁(さなだ るい)。遥ちゃん、あっちで一緒に遊ぼう」
緊張でドギマギしながら笑いかけた俺に、遥は2度ほどパチクリと瞬きをしてこう言った。
「どうぞお構いなく」
え?オカマイナク?断られた?俺断られたの!?
すると、佐羽さんは遥の頭をなでながら言い聞かせた。
「遥、真田家の人らは遠い親戚だよ。よく視ろ。お前ならわかるだろう。塁はお前のことを無視したりしないから一緒に遊んでもらいなさい」
ゆーっくりとなんとなくイヤそうに見える顔で遥がこっちを向く。そのままじーっと俺の頭のあたりを見つめ、緩慢に頷くと
「わかった」
と言った。
その日から、遥は、時々うちに来るようになった。
遥の家は商店街にほど近い山裾にあるため、このあたりに比べ子供は少ない。
少ない中でどう見てもそこらへんの子供の感じではない雰囲気を醸し出していたため、保育園でうまく友達ができないそうだ。これから小学校にあがるにあたり、佐羽さんから「同じ学年だから気にかけてもらえると助かる」と言われ、俺は張り切って遥の世話を焼いた。
今振り返っても、お前は本当によく頑張ったと褒めてやりたいくらい大変だった。
まずは遥のコミュニケーション能力の低さ。媚を売れとはいわないが、あまりにもおひとり様がすぎる。
「次の教室一緒に行こう」と誘った子に「みんな一緒に行ってるよね?」と返し凍り付いた現場に遭遇した時は真剣に頭が痛くなった。
ただし愛想がないのかというと、そうではない。相手がキレたりするようなことのない、絶妙なごめんなさい加減でスパっと線を引くのだ。子供は順応性が高く、周りも遥がそういう人なのだと理解すると、それなりの距離を覚える。遥の周りの子供たちは適度な距離感の中で関係性を構築し、遥も一応俺とはごく普通につるんでいたため、大きな波風が立つようなことはなかった。
だが、コミュニケーション能力以外にも遥には周囲の子供たちとは違う特質があった。
むしろ、子供たちが遥を遠巻きにするしかなかったのはそちらの影響が大きかった。
元々山の神様の神職の血筋だった遥は、当時、何か違うものが見えていたようで、言動もどこか浮世離れしていた。
たとえば、こんなことがあった。
「遥、今日は佐羽さん遅いんだろ?母さんが遥も連れて帰れって」
「うん。まだ早いみたい」
「何が」
「うんとねー、15分くらい後で出たほうがいいよ」
15分後に学校を出ると、遥はいつもは通らない道を進む。黙ってついていくと、家の手前の最後の三叉路で腰を折り曲げて休んでいる近所のばぁさんに出くわした。
「美弥さん、どうかしたの?大丈夫?」
「塁、遥ちゃん、いや干しイカ下ろしてたらちょっと腰を痛めてね」
「無理しないほうがいいよ。手伝おうか?」
「すまないねー、頼めるかい」
それから、遥と二人でずらーーーっと海岸線に干されていたイカを取り込むと、美弥さんはお礼にしては大量の干しイカを俺と遥に分けてくれた。
また別の日、学校までの道の都合、いつもは混ざる必要のない集団登校の列の最後尾になぜか遥が合流していたそうだ。みんな不思議に思いながらも突っ込むこともできず、そのまま歩いていると、突然遥が「あーちょっと待ったーーー!!こっち見てー!!」と大声を張り上げたらしい。
何事かと驚いて足を止め、振り向いた子供たちの後ろで、ものすごい音がし、振り向くと車が歩道に突っ込んでいたというのだ。
年に何度かそんな出来事があり、最初のころ俺は遥に聞いていたが、遥の答えはいつも同じだった。
「言われた通りにしてるだけだよ」
誰に?と聞くまでもなかった。
俺は遥は特別に神様に愛されている女の子なのだと自然に思うようになった。
同時に「遥は俺が世話をやいてやらなければ」と思っていた自分を諫めた。
遥は元々、俺がどうこう世話をやかなくても一人で立っていられる子だったのだ。
中学に入ると人数も増え、また新しい社会が構築されていく。そのころになると遥もそれなりに人との距離の取り方を学んだようで、俺がいちいち世話をやく必要もなくなった。
家には時々来ていたが、中二のころ俺は俺で学年で一番人気と言われていた女の子から告られ、なんとなく付き合うことになり、多分気を遣ったのだろう、その頃から遥はめったにうちにも来なくなった。
高校は別々で、さらに顔を会わせることがなくなり、その頃、3人目の彼女の独占欲の強さに手を焼き、ほどなくして別れた。告られるままにとっかえひっかえ付き合ったものの、3人のタイプの違う女の子と付き合い別れた後、俺は遥のことが好きだったのだと気づいた。
高校三年生になり、同じ県内にある水産大学に進学を決めた俺は、ある日佐羽さんが亡くなったという知らせを受けた。死因は肺炎で突然のことだった。
うちは遠い親戚にあたりはするが、佐羽さんには近い親戚もいない。唯一の血縁は亡くなった娘の忘れ形見である遥だけ。必然的にうちの家族は一家総出で手伝うことになった。
遥は若年ながら神葬祭を立派にとりしきっていたが、張り詰めた様子がわかった。だが何と声をかければいいのかわからなかった。それに、会わない間にさらに凛として気品を増した姿に、気安く声をかけるのが憚られた。
春になれば遥は市役所に就職すると聞いていたため、また落ち着いた頃に話に来よう、地元にいるのだから焦る必要もない、そう思った。
昔のように家族のような付き合いをして、・・・ゆっくり遥との関係を深めていきたい。いつか俺を好きになってくれればいい。そして
あの事件が起きたのだ。
俺はどこかでずっと遥は神様に愛された子だから災厄になど遭わないのだと勝手に思っていた。だが違った。遥はただ聞こえていただけで、遥が守られていたわけではなかった。
死ぬほど後悔した。あの時の、身体が半分切り裂かれたような衝撃は今思い出しても恐怖で震えがくる。
悔しくて苦しくて何もできなかった自分に胸が張り裂けそうだった。
何度も母に、遥に会わせてほしいと頼み込んだ。何もできなくてもせめてそばに居たかった。
だが、今は会わせられない、それが遥のためだと言われ、一日千秋の思いで待ちわびた。
しかし、遥とは会えないまま、遥が一番つらい時期に何も・・・何もできないまま、その年の春を待つことなく、遥はたった一人で消えた。
それからは、年に一回送られてくる七瀬弁護士からのメールだけが、遥の今を知れる唯一の知らせとなった。
1年目
仕事や寮生活になれ、何ごとも真面目にとりくむ姿勢が評価されているとのことだった。穏やかな生活が送れていることに安堵した。
2年目
特に変わりはないが、それなりに会社の男性とも普通にコミュニケーションはとれているとのことだった。誰か遥を支えてくれる人が現れてくれればいいと思う気持ちと同じ重さでそんな誰かが現れないことを願う。なんて自分勝手なのだと落ち込んだ。
3年目
真面目な仕事ぶりが認められ、少しスキルが上のセクションに異動になったそうだ。元々遥は頭のいい子だった。自分のことのようにうれしかった。
4年目
大きな変化はないが、近くにショッピングモールが建ち、時折その中の書店に寄るようになったとのこと。会社と寮の行き帰り以外で立ち寄れる場所が増えたことに安堵した。
この年、俺は大学を卒業し地元で家業を継いだ。母を通じて七瀬弁護士に遥と会いたいと伝えたが、今はまだ会わせられないとの返事だった。記憶が連動して悪い記憶がよみがえるかもしれないと。あきらめるしかなかった。
5年目
ショッピングモールのほかのショップにも行くようになり、一人でご飯を食べにいったりできるようになったそうだ。遥の行動範囲が広がっていくことに喜びを感じるとともに複雑な気持ちにもなった。
6年目
業務改善提案が社内賞をとり、その際の褒賞で初めて旅行に出かけたとのこと。七瀬さんにもお土産を買ってきてくれたそうだ。やばい。負けていられないと、そう思った。
7年目
読んだ本、行った食事、旅行先などのレビューを書いて投稿するようになったそうだ。あいつ話す言葉はいつも足らなかったけど、文章は上手かったもんなぁ。どこにどんな投稿をしているのか聞いてみたが七瀬弁護士も教えてもらえないそうだ。
8年目
投稿していた内容がかなり評価され、ライターとして記事を依頼されるようになったらしい。ますます気になる!!だが、やはり教えてもらえないそうだ。七瀬弁護士も気になって仕方なくて悶々としていた。どうにかして聞き出してもらうように頼んだ。
9年目
寮を出て一人暮らしをはじめたそうだ。途端に心配になる。セキュリティがしっかりしているから大丈夫とのことだったが、どうしても不安が押し寄せる。
この年、父が大病を患い、しばらく入院することとなった。俺は父から少し早いがいい区切りだと正式に家業を譲ると言われ、社長に就任した。
遥にも伝えたくてふたたび七瀬弁護士に遥に会わせてほしいと頼んだが、新しい生活に踏み出したばかりということで、会わせられないと言われた。
10年目
台風の後の消防団の見回りで遥の家の裏山の木が落ちかけていることがわかった。七瀬弁護士に連絡し、遥に伝えてもらうようにと頼むと、「自分が伝えることはできない。今は財産管理もすべて遥さんがしており、市役所に行って固定資産税の納付先へ手紙を送ってもらえばいい」と、そうアドバイスがあった。
市役所を尋ねると、危険空き家の担当者は高校の同級生、飯田だった。調べてもらうと七瀬弁護士の言うとおり、固定資産税の請求先として、きちんと持ち主から住所移転などの連絡が届いており、そちらに手紙を送ることはできるとのことだった。
ただし、手紙は書くが、放置する人も多く、連絡があるかはわからない、と、そう言われたのだった。
秋が過ぎ、木枯らしが吹き、雪が降るようになっても、遥の家の雨戸が開いていることはなかった。帰るはずがない。俺は半ばあきらめかけていた・・・。
今年もあと2日となった30日の昼下がり、生け簀の見回りから帰り、船の掃除を終えしめ縄をかけ、筏に戻ると、防波堤の向こうでゆっくりと海鳥を眺めている姿勢の綺麗な人影が見えた。
小柄で肩のあたりで綺麗に切りそろえられた髪は射干玉のように黒い。市松人形のような切れ長の目に小さな唇。まさか・・・いや、俺が見間違えるはずがない。
はやる気持ちを抑え、筏を渡り急ぎ足で道路へ向かって歩をすすめた。
「遥?だよな??」
あれからきっかり10年目の冬。
遥は知らない。俺がこの再会をどれだけ心の底から待ちわびていたかを。
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