第8話 塁編

 再会した時から拍子抜けするくらい遥は自然体だった。

 最初は、そう繕っているのではないか、無理をしているのではないかとひやひやしていたが、全くそんなことはなく、遥は遥のままだった。

 だが、そう思えるだけの歳月を彼女が一人で戦い、だからこその今なのだろうと、俺はこの10年彼女の周りに流れた優しい時間に心から感謝した。なんて強くて素敵な女性なんだろうと、あらためて好きだと思った。

 

 家に誘えば、少しだけ困ったような悩んだ顔をしたけれど、素直に首肯する。嬉しかった。

 後から迎えに行くと告げ、俺は大急ぎで後の仕事を片づけて家へ向かった。

 親父もお袋もついでに藍もはしゃぎまくったのは言うまでもない。

 だが、とにかく遥を緊張させないよう気まずい思いをさせないようと、お出迎えリハーサルまでやった。


「じゃあ、迎え行ってくる」

「あ、塁」

「ん?」

 母は、ちょっとだけ笑い、その後わずかに困ったような顔をして、こう言った。

「わかってるだろうけど、遥ちゃんは塁のこと、ただの幼馴染としか思ってないと思う。ただの幼馴染で男じゃないから自然体でいられるのかもしれないよ。お前はしんどいかもしれんけど・・・」

「なんだ。そんなこと俺が一番わかってるよ。でもそれは特権だと思ってる。遥は俺を怖がらなかったし、多分意識もしてない。でも・・・俺、諦める気はないんだ。久しぶりに会ってみてやっぱり俺の中で遥は特別だってわかったから」

 おそらく母こそよくわかっていただろう。この10年、それなりに諦めようともがいたこともある。請われるままつきあいもしたし見合いの話も何度も来た。でも、その内観念した。遥が幸せでいることをこの目で確かめないと俺は次へ進めないと。



 遥の家に到着すると、ずっとずっと閉まっていた雨戸が開いていて、一瞬、まるで時間があの頃に遡ったかのような錯覚を覚えた。

 だが、よく見れば、あちこち傷んでおり、10年という時の流れを実感する。

 呼び鈴も死んでおり、玄関のドアを開いて大声で呼ぶと、奥から笑顔で遥が出てきた。

 ただそれだけのことに、俺はあらゆる神様に額ずきたい思いになった。

「準備できたか?」

「うん。大丈夫!ありがとう」

「じゃあ、裏見せてもらってから出ようか」

「よろしくお願いします」


 遥の家の裏に回りこむと、以前よりもぐっと木の傾きがきつくなっているように感じる。今すぐどうこうとはならないだろうが、地震が起きたらわからない。一刻も早く撤去した方がよさそうだ。知り合いに高所作業が得意なレンジャーはいるが、組合に頼んだ方が安全で安いようにも思う。

 いずれにせよ、遥とコンタクトがとれていなければどうしようもなかった。

 あらためて、遥に繋いでくれた飯田に感謝だ。



 それから、遥を車に乗せ、自宅へ向かう。

「塁くんが運転してるの何か変な感じ」

「安全運転するから大丈夫だよ。10年間無事故無違反。船の方が運転荒いかもだなぁ」

「そっか、船舶免許も持ってるんだよね」

「消防団で被災地支援に行ってから、バックホーやユンボも運転できないとなぁって、片っ端から色々取ったから、自分でも使い映えする男だと自負してる」

「相変わらず塁くんすごいなぁ。昔からなんでも人の先頭に立ってたもんね」

「そうだったか?」

 遥こそ、頭もよくて、孤高でなんでも出来たじゃないかとそう言おうとしてやめた。どこからが辛い記憶を刺激するかがまだわからない。せっかくの楽しい会話に水をさしたくなかった。



 家に着くと、父も母も藍もリハーサル通りごく自然に遥を迎えていれた。だが、みんないつもよりテンションが高い。

 あれから小一時間もたってないのに、食卓のメニューは、平常比の3倍程度豪華さを増していて、おそらく母も落ち着かなかったのだろうとおかしかった。

 遥が目をキラキラさせながら、その料理を写真に撮り、嫌味なく感想を伝えるため、母の機嫌はうなぎのぼりだった。

 今にも、帰っておいで、なんなら嫁に来ないかとばかりの詰め寄り方に、こっちがひくほどだ。

 うちの家族たちにとっても、遥が受けた痛ましい出来事は、どこかでいつも影を落としていたように思う。それがきれいに晴れたような年末のひと時だった。

 裏山の木についても、あらあら方向が定まった。こういう時の父の人脈にはまだまだ叶わない。穏やかだが頼りになる父と賑やかな母の姿に、いつか俺もこんな風になれたらとそう思った。


 いい時間になったので、車をあたためるために席を立つ、外はこの冬一番の冷え込みだったが、心は温かかった。

 家を出る前、最後の最後で母がいい仕事をした。

 明日の夜もと遥を誘う様子を見てドキドキしたが、遥は軽やかに受け入れてくれた。

そして、続けてあの男たちと一族の末路についてサラリと話した。

 遥は、静かに聞いていたが、目に見えて安堵した様子がうかがえた。


「遥、大丈夫?」

「?うん、食事もすごく美味しかったし、楽しかったよ!!写真もたくさん撮らせてくれてありがとう」

 特に変わった様子もなくにこにこしている。可愛いかった。

 あの出来事が遥の中でどういう納まり方をしているのかわからないが、無理をしている感じではない。こちらが拍子抜けするほど自然体だ。

 遥には元々こういうしなやかなところがあった。やはり遥が好きだと思った。



 遥の家に到着すると、エンジンをつけたまま遥の後に続く。

 心配だから、と言うと、何の気負いもなく俺を家の中まで通してしまう危機感のなさには、少々複雑な気分になった。

 わかってはいたが、遥にとって俺は全く危険のない男なのだ。

 このままゆっくり好きになってもらえばいいのではないかと思う自分もいた。だが、このままなんて時間は、保証されているものではないことを痛いほど知っている。明日も明後日も永遠に変わらないと思っていた日々は、ある日突然何の予兆もないままに終わるかもしれないのだ。

 だから告げた。好きだとちゃんと本人の前で口にしたら、何かカチンと自分の中で芯が定まったような気がした。

 長年のもやもやがすっきりして、あとは遥への愛おしさだけが心の中いっぱいに広がった。



 30日を一応の仕事納めにしていたが、大晦日の朝も地元用の魚の出荷はある。

 いつもより少しだけゆっくり家を出て、頼まれていた正月用の魚を〆ていく。

 一通りの仕事を終え配達も済ませてからもう一度基地筏に戻り、自宅用の魚と遥に頼まれた鯛を用意する。大きさと色味をしっかり吟味したことは言うまでもない。

 自宅用の魚を届けてから潮くさい体を洗い流し、着がえて遥の家を目指す。いちいち藍がにやにやしながらちゃちをいれてくるが、無視だ無視。

 県外へ出ている兄や海外留学している4番目の弟と違い、すぐ下の弟、藍は県都のAI開発会社に就職しており、そこまで遠くもないため、案外再々戻ってきている。

 なんでも魚が口に合わないらしく、うちの魚が美味い理由を調べたいと言ってはいるが、今のところ現場に来るわけでもなく食っているだけにしか見えないのは気のせいではないだろう。


「遥、佐羽さん、おはようございます」

「おぉーぉ、塁くんおはようございます」

 まだ早いかとも思ったが、すぐに奥から遥が出てきた。遥の性格からして、告白したとて何も響いていないだろうと思っていたが、存外そうでもなかったようで、ちょっといつもと様子が違っていた。嬉しい誤算だ。

 これまでの感じで、俺を怖がっている様子がなかったことに安心し、昨日よりあえて近い場所に詰めてみる。遥自身のパーソナルエリアに踏み込んでも、身体を引かれたりはしない。ただ、手を伸ばせば容易に届くところに遥が居ると俺の方が落ち着かなくなった。

「えっと、塁くんちょっと着替えるから先に行ってもらっていい?」

「待つよ。荷物もあるんだろ?」

「あー、うん。じゃあ、お願い」

 山の神様の祠には、遥がいなくなってから何度も行っている。だから、ジャージか何かに着替えるのだろうと思っていた俺は、出てきた遥を見てぎょっとなった。

「うーわ、巫女さんじゃん。遥、美人さん、人形みたい」

「あはは、とってつけたようにいわないでいいよー。今更じゃん」

 今更?いや確かに今更なんだが、子供の時以来の白衣朱袴な巫女服に、めまいと動機がひどくなる。このコスチュームには男の夢が詰まっているんじゃないだろうか。

 悪い申し訳ないと思いながらも頭の中で、脱がせ方を考えてしまう。山の神様に怒られそうだと思いながら、なるべく雑念を消し、無事祠の掃除を済ませた。



 それからも、遥の用事につきあい、手伝えることは手伝うようにした。

 墓掃除に行き、正月の買い物につきあう。

 人の多い場所では、何度か顔見知りにも声をかけられ、年末のあいさつを交わす。中には遥をジロジロいやニヤニヤ見て、どこの娘さんと言われることもあったが、遠縁の子とひとくくりに紹介した。遥もわきまえたもので

「塁くんがいつもお世話になっています。それでは少し急ぎますので皆様お先に。よいお年を」

と、相変わらずギリギリの線で塩対応するので、俺としては長話につきあわされることもなく助かったのだった。

「相変わらずだなぁ」

「何が?」

「いや、ああいうときの会話の切り方が潔い」

「あー、地元じゃないからねー」

 地味にズキリとした。確かにもうここは遥の地元ではない。

「それに塁くんちょっと困ってたでしょ」

 くりっとした目で見上げてくる。

「その顔かわいい」

「なにそれー!!」

「確かに。助かったかも。いつもすごい長話を聞かされるんだけど、これが結構同じ話のループで・・・ありがとな」

「いえいえ、こちらこそ助けていただいて助かってます。でもほんと忙しいんじゃない?」

「大丈夫だよ。今日は一日つきあえるから、昼からも頑張ろう」

「うん」


 それからもあれこれ動いて、きりのいいところで昼ご飯をごちそうになる。

 うちの母親は、あー見えて結構な料理の腕をしているため、よそで食べてもあまりうまいと感じることがないのだが、遥の料理はどれも口に合った。

 後から、うちの母の方が花嫁修業で佐羽さんから料理を教わったのだと聞いて、なるほどと思ったものだ。

 味覚の違いは案外溝を生む。好みがあうのは喜ばしいことだ。さらに、食後の雑談で、遥が誰ともつきあったことがないと知る。そうではないか、というよりそうだったらいいのにと思っていたことが確認でき、ついつい口元が緩むのを抑えられなかった。


 昼からは、遥はおせち、俺は外壁作業と分業することになった。

一緒に作業しても別々でも、遥の気配があることがすごくしっくりして落ち着く。

 今までそれなりの女性と付き合い、それなりに好きだと思っていた女性も居たし、抜群に身体の相性がいい女性もいた。その誰といた時よりも誰と過ごした時間よりも遥とともに過ごす静かな沈黙の方が心が凪いだ。

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