妾（わらわ）は只管に呆然としていた。

目を皿のように見開いて、呼吸すら忘れるようにして馬車から現れた女性に見入っていた。

その女性は、信じ難い程に麗しかったのだ。

すらりとした背は、魔族の中でも長身の部類に入るであろう燕尾服の者よりも高かった。

痩せ気味ではあるものの、胸や腰、そして脚は豊かで優美な曲線を描いていて、完璧としか言いようのないフォルムだった。

その身体にはピッタリとした黒く薄いドレスを纏っていて、陶器のように白い、ふくよかな胸元を大きくはだけさせていた。

漆黒の長い髪の毛は、夜の河面を思わせるように艶やかだった。

その顔は、例えようも無い程の魅力を湛えていた。

長く艶やかな睫毛に縁取られた切れ長の目はこの上無く優美な曲線を描いていた。

その中に在る赤い瞳は、心の中へスルリと忍び入って来るかのような蠱惑的な光を湛えていた。

左の目尻の下には小さな黒子が在った。

顔は白磁のように雅やかな白さを湛えていて、その輪郭は細やかであるものの決して痩せぎすな印象を与えるものでは無かった。

鼻梁は絶妙とも言える高さであって、その顔の造作をより優美なものに見せていた。

女性が纏う雰囲気もまた印象的だった。

哀しみを湛えているようでありながらも、慈母のような暖かさも秘めているように感じられた。

妾（わらわ）は賢者さまの言葉を思い出す。

『至高の死霊使い、それは至高なる美女である。

麗しき容色で以て孤独なる死霊の魂を蕩けさせ、その意のままに操る』

女である妾（わらわ）でも瞬きすら忘れて見入ってしまうくらいなのだから、死んでしまって顧みられることも無き死霊達ならば、喜び勇んで彼女に従うんだろうなと納得できる思いだった。

その女性は歩みを進めて馬車から降り、地面に敷き述べられた赤絨毯の上へと降り立つ。

歩む様も、馬車から降り立つ様も、まるで音を感じさせなかった。

その挙措は只管に優美で、しんとした静寂に満ちていた。

この地に在る遍く存在が、彼女の立ち居振る舞いを固唾を呑んで見詰めているように思えてしまった。

赤絨毯へと降り立った彼女は、その右手をスッと挙げて妾（わらわ）たちへと向ける。

白くほっそりとした指、赤く塗られた爪、赤く大きな宝石を嵌めた指輪が目に入る。

潤みを帯びた赤い瞳の中に妾の姿が映り込んだように思えた。

あぁ……、美しい。

そう思った。

頭の芯がジワリと痺れ行くようだった。

血のように赤い空や漆黒の馬車、その情景の中に佇む黒と赤とを纏った艶やかなる女性。

その瞳が帯びる哀しくも優しげな輝き。

これは、地獄なのかもしれない。

そんな思いが心を浸しつつあった。

【今だっ！　頼む！】と、勇者さまの呼び掛けが心へと響く。

妾（わらわ）はハッと我に返る。

そして。

心の力のありったけを込めるようにして祝詞を唱え始める。

今までの勇者さまの苦闘を思い出しながら。

涙を零した時の思いを蘇らせながら。

勇者さまへの想いを今一度噛み締めながら。

祝詞の詠唱が終わりに近付くにつれ、妾（わらわ）を取り巻く世界が光へと包み込まれ始める。

妾（わらわ）を中心として光の輪が地面へと刻まれ始める。

視界の彼方では、馬車から降り立った女性が狼狽の色を見せていた。

ようやく祝詞を唱え終わった。

妾（わらわ）は跳び上がるようにして立ち上がり、聖杖を高々と天に掲げる。

そして。

荒野は眩い光に包まれた。