4.激闘(6)
目を閉じた妾は、一心に準備を進めていた。
先程の打ち合わせにて勇者さまから頼まれた通りに。
固く目を閉じていたけれども、出来ることなら耳だって塞ぎたいと思っていた。
目を閉じていれば必死に戦っている勇者さまの姿を目の当りにせずに済む。
砂塵に汚れたマントや疲労の色を濃くしつつあるお顔を見ることは無い。
けれども、耳からは容赦無いまでに、勇者さまが苦闘される様が飛び込んでくるのだ。
剣が振り下ろされる唸るような音だったり、荒い息遣いだったり、あるいは舌打ちだったりと、勇者さまが苦しみながら戦う様がはっきりと伝わり来るのだ。
剣を振り下ろす速さが衰えつつあるように感じられてしまうし、その息遣いが苦しさを増しつつあるようにも感じられてしまう。
そのことを感じる度に、固く閉じた瞼の隙間から涙がポロポロと滴り落ちてしまうのだ。
もう、限界だと思った。
これ以上は耐えられないと思った。
もしも勇者さまの荒い息遣いが苦しげな悲鳴となってしまったら、あるいは息遣いが不意に途絶えてしまったら。
そんなことを想像してしまうと、居ても立ってもいられなかったのだ。
けれども。
妾の耳に、これまでとは異なる音が不意に飛び込んで来た。
それは不死者どもの呻き声でも無ければ、勇者さまが剣を振るう唸りでも無かった。
幾頭もの馬が駆けるような規則正しく軽快な音であり、車輪が転がるガラガラとした音だった。
【来た! 狙い通りだ!】と、勇者さまの念話が響く。
【何とか
【これからが『本番』だな!】と、まさしく舌なめずりするように告げる戦士さま。
【ほら、向こうを見て!】と、勇者さまが妾へと語り掛ける。
妾はしゃがみこんだままで薄目を開き、勇者さまが指し示す方向を見遣る。
やや離れた場所に一台の馬車が止まっていた。
それは漆黒の大きな馬車であり、八頭の白骨の馬がそれに繋がれていた。
馬車は一見すると質素であったものの、目を凝らして見ると随所に銀の飾りや細かな彫刻が施されているような、実に手の込んだものだった。
魔王軍の馬車、あるいは調度品はこれまで幾度と無く目にして来たことがあったものの、これ程までに豪奢なものを目にするのは初めてだった。
【いよいよ……、死霊使い様のお出ましだ!】と、賢者さまが告げる。
馬車の前後から青白い顔をした幾人もの魔族がいそいそと降り立つ。
彼らの出で立ちは、これまで相見えた魔族の装いからすると随分と風格あるものだった。
馬車の横には銀の金具に縁取られた大きな扉があり、その窓はビロードのカーテンで隠されていて中の様を伺い見ることは出来なかった。
けれども、その扉の奥からは、これまでに感じたことの無い強烈な魔力が漂い出ているようだった。
それは、つい先日に討ち果たしたばかりの狂将ガルゴスのものよりも遙かに強大で、そして格段に禍々しいものだった。
妾の身体は知らず知らずのうちに強張りつつあった。
馬車から降り立った魔族たちは、扉の前の地面へ、いそいそと赤い絨毯を敷き延べ始める。
妾も、そして勇者さまたちも目の前の情景をただ呆然と見詰めていた。
呆然とした様を見せていたのは妾たちだけでは無かった。
妾たちに四方八方から迫りつつあった不死者の群れも、その動きを止めていた。
まるで、馬車の中に潜む何者かを恐れ戦くようにして。
燕尾服を纏った一際背の高い魔族が扉の傍へと立つ。
青白い顔をした魔族は妾たちを見下すように一瞥し、そして高らかに告げる。
「世を乱す不逞なる輩よ。
魔族と人との安寧なる刻を妨げし無頼なる輩よ。
そなたらの所業に魔王様は
それ故、これより死の裁きをそなたらに下す!
四魔候が一人である
至高の名誉と感じ入り、
冷ややかで大袈裟な口上が終わるや否や、控えていた下僕と思しき魔族たちが馬車の扉をゆっくりと開く。
開かれた扉から、膨大な魔力がまさしく奔流のようにして溢れ出るように感じられた。
そして、扉の奥から一人の女性がゆっくりと姿を表わした。
この世のものとも思えぬその艶やかさに、妾は思わず息を呑む。
辺りはしんとした静けさに満ちていた。
不死者どもの唸り声も地響きのような叫び声も、まるで響き来なかった。
それは恰もこの場に在る遍く存在が、姿を現した女性にひれ伏しているかのように思えてしまった。
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