2.命令(7)

金魂絶鋼侯きんたまぜっこうこうさまのお部屋を辞した私は、途方に暮れながら魔王城の廊下を歩んでいた。

遠くから、或いは地の底から唸り声や叫び声がおどろおどろしく響き来る。

城の周りを飛び回っている火竜の雄叫びなのかもしれないし、城の地下に飼われている獄滅竜の唸り声なのかもしれない。

低く重いその響きは、私の胸中を満たす陰鬱とした思いをより強めるように感じられてしまった。

廊下を浮遊する燭台はかすみがかった赤紫の灯りをボンヤリと放っていた。


「あらら、ジメジメちゃん! 

何だか凹み気味みたいだけどさ、一体どうしたよ?」


俯いて歩みを進める私の耳へ呼び掛けの声が響き入ってくる。

やや軽薄なその声音は、四魔侯のひとりである樹隗候じゅかいこうさまのものだった。

「ジメジメちゃん」というのは私の渾名だ。

壖土侯ぜんどこう」の「壖土ぜんど」とは湿った土という意味合いで、そして私の性格もその名の通りに湿っぽくあるので、魔王さまや樹隗候じゅかいこうさまからは「ジメジメちゃん」と呼ばれているのだ。


ハッと顔を上げた私は、視線を左右に巡らして、お声の主を捜し求める。

廊下に並ぶ円柱の影から樹隗候じゅかいこうさまがユラリと姿を表わす。


「いえ……、その……、金魂絶鋼侯きんたまぜっこうこうさまから……」と口籠もりつつ言葉を返そうとする私。


「あぁ~、何となくだけど分かった! 

ちょっくら勇者一味をいじって来いって言われちゃったんでしょ? 

いや~、こりゃまた災難だね~!」と、樹隗候じゅかいこうさまは笑い混じりに口にする。


「はぁ……、ご察しの通りなので御座います。

勇者一味を『威力偵察』して来るようにと言い渡されてしまいました……」と、答えを返す私。

樹隗候じゅかいこうさまのお姿が仄かに滲みつつあるように思えてしまい、気取られぬようにと顔を伏せながら。


「何だかさ、めっちゃ困ってる感じじゃん。

それじゃさぁ、俺が替わってあげようか? 

勇者弄りの任務とやらを?」と、樹隗候じゅかいこうさまは持ち掛けて来る。

至って気軽な口調にて。

私は思わず息を呑む。

『お……、お願いします!』との言葉がつい口を突いて出そうになったけれども、それは辛うじて思い留まる。

与えられた務めを勝手に樹隗候じゅかいこうさまにお願いしてしまったら、きっと金魂絶鋼侯きんたまぜっこうこうさまから激しく叱責されるに違いない。

いや、金魂絶鋼侯きんたまぜっこうこうさまに怒られる程度で済むのならまだマシなのだろう。

今回、私に務めが与えられたのは魔王様の意図も働いてのことだろう。

それに背いてしまったら、魔王様直々にお叱りを賜ってしまうかも知れない。

魔王様を怒らせてしまったら、どのような仕打ちを受けるか判ったものでは無い。


「あ~、もしかしてさ。 

キンタマさんのこと気にしてる? 

何ならオレから言っておくよ?

ジメジメちゃん調子悪いみたいだから、オレが替わりますってさ」と、私の目を覗き込むようにして。


『金魂絶鋼侯』は「きんたまぜっこうこう」と読むので、樹隗候じゅかいこうさまは陰で『キンタマさん』と呼んでいるのだ。


「ご…、ご申し出は大変に……、本当に本当に有り難いのですが…。

私が自分で行かなきゃ、絶対に叱られてしまうと思いますので……」と、たどたどしく答えを返す。

「アハハハッ!!!」と笑い声を上げた樹隗候じゅかいこうさまは、私の肩をポンポンと叩きながら、「まぁ、それじゃ仕方無いか。キンタマさんを怒らせちゃうと怖いもんね。

でもさ、あんまり無理しちゃ駄目だよ! 

遠くからテキトーにチマチマ仕掛けてさ、んで少しでもヤバいなって思ったら直ぐに逃げちゃいなよ、いいね?」と語り掛けて来る。


「は……、はい。

ご助言痛み入ります。

そのように致します」

と、言葉を返す私。

肯いた樹隗候じゅかいこうさまは、思い出したかのようにして「あ、そうだ! これ持って行ってよ!」と、声を上げる。

そして、首に掛けていた幾つかのペンダントの中から一つを手に取り、それを私の首へと掛けてくれた。

紐は乾いた蔓草で造られたものであり、ペンダントの本体は掌半分くらいの円形であって磨き抜かれたかのように艶々と緑に輝いていた。


「まぁ、いざという時のお守りみたいなもんだからさ。

ホント、無理しちゃ駄目だよ!」と言い残してから、樹隗候じゅかいこうさまは歩み去って行った。

私は目礼して樹隗候じゅかいこうさまを見送る。

あぁ……、樹隗候じゅかいこうさまにお願いできたらどれだけ有り難いだろうとの思いを抱えながら。

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