26. 夏至祭

 星が燦然と輝く夏の夜空。その遙か下方の大地に、移動する小さなが見える。夜明け前の平原を、白装束の一団がゆっくりと進んでいた。先頭を行くのは、ケルトが信仰するドルイド教の司祭。丈の長い白衣しらごろもに白のローブ。白いフードを被り、手には背丈よりも長い木の杖を持っている。


「足元に気をつけよ。私が踏みしめた上を歩め」


 司祭の後ろに続くのは、ケルト神殿の巫女たち。白い簡素な服にわらで編んだ靴。太陽のシンボルである渦巻模様の青銅の首飾りと、野花ワイルド・フラワーの冠を身につけていた。


「結界を張りましょうか?」


「それは最終手段に」


 巫女の提案に、松明を持った従者が答える。四方には騎士が剣に手をかけたまま、周囲の警戒を続けていた。


 21世紀に正式な宗教と認められるまで、多神教ペイガニズムであるドルイド教は異端とされ、長く迫害の歴史を辿たどっている。司祭は悪魔、巫女は魔女。その存在は畏怖の対象となり、ときとして狩られることもある。そのため、普段は民に紛れて暮らしていた。


 しかし、年に4回の季節の節目は、自然信仰において重要な意味を持つ。特に夏至の日の出には、ケルトの聖地で正式な祭事を行うと決まっていた。彼らの行先は、ストーン・ヘンジと呼ばれる円形の巨石群。夏至の日の出と冬至の日没を結ぶ線が、その中心を通る祭場だった。


「時間は十分にある。用心して進め」


 日が出るのは午前5時少し前。中心の祭壇石から夏至の太陽が登るのに間に合うよう、彼らは歩を進めていた。その一団を見下ろして安堵の息を吐くのは、偉大な魔術師であり予言者。賢者マーリンだった。


「ふむ。問題なしじゃな」


 遙か眼下を遠く見回しても、不穏な気配はない。儀式に危険はないと、マーリンは確信する。


「ほれ、先を急ぐぞい」


 空飛ぶほうきにまたがった年齢不詳の妖女は、の先端にちょこんと座る黒猫に話しかけた。箒から下げられたバスケットの中には、まだ温かさが残るパイが入っている。


 黒装束に黒いトンガリ帽子。星の光だけを頼りに夜空を横切る影は、この地に永く語り継がれることになる『魔女』の姿そのものだった。マーリンはそのまま真っ直ぐ南南東へと飛行する。しばらくすると、紀元前から存在する丘上集落が見え始めた。


 ローマ人に『ソルヴィオドォナム』と呼ばれた『旧ソールズベリーオールド・セーラム』は、内堀と外堀で二重に守られた城壁の町。アングロ・サクソンによって栄えたが、四半世紀前に中心となる大聖堂が南の大都市に移築され、今は退廃の一途を辿っている。わずかに残っている住民は、古くからこの地に住むケルトの子孫たちだった。


 夏至祭の宴の準備で、大聖堂跡地に残る集会場には、夜明け前だと言うのに明かりが点いている。マーリンはその中に入ると、持っていたバスケットを、部屋の中央にある大きなテーブルの上に載せた。その物音に気が付いて、奥のキッチンから妙齢の女性が現れた。突然の来訪者に顔をしかめる。


「ここで一体、何をしてるんですか」


「おまえさんこそ、どうしてここにおるんじゃ?」


「私はお手伝いを」


 先年の夏に『罪喰い人』の家で再会した後、故郷に戻ったマーリンの元弟子ゲイリス。彼女がイギリスでの祭事に借り出された理由は、人手不足以外にはない。ここ数年で盛んになってきた魔女裁判のせいで、多くの巫女がキリスト教に改宗した。拷問や迫害を恐れ、その職務を放棄した結果だった。


「おばば様は?」


「わしはのう、ほれ、これを届けにきたんじゃよ」


 マーリンがバスケットを開けると、蓋付陶器皿とその横に丸まった小さな黒猫が入っていた。


「ジジ! どうしてここに?」


 ジジと呼ばれた飼い猫は、主人の声に反応してうっすらと目を開ける。それでも、ほんわりと温かいバスケットの中から出ようとはしなかった。


「うるさく鳴いて世話人を困らせとったんでの」


 ゲイリスの家からここまで、その距離は約650キロ。高位魔術師の転移魔法なら、瞬時に移動できる。それにも関わらず、箒を持ったマーリンの様子にゲイリスはいぶかしそうな目を向けた。


「まさか、飛んできたんですか?」


「わしの農場からじゃよ。荷物が大きかったんでなあ」


 大きくて重い陶器皿の中には、まだ温かいアップルパイが入っていた。


「夏至祭に差し入れじゃ。うちのリンゴは美味しいぞい」


 マーリンにつける薬は無い。ゲイリスは深いため息をつく。


「まだ農婦の真似事をしてるんですか?」


「失礼な。わしゃ立派な農家じゃよ。うちのリンゴにゃ顧客ファンがいっぱいおるでな」


「何をそんな自信満々に。お役目をさぼって、趣味に生き……」


「仕事はしとるがな! ここに寄ったのはな、南の神殿を見るついでじゃよ」


 ゲイリスの言葉に被せるように、マーリンが今回の経緯を説明する。ケルト神殿があるのは、海に近い森『ニュー・フォレスト』の中だった。美しい自然を誇る聖域。


「あそこは廃墟となっていますが」


「知っておる。だが女神のお導きでな、近く『宿命の乙女』とその養母が住まうことになろう」


 現在でも野生鹿の生息地であり、当時は貴族が狩猟でおとずれる森。隠れ家にするには人目に付きやすい。


「あそこは狩場です。危険ではありませんか」


「領主がかくまうんじゃよ。誰も足は踏み入れられん」


 確かに、領地で狩りをするには、必ず領主の招待か許可がいる。


あの地域ハンプシャーの領主は……」


「第3代サウサンプトン伯ヘンリー・リズリー」


 そう言いながら、マーリンはとんがり帽子を脱ぐ。その下に隠されていたものを見て、ゲイリスが声を上げた。


「なんです、その髪飾りは! いい歳して恥ずかしくないんですか?」


 マーリンのおかっぱ頭の上に、頭大きさの半分はある大きな赤いリボンがついていた。


「似合うじゃろ? これは子供たちに人気の『宅配人』の衣装じゃよ」


 他の者がこれを見たら、賢者の権威は失墜する。ゲイリスは留守居役を引き受けた偶然を、改めて女神に感謝したのだった。

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