27. 囚われの王

 スコットランドの短い夏が終わる頃、首都より北70㎞に位置するパース州リヴァン城近く。狩りをしていた国王ジェームズ6世が、プロテスタント貴族らに誘拐された。彼らの目的は政府改革。若い国王へのカソリックの影響を制限し、メアリー・スチュアートの祖国帰還と母子共同統治計画を阻止するためだった。


 その前年、国王が寵愛するフランス帰りのカソリック貴族が、プロテスタントの摂政を冤罪で処刑していた。国王の寵臣政治は国内貴族の強い反発を招き、この『リヴァンの襲撃』と呼ばれる事件は、その不満が爆発した結果だった。


 国王はリヴァン城、パース貴族の館、スターリング城などをたらい回され、エジンバラのホーリールード宮殿に落ち着くまで、一ヶ月以上を要した。その国王を訪ねてきたのは、その春に設置の勅許を出したエジンバラ大学の関係者。来客があるときの常で、普段はドアの外を警備する衛兵が部屋中で見張りに付く。


「勅許の御礼に参りました」


 国王の部屋に通されたのは、いかにも年長者らしい白髭を蓄えた紳士。その髪も真っ白だった。年齢は60歳前後。大学ローブの下に隠されたその堂々たる体躯は、学者というより鍛えられた騎士のようにたくましい。


「大学設立の許可を出したのは四月。今はもう十月だ。ずいぶんとゆっくりな礼だな」


 すでに秋の冷え込みが厳しい。窓から見下ろす宮殿の庭では、吹きすさぶ風に枯葉が舞っていた。


「申し訳ございません。もっと早くにご挨拶すべきでしたが……」


 老紳士は言葉を濁し、苦渋の表情を浮かべる。その芝居がかった様子に、国王は忍び笑いを漏らす。


「よい。この夏は各地を転々とした。所在を知るのは難しかったろう」


 安堵したように表情を緩ませて、老紳士は頭を下げる。その後ろには、10代前半と思われる少年たちが控えていた。


「各地からの入学希望者でございます」


「優秀な若者たちか」


「頭脳は申し分ありませんが、財政は芳しくない者ばかり」


 地方の貧しい秀才。来年新設される大学への入学資金が調達できない者たちだった。


「どうか陛下のお情けを。いずれ必ずお役に立ちましょう」


「これが礼か?」


「贈り物でございます」


 つまり、男色の国王への差し入れということだ。囚われの身になってから、国王は閨の相手となる寵臣たちと引き離されていた。


「気が利くな。どれ、顔を見せよ」


 頭を上げた少年たちは栄養不足で発育が悪く、緊張で青ざめて震えていた。一番後ろにいた少年に目を止め、国王は思わず笑みを浮かべる。


「あの者を」


 選ばれた少年を見て、老紳士が納得したように頷く。その美貌の少年以外に、国王の食指が動くはずはなかった


「明日の朝、迎えに来い」


「心得ました。どうかご存分にお楽しみを」


 老紳士たちが立ち去ってから、国王はおもむろろにその少年を寝室にいざなう。


「さあ、ベッドへ。願いがあれば、終わってから聞く」


 国王の言葉に従って、少年はおとなしく服を脱ぎ始める。そこまで見届けると、衛兵たちは辟易したように寝室の外へ出て行った。


「陛下、この度は……」


「挨拶は無用。お前は鳴くだけでいい。さすれば衛兵は邪魔をせぬ」


 やがて、閉ざされた寝室からベッドがきしむ音が聞こえ、激しい喘ぎ声が漏れ始める。衛兵たちは顔を見合わせ、吐き気をこらえたような顔をしてその場を去った。


 寝室の外に人の気配が消えてから、国王はその動きを止める。彼の下で大袈裟に声を上げていた少年も、うめき声を最後に静かになった。そして、二人は申し合わせたように、すばやく寝台から下りる。裸だったのは上半身だけで、二人とも下半身は着衣のままだった。


「誰の命だ」


先刻せんこく、陛下がお会いになった方。私の後見人です」


 国王は老紳士の顔を思い出す。イギリスのガーター騎士団の正装を身に纏い、最高位勲章を首から下げた肖像画を見た覚えがあった。エリザベス女王の長きにわたる重臣バーリー男爵ウィリアム・セシル。国王秘書長官を退いた後は、女王の隠密のような役目を担っていた。


「あれが大蔵卿か。では、お前は女王の伝言係メッセンジャーということだな」


 エリザベス女王はことの詳細を把握するため、誘拐事件発生後にスコットランドに外交官を派遣していた。プロテスタント政府の発足については歓迎したが、ジェームズ6世の身の安全を憂慮した女王は、いざという時に衛兵が十分な働きをするよう、多額の資金を送っている。


 その手配を任されたのが、当時の大蔵卿バーリー男爵だった。国王の前に跪いた少年は、質問には返答せずに伝えるべき事柄のみを口にする。


「お命に危険が迫れば、必ずお救いします。ですから……」


「母やフランスの誘いに乗るなと言うことだな」


 メアリー・スチュアートや逃げたカソリックの寵臣たちは、フランスに助けを求めていた。


「軟禁状態とはいえ、私に命の危険はない。特に動きを起こす気もない。心配は無用と伝えてくれ」


 傀儡の王。その立場に甘んじていれば、利用価値ありとみなされる。殺されることはない。


「それよりも、あの件はどうなった?」


 役目を終えて安心したのか、少年は国王の問いに嬉々として答える。


「来月、私の従者が彼女を盗み出す手筈を整えております。しばらく我が領地に隠し、しかるべき時期にお渡しいたしましょう」


 少年の答えに、国王は満足したように息を吐く。


「何よりの朗報だ。お前の忠誠、決して忘れぬぞ」


「ありがたき幸せ」


 ずっと膝をついたままだった少年に、国王はその右手を差し出した。少年はそっとその手を取って立ち上がる。


「時間はたっぷりある。演技ではない声を聞かせよ」


「仰せのままに」


「一年半ぶりか。随分と背が伸びたな。大役を担うお前の成長を嬉しく思う」


 ジェーム6世は握った少年の手を、グッと自分の方に引っ張った。


「来い、リズリー。いや、第3代サウサンプトン伯ヘンリー・リズリー」

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