第30話 VSコマンダードック② 緋緋色の猛犬
全身が燃え立つような、あるいは全身の血が沸騰するような、とにかく湧き上がってくる強い熱に、俺は浮かされ、震えていた。
ああ、懐かしい。
そんな感想が脳裏で溢れた。
東京に出て就職してから、だいぶ遠ざかっていたモノだ。
すっかり鳴りを潜めていた激情が、身体の中で暴れ回っている。
くそ、今日はマジでツイてねえ・・・。
俺は、我知らず目の前に立ち塞がる赤毛の獣へ恨めがましい視線を送っていた。
今日は、朝からずっと面倒続きで、正直疲れてる。客観的に今のコンディションは、ベスト時の6~7割が良い所だ。
それなのにコイツ、なんでこのタイミングで俺の前に現れやがった。
どうせなら、ベストコンディションで出会いたかった。
しかし、そんな事を言っても、栓ない話だ。
俺は、刀を握り直して、前へ出る。
「え?・・・お、おい?」
そんな俺の行動に、ムルジアが戸惑いの声を上げた。
しかし、それをリコリオさんの声が遮る。
「こら、邪魔しない。君は、ボクと一緒だよ」
「え?・・・いやでも、アイツ1人じゃ・・・」
「良いの、良いの。どうせ、こうするしかないんだから」
そう。ぶっちゃけ、選択肢なんてないのだ。
このメンツでは、俺が前に出るしかない。
ムルジアは、前衛ではあるが、盾を持たないアタッカーだ。魔法も使えるし、その真価は攻撃にこそある。
そして、リコリオさんはそもそも後衛だ。
対して【侍】の俺は、軽量級とはいえタンク職である。
つまり、俺が奴を抑えるのが、このパーティーでは基本のスタイルなのだ。
それが分かっているのだろう。リコリオさんは、俺の背中に明るく声をかけてくる。
「ユーフラット君は、思いっきりやっちゃって!細かい所は、ボク達でフォローするからさ」
「ええ!?ちょっとなんで俺がアイツのフォローなんか・・・」
「いや、そーいうの、いいからさ」
「ッ・・・」
冷ややかに叩きつけられた一言に、ムルジアが怯えたように口を継ぐんだ。
なんというか、リコリオさん、既にムルジアの扱いに慣れてきてるな。
これならば、任せてしまって大丈夫そうだ。
会ったばっかりで色々謎だが、チームプレイに慣れてるベテランって感じの安心感がある。
実際、俺達の事をよく見てるしな。
ワイルドドック達とのラッシュの時、いや、最初のモンスタートレインの時からか?
彼女が後衛についてから、俺は格段に戦いやすくなっていた。
俺が前へ出る分、どうしても視野が狭まって見えなくなっている部分を、彼女は的確にカバーしてくれるし、俺の意図を理解するのも妙に早い。
自然、俺の中のまだ冷静な部分が、彼女に興味を示した。
なんで、こんな短時間でここまで俺の動きに合わせられるのか?
「・・・オーケー。リコリオさん、そっちは任せた」
しかし、俺はそれらの疑問を頭から追い払った。
正直、色々気になったが、今はそんな事を言ってる場合じゃない。
彼女の事は、コイツを倒してから、ゆっくり聞けば良い話だ。
今は、目の前の相手に集中する。
コマンダードックは、張り詰めた敵意を放ちながらも、なぜか俺が来るのを待っていた。
「・・・よぉ、待たせたな」
「・・・・・・」
俺の呼びかけに、コマンダードックが視線で応える。
真っ赤に燃える双眸が、剣呑に笑った、気がした。
なぜだろう?
俺には「さっさと戦ろう」と言っているようにしか見えなかった。
俺は、思わず笑い返す。
「そうかい。じゃあ、戦るか。ウイリー!」
「【~~】!」
俺の声に、ウイリーが【レッドフォース】を発動。
俺の身体を赤いオーラが包み込んだ。
その瞬間、俺の中の衝動が咆哮になって吹き出す。
「さあ、死合い開始だ!」
「UUUU・・・WOW!!」
俺が刀を正眼に構えた瞬間、咆哮と共にコマンダードックが飛び出した。低い姿勢で駆け込んでから跳び上がり、前足の爪をこちらへ突き下ろしてくる。
「オオォッっ!!」
対する俺も、同じく咆哮し、前へ踏み出す。
浮舟で斜め前に前進し、コマンダードックの着地地点を躱しつつ、横殴りに刀を振るった。
左薙ぎの一撃が、コマンダードックの一撃を逸らす。
「ッ!?」
しかし、俺の刀は、コマンダードックの赤い毛皮に刃が立たなかった。
一瞬の交錯。
俺は、即座に振り返りながら、バックステップ。コマンダードックから距離を取った。
対するコマンダードックは、素早く反転し、即座にこちらへ追撃する。
瞬間、俺は脳裏に俺の首に喰らいつくコマンダードックを幻視した。
俺はそれを視るや、サイドステップで突進の軌道上から即座に退避。
そして、カウンター気味に横薙ぎの一閃でコマンダードックを迎え撃った。
しかし、その一撃をコマンダードックは急回避。
鋒は、空を斬った。
「チッ・・・!」
「GURURU・・・」
お互い跳び退いて、再び距離が開く。
しかし、その距離も次の瞬間には消し飛んだ。
止まらない!止まれない!!
暴風のようなコマンダードックの突進に、必死に刀を合わせ、いなし、躱し、逸らし、捌く。
「ハハッ!」
思わず笑みが飛び出た。
コイツは、想像以上だ!
脳裏に幻想のコマンダードックの爪や牙が、次々に俺の身体に突き立つのが視える。
俺は、そのフラッシュバックした「死に様」を必死の思いで掻い潜った。
一瞬でも気を抜けば、それで終わる。
このギリギリで己の命運を繋ぐ感覚に心が震えた。
ああ、これだよ!コレ!
この緊張感こそ、俺がかつて取り憑かれていた感覚だ!
もう何年も味わってなかった感覚に俺は思わず酔いしれる。
本能が、まだ足りない、もっとアゲろ、と吠え猛る。
だが、そんな衝動に半ば呑まれながらも、俺は素直にアクセルを踏み切れずにいた。というのも
「コイツ、硬すぎだろ・・・!?」
そう、さっきから何度も刀を突進に合わせているのに、ちっともダメージになっていないのだ。
ハードオックスの時には通用した躱し様に撫で斬る戦法が、全く通用していない。
なんというか、鉛の塊でも相手にしているような不毛な感触なのだ。
なんとかパリィには成功しているが、下手な受け方をしたら最後、刀の方が折れかねない。
そんな風に俺が手こずっていると、遠くから声が飛んできた。
「ダメだ!ソイツにそんな半端な攻撃は通用しないんだよ!」
「ユーフラット君、ソイツ、ダメカ持ちみたい!ムルジア君が、アヤノンちゃんが動画でそう言ってたって!」
「なに、ダメカ!?」
ダメカ、つまりダメージカット効果。
要するに、被ダメージを低減する類の効果の事だ。
さっきからコイツのHPが全く減らなかったのは、それが理由か!?
リコリオさんは、さらに続ける。
「聞いた感じ、その【緋緋色の毛皮】が、100ポイント以下の微ダメを全部弾く仕様みたい!だから、もっと火力を上げないと、ホントに傷一つつけられないよ!」
「んな、ムチャな!?」
これでも既に【レッドフォース】で1段階ATKを盛った状態なのだ。
これ以上ATKを盛るとなると、俺もアーツを使うしかない。
だが、俺のバフはウイリーの【レッドフォース】ほど長くは保たないし、そもそも低レベルの俺は、SPにだって余裕はないのだ。
【バンプアップ】にしろ【烈剣】にしろ、ATKが足りないからって迂闊に使うのは無理だった。
「・・・クソ、タチ悪りぃな!」
俺はコマンダードックの攻撃を捌きながら、歯噛みする。
正直、コレは俺の手に余る話であった。
早い話、俺みたいにレベルやステータスが足りてねえプレイヤーじゃ、コイツには文字通り歯が立たねえって事だからな。
流石、高難易度ボス、最初から初心者に倒せるようには出来ていない。
コイツと正面から渡り合うには、今の俺では純粋に力不足だった。
とはいえ、だからと言って引き下がる程、俺はお利口さんじゃぁない!
「だったら・・・」
俺はまず、一度コマンダードックに背を向けて、全速力で距離を取った。
その際、リコリオさんに一瞬、目配せする。
対してリコリオさんは、眉を顰めた。
流石に俺も、これだけでこっちの意図が伝わるとは思っていない。
だが、それでも俺が何かしようとしている事は伝わるはずだ。
俺は、上手くいく事を祈りながら、背後に迫るコマンダードックに振り返った。
「【烈剣・蛟】!」
「?!」
「よし!」
俺は、振り向き様コマンダードックの突進に【蛟】の一撃を合わせて逸らした。
掬い上げるような一撃で奴の足元を掬って態勢を崩すと、斬りつけた右前足に【蛟】のエフェクトが絡みついて自由を奪う。
狙い通り、コマンダードックがその場でつんのめって足を止めた。
瞬間、俺はコマンダードックと位置を入れ替えながら、2人の仲間に向かって叫ぶ。
「今だ、やれ!!」
「【チャージアップ】!【クイックショット】!【ペネトレイトアロー】!」
まず動いたのは、リコリオさんだ。
速射アーツをまず放ち、さらに貫通力の高い【ペネトレイトアロー】で追い討ちをかける。
「【~】【~~】!」
さらにウイリーも、【ファイヤーボール】と【ファイヤーアロー】で攻撃。
そして少し遅れながらも、ムルジアもコマンダードックに走り込みながら攻撃した。
「セットアップ!【ウォーターボール】!」
ムルジアは、左の籠手から飛び出したウィンドウから3枚のカードを抜き出して3つの【ウォーターボール】を同時発動。
俺以外の全員が一斉に放った遠距離攻撃の嵐は、足を止めたコマンダードックに殺到した。
爆発と衝撃を浴びせかけられ、流石に怯むコマンダードック。
HPも、目に見えて減っていた。
「よし!」
タイミング、カンペキ!
別に俺が前に出たのは、俺1人でコイツを倒す為じゃない。
俺単独の攻撃が効かないなら、3人がかりで叩けばいいだけの話だ。
「ムルジア、合わせろ!【バンプアップ】!【烈剣】!」
「【パワースラッシュ】!【ストロングセイバー】!」
そこへ俺とムルジアが左右から斬りかかった。
ムルジアは、アーツを2連撃。
俺もありったけのバフを盛りつつ、飛び込み様にイカヅチを叩き込んだ。
俺達の剣が、エフェクトと共にコマンダードックの身体に喰い込む。
流石に、3重バフの乗った攻撃には、奴の【緋緋色の毛皮】も耐えきれなかったようだ。
ムルジアも、LV21は伊達ではない。
なんて事のないアーツの連打で、キッチリ毛皮にダメージを通していた。
「GUOOOO!!」
「うぉっ?!」
「うわぁッ?!」
しかし、ここでコマンダードックが【蛟】の拘束を引き千切り、俺達をその場で回転して尻尾で払い除けた。
咄嗟に防御したものの、棍棒でぶん殴られたような衝撃に俺もムルジアも押し返される。
コイツ、尻尾まで硬いのかよ!?
しかも、コマンダードックは、俺達が怯んだ隙に挟撃から脱すると、即座に反転して突っ込んで来た。その狙いは・・・
「ひっ・・・?!」
なんと、ムルジアだった。
怒りに牙を剥いてムルジアに襲いかかるコマンダードック。
俺は、慌ててその間に割り込んだ。
「ッ・・・【累】!」
「GYAN?!」
「【ブレイクショット】!」
バフで威力増し増しの【烈剣・累】で強引にコマンダードックを弾き返し、そこへリコリオさんもノックバック効果の矢を撃ち込んでさらに吹き飛ばす。
ダメージはないが、これでコマンダードックがダウンした。
攻撃チャンスだ。しかし
「ダメ!1回引いて!」
リコリオさんからストップがかかった。
何をバカな、と一瞬思うが、ここで俺の【レッドフォース】のバフが切れた。それにHPも4割程なくなっている事に気づく。
くそ、直撃は避けていたが、ステータス差がありすぎて削られていたらしい。
「一回作戦会議だよ!回復して戻ってきて!」
「チッ・・・まあ、しゃーないか」
確かに、ここまでのやり取りで見えてきた問題もある。
ここは、リコリオさんの言うのが正解だ。
ポーションを飲みながら距離を取って、作戦会議である。
「いい感じだね。今ので1割は削れたよ!」
「・・・だな!」
リコリオさんの所に戻ると、リコリオさんが楽しげな笑顔で声をかけてきた。
俺も、釣られて思わず笑みがこぼれる。
確かに色々ギリギリではあったが、成果としては上々だ。
正直、思った以上にダメージが入っててビックリしている。あのバカ硬い毛皮の感触が、さっきは嘘のように軟らかくなったのだ。
やはり奴の毛皮の防御は、リコリオさんが言ったように一定以上の火力の攻撃には効果が無いらしい。
「あとは、とりあえずダメージカットは、本当にダメージにしか効果が無いっぽいな。【蛟】も【累】も普通に効いてる感じだったぞ」
「だね。ボクの【ブレイクショット】も【チャージアップ】なしで効果あったし、その辺は大丈夫と思って良いんじゃないかな?」
どうやらリコリオさんの使っていた【チャージアップ】は、次に撃つ矢の威力を高めるアーツらしい。
バフ無しのノックバック攻撃が有効というのは、壁役の俺にとって結構重要な情報だ。
おそらくだが、奴の持つ【緋緋色の毛皮】は、ダメージ計算後に100以下のダメージを全て足切りする能力なのだろう。
単純なカスダメに対しては無類の強さを誇るが、それ以上の攻撃を軽減したり、その他の追加効果などに対する耐性までは持っていないのだ。
そんな俺達の推測を聞いていたムルジアが、ふと思い出した様子でポツリと呟く。
「追加効果・・・そういえば、アヤノンさんも、火傷でスリップダメージを狙ってたような・・・?」
「えー!?そうなの?!」
「え?あ、うん」
「じゃあ、状態異常系の攻撃も有効って事じゃん!」
「あ・・・」
「あー・・・」
なるほど、アヤが無意味に状態異常なんか狙う訳ないし、リコリオさんの予想は、たぶん正しい。
「もー!早く言ってよ!こっちだって色々準備しなきゃなんだからー!」
リコリオさんはプンスカ怒りながら、ショートカットからカードを1枚取り出して、矢筒の横のスロットに突っ込んだ。
よく分からない行動に、俺は思わず首を傾げる。
「なんだ今の?」
「矢を毒矢に変えるカードだよ。この矢筒には、矢を補給したり、追加効果を付与する為のカードスロットがついてるんだ」
「へぇ、便利だな」
「これでもそこそこ面倒なジョブクエストの報酬だからねー」
なるほど、そういう特殊装備みたいなモンが手に入るクエストもある訳か。
という事は、【侍】や【鍛治士】向けのそういうクエストもあるのかね?
「WOW!」
そんな事を話していると、不意にコマンダードックの怒りの咆哮が俺達の耳を劈いた。
振り返ると、ダウンしていたコマンダードックが立ち上がり、こちらを睨みつけている。
「くそ、もう時間か!」
どうやら作戦タイムは終了のようだ。
とはいえ、この短い時間で奴の攻略方法はなんとなく分かった。
あの毛皮のダメージカット効果は厄介だが、大火力には無力だし、追加効果や状態異常なども効果がある。
俺みたいな低レベルのプレイヤーには、天敵のような相手だが、こっちにはダメージを通せる高レベルアタッカーのムルジアと、立ち回りの上手い後衛のリコリオさんがいる。
この2人がいるなら、やりようはあった。
ただ、それでも「俺がダメージを与えられない」って状況は、色々マズイ状況ではあるが。
「・・・・・・」
「な、なんだよ?」
自然と俺の視線が、傍に立つムルジアの方を向く。
しかし、俺の考えなんか知る由もないムルジアは、怪訝そうに眉を顰めただけだった。
うん。まあ、そうだよな。
お前に察しろってのは無理あった。しかし
「UUUU・・・WOW!」
説明するより早く、コマンダードックが走り出した。
俺は仕方ないので、端的に指示する。
「ムルジア、逃げろ」
「・・・は?」
「逃げろって言ってんだよ!早く行け!」
「来るよ!」
「チッ・・・!」
猛スピードで突っ込んでくるコマンダードックに、俺も飛び出す。
しかし、奴の目は俺に見向きもしなかった。
奴の狙いは、ムルジア。
「え・・・!?」
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