第2話
朝、目が覚めた私はリビングへ行った。まだ少し、上手く開けることの出来ない目を擦りながら歩を進めた。
「あ、ユキちゃん。おはよ。」
「おはようごじゃい......ます。」
私は反射的にすぐに返事を返したのだが、声と共に欠伸も出てしまった。ちょっと恥ずかしい。
アカネさんはそんな私を見て、笑みを溢していた。
「あ、あのさ、ユキちゃん......これ、見てほしい。」
そう言ってアカネさんは、私のもとに何かを持ってやって来てくれた。
今日のアカネさんは元気な日のようだった。きっと、今日はお仕事がお休みの日だからっていうのもあると思うけど、それ以上に、昨日の夜によく眠れていた影響なのだと思う。
「そのね、ご飯なんだけどね、今までで一番うまくできたの!」
そこには、厚焼き玉子があった。それは、いつかの時に作ってもらった、ほとんどの部分が焦げていて、焦げを剥がしたら食べるところが半分くらいになってしまうようなものではなくて、とっても美味しそうな厚焼き玉子だった。
ちなみに、厚焼き玉子は私の好物だ。
「わぁ......!アカネさんスゴイ!綺麗な色してるね。」
「うん、頑張ったの、!」
アカネさんは、無邪気に喜んでいた。昨日の夜の憂鬱な表情とは対照的に。
「その、昨日おいしいオムライス作ってくれたから、お礼にと思って......」
少し照れた表情でアカネさんは続けて言った。
その姿が本当に愛おしくて、そう思った時には既に、私の胸に熱い何かが流れていた。
「アカネさん。アカネさんのこと、思いっきり抱きしめたいから、一旦、その美味しそうな厚焼き玉子そこに置いてもらえたり出来る?」
私は、下から覗き込むようにアカネさんの顔を見つめて、そう言った。
「へ!? あ、う......うん。」
そうして、アカネさんがお皿をキッチンのところへ置いたのを確認してから、私はアカネさんに抱きついた。身長はアカネさんの方が大きいから、必然的に私はアカネさんの首と胸の境目くらいのところに顔がある状態になる。アカネさんの綺麗な首が目の前に映る。食べてしまいそうになるくらい綺麗な首だった。
「......ねえ、アカネさん。」
「うん。」
「どうして厚焼き玉子にしてくれたの?」
私は上目遣いの状態で、アカネさんの顔へと視線を向けて言った。
きっと私の顔は今、少しにやけている。
そんな私を見てなのか、アカネさんの頬は少し赤くなっていた。
「えっとね、前に、厚焼き玉子が好きだって言ってたのを覚えてたから......。」
「ふふっ.........ありがとう、アカネさん。とっても嬉しいよ?」
「ホント? えへへ、良かった......」
アカネさんが私を抱きしめる力が強くなったのを感じた。
アカネさんの温かい体で包まれるのが心地よくて、ずっとこのままでいたいなぁ、と私は思っていた。ふと、顔を見上げると、どこか嬉しそうで、同時に、どこか安心しているような顔のアカネさんが、そこにいた。
(ずっと、ずっと、ずっと......)
その素敵な顔でいてくれたらいいのになぁ。
そうして私は身支度を整えて、リビングのテーブルで朝ごはんの時間を待っていた。アカネさんは先に私の分の厚焼き玉子とかを盛りつけたランチプレートを持って来てくれた。そうして、あとはアカネさんが自分の分の朝ごはんを盛りつけたランチプレートを持ってきたら、一緒に食べるというところだった。
ガシャンと、キッチンのある方から音がした。
ほんの一瞬、私がアカネさんから目を離した時だった。
「アカネさん、!? 大丈夫?」
どうやらアカネさんは、近くに置いてあった段ボールに足を引っ掛けて転んでしまったようだった。
「あ、あ......ごはん......」
転んでしまった時に、アカネさんは自分のライスプレートを逆さに落としてしまったようだった。
「がんばって......つくったのに......」
アカネさんは転んだ両足を曲げて、崩した正座のような状態のまま、意気消沈してしまっていた。
私はすぐにアカネさんの元へと駆け寄った。
「う......うう......うぇぇぇん......」
「アカネさん、アカネさん。」
「ゆぎちゃん......ひっぐ......」
目のところを擦りながら、涙をポロポロと流しているアカネさんの元へ近づいた私は優しく抱きしめながら、頭を撫でた。
「ごはん......こぼれちゃった......」
「うん、こぼれちゃったね......」
「ユキちゃんと......一緒におんなじの食べたかったのに.........」
私の胸の辺りにアカネさんは頭をうずめていた。
「あ、じゃあさ、私の分を半分こするのはどうかな?」
「......それだと、ユキちゃんの分が......ひっぐ......減っちゃう......」
ぐじゅぐじゅの声のまま、アカネさんは頑張って返事をしてくれていた。
「そっか、なるほどね。ありがとね、私のこと考えてくれて。ん~ それなら、アカネさんは一口か二口くらい食べて、残りは私が食べるっていうのはどうかな?」
「.........ひっぐ......んん......」
アカネさんは悩んでいるようだった、私になんて返事をするかを一生懸命考えているようだ。
「じゃあじゃあ、私が昨日みたくあーんしてあげる。どう?」
「......いいの、?」
アカネさんは顔を上へとあげてくれた。ピクピクと震えているその体と、ぐちゃぐちゃになっている泣き顔が、アカネさんには悪いけれど、可愛いと思ってしまった。
「うん、いいよ。もちろん。」
そう言って、私はアカネさんを再び優しく抱きしめた。
「冷めちゃわないうちにさ、食べよ?」
「......うん。ユキちゃん......ありがとう......」
アカネさんと一緒に、下へ落ちてしまったご飯を片付けてから、昨日のようにしてご飯を食べた。まだ泣いた後の余韻が残っているアカネさんを、よしよししたりしながら食べた。
アカネさんは少しずつ元気になってくれた。
今のアカネさんは、とっても不安定な状態だ。
私がここに来てから、一か月もの時が過ぎている。きっと、私の両親は必死になって探しているはずだ。それに、警察の人たちがどうしているのか分からない。もしかしたら明日にでもここがバレてしまうかもしれないし、バレないかもしれない。とにかく、今の状態は、何もかもが不安定なのだ。
そして、もし今ここに警察が来たら、アカネさんは捕まってしまう。犯罪者として。
ふと、思う。この世界にはストックホルム症候群というものがある。これは、人質の立場にいる人間が犯人に心理的な繋がり、あるいは、恋愛感情などを抱くというもので、心的外傷後ストレス障害の一種だそうだ。まあ、あまり詳しくは知らないのだけど。
ただ、今の私の置かれている状況からすれば、これにとても似ていると思う。だけど、実際の問題として、私は、アカネさんを犯人として認識しようとする意思が全く無い。なぜなら、私にとっては、今のこの時間が、人生の中で一番幸せだからだ。
私は、両親からの愛を受けとめることが出来なかった。両親から毎日のように精神的な暴力を受けていたからだ。肉体的な虐待を受けたことはないけれど、私という人間の価値観や思想、過去と未来、そういったもののほとんどは、これまでずっと否定されて生きてきた。だけどきっと、両親たちはそんな気はさらさらないのだ。あくまでも、私のことを思ってなのだと思う。
きっと、私は一応、両親の基準の中では、大切に思われていたのだ。
だけど、そんな思いが、私にとっては地獄だった。私にとっての世界、家と学校と住んでいる町は、私を仲間外れにしていた。
そんな時に、私の存在を求めてくれる人がいた。
今のこの私を、この世界を基準にしない、どこか壊れてしまっているこの私を、アカネさんは求めてくれていた。
ただまあ、アカネさんも戸惑ってはいるのだとは思う。誘拐した相手に好意を持たれているのだから。
だけど、この一か月の時を一緒に過ごして、思ったことがある。私とアカネさんは、同じなのだ。私もアカネさんも、この世界から仲間外れにされてしまった側の人間なのだ。
だからきっと、私とアカネさんが出会うのは必然だったと今の私は感じている。
......そうして、朝ご飯を食べて後は、パソコンで一緒に映画を見たりして、ゆったりとした一日を過ごした。アカネさんは、朝の時ほどではなかったけれど、元気になっていてくれた。
私はアカネさんの腕にぎゅっとしがみついて、肩に頭を乗せていた。すると、アカネさんも私の頭に寄り添うように頭を預けてくれた。私は何とも言えない高揚感に襲われて、幸福感に包まれるのだった。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
腕を伝って、ユキちゃんの体温が私に伝わってきていた。それは、温かくて、優しさに満ちたものだった。
......ああ、そうだ。
ユキちゃんは優しくていい子だ。
だから、こんなどうしようもない人間とは、やっぱり、やっぱり......一緒に居てはいけないはずなんだ......きっと。
私は、ユキちゃんには幸せになってほしい。
(ちゃんと......向き合わないと、いけない。)
だけど......だけど......
せめて、今この時間だけは、もう少しだけでいいから、ユキちゃんと過ごしたいと、身勝手なことを考えながら、私はパソコンの画面へと視線を向けるのだった。
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