5話 海に漂う

今夜、私は、オフィスで最後の仕事をしていた。


50以上ある席には、どの席にも透けた人が座り、血眼になって仕事をしている。

そう、このオフィスの人は、もう誰も生きていないわね。


もう、死んだんだから、そんなに自分を殺してまで仕事をしなくてもいいのよ。

でも、死んだことに気づいていないのかしら。

会社から強い圧力を受け、自分を押し殺している。


周りを労わる気力もなく、ただ目の前の仕事に縛り付けられている。

みんな、恐怖に抗うように仕事に没頭している。

こんな会社が成長するなんてことがいいのかしら。


ところで、私は最後なの?

音羽、親しくしてくれたのに、何もできなかった私のこと、とても恨んでいるんじゃなかったの?

私は、深夜だけどオフィスを出て、お詫びをするため、音羽が亡くなった埠頭に来ていた。


ザ、ザ、ザ


黒い影は、どんどん近づいてくるけど、足音しか聞こえない。

でも、一歩一歩確実に、私の背中に向けて近づいてくる気配は分かる。水の滴る音も聞こえる。


たしかに、音羽は、相談したいこともあっただろうし、私が、助けられることもあったと思う。

でも、私も、自分のことで精一杯だったの。もう許して。

 

恐怖のあまり声がでず、心のなかでお願いをした。

でも、黒い影の足が止まることはなかった。


私のすぐ後ろにまで来ている。

黒い影は、私の肩をつかみ、後ろにいる自分に振り向かせた。

もう、だめ。


その時、目の前に現れたのは、私が付き合えないって断った斉藤くんだった。

そして、彼は、私に裏切られたと小さな声でつぶやき、私のお腹をナイフでえぐった。


そうだった。私は、ここで殺されていたんだ。

そして、海に放り込まれた。

斉藤くんは去ってしまい、今は、誰も上には見えない。


私は泳げないし、刺されて痛く、体を思うように動かせない。

埠頭のコンクリートの壁に爪を立てて登ろうとするけど、自分の体が重くて登れない。


あと2mくらい上の角に手をかけられれば助かるのに、手が届かない。

焦りもあり、激しく動いたせいか、もう体力もないわ。

顔が水面より下がって息ができなくなってきた。


もう限界。だめ、私はこれまで。そう思っているうちに、体は沈んでいった。


それから、どのぐらい時間が経ったのだろう。

私は、埠頭に座って夜空を眺めていた。

あれ、どうしてここにいるんだろう。


朝になり、漁業をしている人だろうか、私の周りを通り過ぎる人たちもでてきた。

でも、誰も私に気づいてくれない。


そして、オフィスとか、知り合いの横とか、行けるところが限られている自分に気づいた。


でも、行っても誰も気づいてくれない。

私は、仕事をしているときも、ほとんど一人っきりだったけど、その時は、竜也とか音羽がいた。

今は私が話しかけても、答えてくれる人は誰もいない。


私は、一人だけなのが寂しくて、心が弱った音羽を呼んだ。

そして、音羽は、私に引き寄せられ、海に飛び込んだの。

そう、これまでのことは、私がきっかけで始まった悲劇。


ごめんなさい。音羽の命を奪ったのは私だった。

でも、音羽の心を追い込んだのは会社。

私は、最後に、背中を押しただけ。


だから、音羽の怒りは私に向いていないと思う。

でも、頬に穴が空き、魚に食い尽くされた音羽の姿を見るのは心が痛む。

私が悪いのは認めるわ。


私は、気づくと、いつも海に戻ってきてしまう。

そして、私の体は、腐って破裂しそうに膨れ上がってしまった。

自分の体をみるのもつらい。


そして、音羽も、もうここにはいない。1人だけになって寂しいの。


だから、会社の人たちを大勢、呼んでみた。

そして、会社にはもう誰もいない。

ブラックな会社から開放されたのに、みんな、どうして、ここに留まってくれないの。


寂しい。このままだと、今、目の前にいる人も海に誘いこんでしまうかも。

そう、今、目の前にいる、あなたを。

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漆黒の闇から 一宮 沙耶 @saya_love

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