西口コンビニA店のお化けの話③

■西口コンビニA店のお化け


 お父さんの転勤が決まったのは、3月に入る直前だった。

 お父さんは県庁の職員なんだけど、秩父の地方庁舎に転勤になった。

 ウチから車で2時間弱、電車だと2時間以上かかるから家族で引っ越しすることになったんだ。

 僕は地元の公立中学に入学する予定だったけど、急遽、今の中学への変更の手続きをして、小学校の卒業式の翌日に、秩父の家に引っ越しした。

 引っ越しと言っても、お父さんの方のじいちゃんの家だし、先ずは最低限の荷物だけを運んで、2ヶ月ほどかけて引っ越しをしたんだ。


 僕には大した友だちもいなかったけど、同じ登下校グループの飯岡さんと豊川さんと増田くんの3人から図書カードを餞別品としてもらって、ちょっとうれしかった。

 お別れするのにうれしいってのは変だけど、やっぱりちょっとうれしかった。


 そして、友だちといえば、そう、イオちゃんのこと。

 僕にとって、友だちであり小さな弟みたいな子でもあるイオちゃんには、ちゃんとお別れを言わなければいけなかった。

 

 その週の木曜日の夕方。

 僕がいつもの公園に行くと、イオちゃんはお母さんとブランコで遊んでいた。

 イオちゃんは僕を見つけると、「にいちゃん!」って、こっちに走ってきたので、僕は抱えあげて抱っこしてあげた。

 イオちゃんはとてもうれしそうにして、「にいーちゃんっ」って、すりすりと僕に顔を寄せてきた。

 「本当にお兄ちゃんが大好きなのね。」

 イオちゃんのきれいなお母さんもうれしそうに微笑んでいる。


 それで、最後にイオちゃんとブランコで遊んで、そろそろ暗くなってきたので、「ちょっとお話があってね…」と、ベンチで2人で並んで座って、引っ越しをするんだって打ち明けた。

 イオちゃんは“引っ越し”の意味がわからなくて、最初は、「おひっこし?いいなー!」って、きゃっきゃしてたけど、お母さんに「お兄ちゃんとお別れするのよ」と教えてもらうと、「やだ!やだ!やだ!」と、泣きながら怒り出した。

 「やだ!にいちゃんといっしょ!」と、僕にしがみついて離れないイオちゃんを、お母さんが優しく宥めて、また僕のとなりに座らせた。

 「こっちには陽二郎おじさんもいるし、僕はもう中学生になるからね。ひとりでここに来ることだって出来るんだ。」

 「だからね、きっとまた会えるよ。」

 そう言いながらも僕も涙が溢れてきて、イオちゃんを抱きしめた。


 「本当にイオと仲良くしてくれてありがとうね。」

 イオちゃんのお母さんが僕の頭も撫でてくれた。

 そして、少し寂しそうに、それでも柔らかな表情で、「イオのこと、忘れないであげてね」と言った。


 僕がリュックから新幹線の模型を取り出して、イオちゃんに渡してあげると、「でんしゃ!」と、イオちゃんはとても喜んでくれた。

 僕がちょうどイオちゃんと同じ頃に、お父さんに買ってもらって大事にしてた模型だ。

 「イオちゃんも、絶対に兄ちゃんのこと忘れないでね。」

 僕はイオちゃんと指切りをして、またイオちゃんを抱っこしてあげた。

 小さなイオちゃんの身体はあたたかくて、イオちゃんのお母さんと同じいい匂いがした。

 

 「2人ともたくさん遊んで喉乾いたでしょ?はい、これ。」

 イオちゃんのお母さんが、小さなパックのジュースを買い物袋から取り出して、イオちゃんと僕に渡してくれた。

 イオちゃんのジュースにストローを通してあげて、ベンチで2人並んでジュースを飲んだ。

 すると、「ビスコも!」って、イオちゃんがお菓子のビスコもねだって、お母さんは「はい、はい」と、赤いビスコを渡してくれたので、ビスコの銀色の封を剥いてあげて、一緒に食べた。


 ジュースとお菓子ですっかり機嫌を良くしたイオちゃんが、ガタンゴトンと新幹線の模型をベンチで走らせてると、ジュースを服にこぼしてしまった。

 泣いちゃうかな?って思ったけど、イオちゃんはきゃっきゃと笑って、お母さんが渡してくれたハンカチで、僕が拭いてあげた。


 18:30を過ぎて、本当に暗くなってきたので、そこでイオちゃんとさよならをした。

 イオちゃんたちは西口の方だから、僕とは反対側に歩いていった。

 お母さんと手を繋いで歩いていく、小さなイオちゃんの背中を、僕は見送った。


 イオちゃんに「またここに来るから」って言ったのは嘘じゃないけど、なんとなくだけど、僕はもうイオちゃんには会えない気がした。

 自転車に跨って、猛スピードで家に帰った。

 引っ越しの準備もしなくちゃいけなかったから。

 そうしないと、イオちゃんを追いかけてしまいそうだったから。


 家に着いて、自転車の鍵をポケットに仕舞った時に気づいた。

 イオちゃんのお母さんのハンカチを持ったままだったことを。

 今からまた猛スピードで追いかけたら間に合うかもしれない。

 お母さんが、「帰ってきたんじゃないの?どこ行くの!?」と、呼ぶのを無視して、僕はまた自転車を走らせた。


 さっきの道をまっすぐに走って駅まで着いてしまったけど、イオちゃんたちに追いつくことは出来なかった。

 イオちゃんのお母さんは買い物はもうしてたので、そのまま家に帰るはずだ。

 理由はないけど、僕はそう思って、駅の側に自転車を置いて、階段を走って登った。

 そして、駅の構内を急ぎ足で見回ったけど見つからないので、僕はとうとう西口の階段を降りて、ロータリーの前に降り立った。

 そう、お母さんとの約束を破って、駅の西口に行っちゃったんだ。


 5年ぶりくらいに僕は西口に来た。

 東口からも見える大きなマンションがすぐ近くに見えたけど、以前、イオちゃんのお母さんがお家がバス通りの近くよ、と言ってたのを思い出して、僕はロータリーを迂回して、バス通りに面したアーケードに走っていった。

 

 会社や学校帰りの人で、通りに通行人は疎らにいるけど、前を見渡せないほどじゃない。

 人の通りを縫いながら、タッタと走り抜けた。


 !!


 あれ、イオちゃん?

 お母さんは見えないが、小さな男の背中が見えた。

 紺色のトレーナーに黄色のズボン。さっきと同じだ。


 「イオちゃ…!」

 そう叫んで呼び止めようとしたところで、すぐ横のお店から出てきたオバサンにぶつかって、僕は転んでしまった。

 オバサンは平気な様子で、「あらら、ごめんね。大丈夫?」と、僕に声を掛けるが、今は構っていられないので、「だいじょうぶだから!」と、またイオちゃんを追いかけようとしたけど、イオちゃんの姿はもう見えなかった。

 

 え!どうして!?

 ほんの20mくらいの先のところに、数瞬前までイオちゃんはそこに居たはずで、まっすぐに見渡せるこのアーケードで見失うはずがないのに…

 僕は走って、イオちゃんが居たところに行ったけど、やはりそこにイオちゃんもお母さんも見つけることが出来なかった。


 どうして、どこに行ったの…

 僕が呆然としていると、「おい!どうして、お前がこんなとこにいるんだ!?」と、陽二郎おじさんが駆け寄ってきた。

 陽二郎おじさんは例の西口のコンビニA店から出てきたところだった。


 「その、友だち…友だちを追いかけてたら、こっちに来ちゃったんだ…」

 僕は、陽二郎おじさんにそう答えて、下を向いた。

 また涙が溢れてきたから。


 「とりあえず、ちょっとおじさんと一緒に来い。義姉さんにはおじさんから電話するから。」

 陽二郎おじさんは、僕の手を取って、ゆっくりと歩き始めた。

 何も言わずにとぼとぼと歩いていくと、小さい頃によく連れてきてもらったファミレスに着いた。

 「懐かしいだろ、ここに来るのも最後だろうし、今日はおじさんと夕飯を食べよう。」

 陽二郎おじさんに手を引かれて、僕は店内に入った。


 イオちゃんのことはかい摘んで話した。

 年の離れた小さい弟のような友だちで、その子のお母さんにハンカチを返さないといけないこと、イオちゃんをさっき見つけたのに、転んでしまった間に見失ってしまったんだってこと。

 陽二郎おじさんは「うんうん」と頷いて、そして、「大事な友だちなんだな」と言った。

 

 料理が運ばれてきて、陽二郎おじさんは「先に食べてろ」と言って、お店の外に出て、お母さんに連絡してくれた。

 あれもこれも、小さい頃はよく食べたろう、と陽二郎おじさんがたくさん注文したので、お腹がはち切れそうなくらいに満腹になった。

 食事を終えて、陽二郎おじさんが家まで送っていってくれるって言ってくれたけど、「ぼく、もう中学生になるんだから大丈夫だよ。駅に自転車も置いてあるし」と断って、ひとりで帰ることにした。

 じゃあ、と陽二郎おじさんは、「帰りにお菓子とジュースでも買いな」と、500円玉を握らせてくれて、ファミレスのとこでバイバイした。


 駅に向かって僕は歩いて行く。

 交差点のところに、例のお化けが出るというコンビニのA店があって、小さい頃はさっきのファミレスの帰りによく来たなぁ、と思って、僕はジュースでも買って帰ろうと入った。


 三ツ矢サイダーを取って、グミも欲しいなって、お菓子コーナーに行った。


 あ!

 イオちゃん!!


 紺色のトレーナーに黄色のズボン。

 小さな子どもがお菓子コーナーでしゃがんでお菓子を見ている。


 「イオちゃん!!」

 「伊織ちゃん!!」

 僕がイオちゃんに駆け寄って、抱き上げようとしたら、、、


 「にいちゃん?」

 イオちゃんがこっちを見て、僕を見た。


 イオちゃんを抱き上げようとしていた僕の身体が、ピタリと固まる…


 こっちを向いたイオちゃんの顔は、真っ黒な渦の様で、目も鼻も口も無い。

 お母さんに似て、色の白い女の子にも見える可愛い顔が無くなっていた。


 「にいちゃん!ビスコたべたい!」

 眼の前の顔の無い、イオちゃんの声を発するナニかが僕の足元に来て、僕を見上げてビスコをねだった。

 ヒッと少し腰が引けた。

 でも、灰色の猫がプリントされた紺色のトレーナー、さっきこぼしたぶどうのジュースのシミが付いた黄色のズボンに青色の靴。

 やっぱり、この子はイオちゃんなんだ…


 「にいちゃん?」

 イオちゃんが困ったように、首を傾げて不安そうにする。

 僕は首を振って、「ビスコ買ってあげる。お外で食べよう」と、顔の無くなったイオちゃんの小さな手を取り、小さなパックのオレンジジュースも取って、レジでお金を払った。


 「イオちゃん、ママはどこ行ったの?」

 僕たちは手を繋いで駅前通りを歩く。

 「ママ?ママいない…ママいない!!」

 お母さんと逸れてしまっていることを実感したのか、イオちゃんが泣き出しそうになった。

 「だいじょうぶ、だいじょうぶ、兄ちゃんとママを探そう?ね?」

 僕はしゃがんで、イオちゃんの頭を撫でててやって、そして、赤いビスコを剥いてやって、食べられるのかは分からなかったけど、イオちゃんに渡してやった。


 「にいちゃんもビスコ!」

 一緒に食べようってことみたい。

 僕もビスコを剥いて、1つ食べようとした……


 そしたら、

 あの公園のベンチに、僕はイオちゃんと並んで座っていたんだ。


 イオちゃんはあむっとビスコを齧って、「おいしい!」って、女の子にも見えるその可愛い顔を、満面の笑みにして言った。

 僕もビスコを齧って、「美味しいね」と言って、イオちゃんを抱きしめた。

 可愛い可愛い僕の小さな弟。

 ずっと離れたくないよ…って。


 「2人は本当に仲良しね。」

 「仲良しの兄弟で、お母さんも嬉しいわ。」

 姿は見えないけど、イオちゃんのお母さんの声が聞こえた。

 「ママー!」と、イオちゃんが見えないお母さんのとこに駆けていく。

 姿は見えないが、どうやらそこにいるらしいお母さんと手を繋いだ。


 「ねぇ、シキくんは大きくなったら、何になりたいの?」

 イオちゃんのお母さんが僕に聞いた。

 「僕が大きくなったら?」

 「そう。織くんは何になりたいの?」

 急に聞かれてびっくりしたけど、僕はもう将来のお仕事を決めていた。

 「お医者さん、うん、僕はお医者さんになりたいんだ。」


 「おいしゃさん!!にいちゃんはおいしゃさん!?」

 おいしゃさんすごい!!と、イオちゃんがぴょんぴょんと跳ねて、きゃっきゃとしている。


 「お兄ちゃんはお医者さんになるんだって、凄いわね〜」

 見えないお母さんがイオちゃんを抱き上げて、抱っこした。


 「じゃあ、イオは大きくなったら、何になるの?」

 やっぱり、見えないお母さんが同じようにイオちゃんに聞いた。


 「いお〜?」

 「うん、イオは大きくなったら、何になるの?」


 「いおね、んーと、いお、にいちゃんになる!」

 イオちゃんが僕を指差して、こう言った。

 こっちを向いたイオちゃんの顔は、また黒い渦の様になっていた。


 バチバチって目の前がフラッシュするようになって、何も見えなくなった。


 そして、目を開けたら、陽二郎おじさんが凄い形相で、僕の名前をずっと呼んでいる。

「織!織!シキ!」

 ぼーっとしていた意識がパチってなって、「うん、だいじょうぶ…」って答えると、僕の手を握って、「よかったぁ…」と、僕の側に座り込んだ。


 救急車がけたたましくサイレンを流してやって来て、僕はそれに乗せられて、市立病院に搬送された。

 救急車に乗るのは2度目なんだけど、1度目はあの事故の時で、意識が無かったから覚えていないから、この時が初めてみたいなものだった。


 市立病院で色々と検査をしたけど、何も異常や大きな怪我は無かった。

 「下田織くん、あそこで何があったのか覚えているかい?」と、お医者さんと看護師さんに同じことを聞かれたけど、僕はこう答えるしか出来なかったんだ。


 「お化けを見たんだ。」

 「イオちゃんのお化けを…」

 「僕の弟の、伊織のお化けを見たんだ」って。


 お医者さんは「弟さん?」、「お化け?」と聞き直し、陽二郎おじさんが、「ちょっとまだ混乱しているようで…」と、取り繕うように答えた。


 だって、お母さんが、「いおり、イオリ、伊織!?」って、頭を抱えてたと思ったら、プツリと糸が切れたみたいに倒れちゃったんだから。

 それで、お父さんは看護師さんとお母さんを別の部屋に連れて行ってたからね。


 結局、僕とお母さんは一晩だけ入院することになった。

 翌朝、やっぱり特に問題無しってことで、僕とお母さんは退院した。

 お父さんは転勤前で忙しくて迎えに来れなかったから、休みを取ってくれた陽二郎おじさんが、代わりに車で迎えに来てくれた。


 お母さんが行って欲しいところがあるのよと、陽二郎おじさんに東京の住所を告げた。

 家に帰る前に、どうしても行かなきゃいけないのよって、お母さんが陽二郎おじさんに言った。

 陽二郎おじさんは特に理由も聞かずに、はいよって、車を出した。

 

 1時間ほど車に乗ると、東京タワーが見えてきて、そこからしばらくして目的地に着いた。

 墓地だった。

 お母さんがゆっくりと墓地の中を行って、陽二郎おじさんと僕は続いたんだけど、目的のお墓の近くまで来ると、お母さんは駆け出して、そのお墓の前に座り込んで、

 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、織だけは、織だけは許してください、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 そのお墓に縋り付いて、必死に何度も謝った。

 隣の陽二郎おじさんも、両手を合わせて、お祈りするように、「織だけは、織だけは許してやってください」って繰り返していた。


 お墓は徳永さんの家のものだった。

 横側には、”伊織”の名前が、僕があの事故に遭った日付とともに記されていた。

 そして、同じ日付で”早紀”とも。


 「いおね、んーと、いお、にいちゃんになる!」

 そしたら、伊織の声が聞こえたんだ。


 そして、

 「大きくなったら、イオはシキお兄ちゃんになるのよね。お兄ちゃんと一緒にずっと仲良くね。」

 伊織のお母さんの声も聞こえた。


 「にいちゃん、だいすき!」

 伊織がお母さんに答えるように言った声が、僕の耳元で聞こえた。

 

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