第2話交差する運命
四月の東京は、徐々に夏の気配を孕みはじめていた。
葵学園の校舎には新しいクラスのざわめきがまだ色濃く残っており、神谷悠真はその中心で「普通の高校生」を演じていた。
「悠真くん、今日の世界史、ノート貸してくれない?」
「また?遥香、自分でも取れって。」
昼休み、いつものように生田遥香に絡まれながら、悠真は軽く笑ってプリントを差し出した。
平穏。嘘のように穏やかな時間。
けれど、彼の胸には常に別の顔があった。
“始末屋”――異能の力を使い、依頼された「悪」を裁く存在。
名もなき裏稼業。正義か復讐かすら、もう定義できない。だが悠真にとって、それは過去と決別し、生き残った意味を問い続ける手段だった。
放課後、人気のない路地裏へと足を向ける。
かつてシスター・マリアの祈りの声が響いていた教会跡地――今は廃墟となり、誰も近づかないその場所が、悠真の“拠点”だった。
鉄扉を開ける。
埃の香りと、どこか懐かしい冷気が肌を撫でる。
奥の部屋には、机とロッカー、そして一つの“依頼箱”がある。
開けると、中には白封筒が一通。
いつも通り。だが、今日は何かが違う気がした。
封筒の中には一枚の紙と、写真。
紙にはこう記されていた:
――ターゲット:不良組織『クロウズ』リーダー
――罪状:暴力事件関与、薬物流通の疑い
――特記事項:異能の使用が疑われる
――処理対象として認定。報酬支払済
悠真は無言でその写真を見つめた。
写っていたのは、金髪に刺青を浮かべた若い男。鋭い眼光と、どこか人を拒絶するような表情。
その顔を見た瞬間、悠真の心臓が微かに跳ねた。
「……どこかで……」
確かな記憶ではない。けれど、胸の奥に引っかかる。
幼いころに見た誰かに似ている気がした。遠い過去、火と血の夜の記憶――その中にいた、一人の少年。
「まさか……いや、違う。そんなはずはない。」
彼は頭を振り、考えを振り払おうとした。
だが、写真の男の目。あの眼差しは、かつての仲間の誰かを思わせた。
「……確認しないと、ダメか。」
仕事は仕事。感情を挟むな――そう言い聞かせる一方で、心にはわずかな迷いが生まれ始めていた。
依頼者が何者かは知らない。
だが、異能の使用が疑われる男――それだけで、処分対象になるのが今の社会。
“まただ。あの時と同じように。”
悠真は写真を静かに机に置き、目を閉じた。
これは偶然か、それとも――運命が再び歯車を動かし始めたのか。
「……始末するべきか、救うべきか。」
自問に答える声はなかった。
ただ、夜の東京のざわめきだけが、遠くから聞こえていた。
新宿の裏路地、街灯の明かりすら届かないその奥で、神谷悠真は足を止めた。
月明かりを背に、身を低くして倉庫の隙間から内部を窺う。
(警備が多い。だが……動きに秩序がある)
その動きは単なる不良のそれではなかった。
位置取り、視線の向き、巡回のタイミング。
まるで、誰かが意図して守りを敷いているかのようだった。
悠真は、足元の摩擦を少しだけ操作し、ほとんど無音で地面を滑るように移動した。
窓の下、鉄扉の影。次の瞬間、背後に殺気。
――速い。
振り返るより早く、拳が風を裂く。
悠真は“斥力”を脚に集中させ、地を蹴って空中へ跳んだ。
拳は外れ、背後のコンクリート壁がひしゃげた。
「ずいぶん軽い足取りだな」
現れたのは、金髪の青年。
肌には刺青、鋭い目に戦慄の光。
ただのストリートギャングとは違う、“鍛え上げられた戦士”の気配があった。
悠真は無言で構える。
相手は問答無用だった。
初動から、全力の連打。拳、膝、蹴り――
打撃のすべてが、まるで弱点を知っているかのように正確だった。
悠真は重心を制御し、引力をわずかに傾けて敵の攻撃を外す。
反撃の肘打ちを放つが、相手はそれすら予測していたように身を引いた。
(生身でこれだけ……!?)
金髪の男は表情一つ変えず、鋭く踏み込む。
悠真の腹を狙った一撃。
悠真は手のひらに圧縮した“電磁反発”を走らせ、拳を弾いた。
「……何か、やってるな。お前」
「そっちも……普通じゃない」
言葉を交わす暇はなかった。
鉄骨の柱を蹴り、男が上から降りかかる。
悠真は自らの重力を反転し、垂直に跳躍――空中で踵を回してカウンターを放つ。
金属が衝突するような鈍い音。
二人は一瞬だけ離れ、再び視線を交錯させる。
「……昔、会ったことあるか?」
「……ないとは、言い切れない」
どこか、懐かしい匂い。
だがその記憶には、まだ名前も輪郭もなかった。
互いが再び動こうとした、そのとき――
「リーダー!やべぇ!別の連中が駅前で暴れてる!爺さんの店、燃やされてるって!」
叫び声と共に倉庫の扉が開いた。
数人の若者たちが慌てて駆け寄る。
金髪の男は舌打ちをして悠真を睨んだが、すぐにその表情を変えた。
「……今日は、ここまでだ」
「別に……望んで始めたわけじゃない」
互いに距離を取りながら、悠真は少し身を引いた。
男も追わなかった。
「ここらは、色々とゴチャゴチャしてる。深入りしないほうがいいぜ」
「そうするよ」
倉庫の扉が再び閉まる。
月明かりだけが残り、悠真は一人、夜の静寂へと歩いていった。
(あの男……ただの不良じゃない。まるで、誰かを……守っていた)
誰かを守るような立ち回り。訓練された仲間たち。騒ぎを抑えようとする声。
それはかつて、シスターのもとで共に過ごした仲間たちの姿に、どこか重なるものがあった。
「……まさかな」
悠真の足取りは重かった。
戦いは終わっていない。
だが、ほんのわずかに“疑問”が心に差し込んでいた。
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