第1話 仮面の調律者
東京、四月の空はどこか気怠げで、春の温もりと共に都会の雑音を運んでくる。
神谷悠真は、通学路の交差点で信号を待ちながら、ぼんやりと空を見上げていた。
制服の胸元に付いた校章は、名門と呼ばれる私立・葵学園の証。
彼はそこで“平凡な高校生”として暮らしていた――表向きは。
「悠真くん、また寝不足?」
同じクラスの女子、生田遥香が心配そうに声をかける。
「ん……ちょっとね。ゲームのしすぎかな。」
軽く笑ってごまかしながら、内心では別の理由を思い浮かべていた。
――昨夜も、ひとつ、悪を消した。
教室では、教師の退屈な声が流れていた。窓の外には桜が舞い、学生たちの笑い声が遠くに響く。
この空間の中で、悠真は仮面を被り続ける。過去を隠し、力を隠し、ただ“普通”を演じる日々。
だが夜になると、仮面は外れる。
放課後。街が喧騒に染まるころ、悠真は人気のない裏路地へと姿を消した。
黒のパーカーにフードを深く被り、足取り軽く夜の東京を歩く。
目的地は廃ビルの一角。
そこにある“始末屋”の依頼箱には、今日もまた、一枚のメモが差し込まれていた。
――依頼対象:黒川商事 常務・黒川翔一。
――罪状:未成年者への人身売買、警察との癒着あり。
――報酬:振込済み。裁定を。
「黒か、白か……俺が決める。」
悠真はメモをポケットに押し込み、ビルを後にした。
異能者というだけで命を狙われた過去。愛する人を守れなかった過去。
その贖罪のように、彼は裏の世界で“悪を裁く者”となった。
夜、黒川のオフィスに侵入した悠真は、無言のまま彼の前に立った。
「なっ……誰だ、お前……! 警備を――」
男が声を張り上げようとした瞬間、空間が歪む。
悠真の右手が静かに振られた。
黒川の身体は地面に押し付けられるように倒れた。彼の「力」は全て、圧縮され、封じられた。
「俺は裁判官じゃない。でも……」
悠真は静かに目を伏せ、淡々と告げる。
「お前みたいな人間が、何もなかったように笑って生きてる世界は、間違ってる。」
男の叫びは聞こえなかった。
次の瞬間、悠真は男の胸に手をかざし、わずかに力を解放した。内蔵に向けて“衝撃”だけを通す。表面に傷はなくとも、内部は二度と回復しない。
“始末”完了。
警察は後に“急性心不全”と判断する。誰も、彼が処刑されたとは気づかない。
悠真は再び夜の闇へと溶け込んだ。
手には微かな震えが残っていた。
「こんなことしても……マリアは、喜ばないよな。」
つぶやいた声は、誰にも届かない。
ビルの屋上に登り、遠くの街を見下ろす。
煌々と輝く東京の夜景は、美しくも冷たかった。
「でも……守るって、こういうことだろ?」
仲間たちは、今どこで生きているのか。
斉藤は、葵は、翔太は、結衣は――。
会いたいと願うほど、その願いが罪に思える。
悠真は、もう一度空を見上げた。
月が、昔と同じようにそこにあった。
だが、あの夜のような優しさは、そこにはなかった。
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