第6話

 翌朝。ベッドの上で目を覚ますと、枕元に薄汚れた鞄が置かれていた。試しに枕を入れてみると、明らかに鞄より大きい枕が吸い込まれていく。


 その便利さもこれが置かれた状況も、今更驚いても仕方ない。また勇者はこの世界に転送されたその日には装備したと聞いた事があり、改めてその差を思い知る。


「……順調だな」


 パソコンでメールをチェックすると、昨日聞かされた通りいくつかのシナリオが採用になっている。同時に修正点も指摘されていて、ただそれは俺の知らないこの世界の慣習に合わせた内容が殆ど。ストーリー自体の手直しは殆ど無い。


 手早く修正をして、すぐに返信。後は便利な鞄を持って、森に出かけるとしよう。



 夕方前に森から帰ってくると、街外れの民家を何人かが遠巻きに見守っていた。なんとなく不穏な雰囲気で、興味を惹かれて声を掛ける。


「何かあったんですか」


「出るらしいよ、ここ」


「出る」


「温泉ではないし、虫でも無い。では何が出るかという話さ」


 恰幅の良い中年の男性は声を潜め、しかしその下に微かな喜びの色が混じる。魔物が徘徊するこの世界でも、幽霊やお化けは恐怖と興味の対象らしい。


「ここで死んだ人とか?」


「ずっと空き家だったし、そこまでは分からん。こういうのを退治する専門の冒険者もいるが、労多くて実り無し。一応お札は貼ってあるから、外には出ては来ないだろう」


 むしろ出てきて欲しいような顔つきで、俺は男性に礼を告げて歩き出した。これは1つ、活用してみよう。



 あちこちに話を聞いて周り、いつもより遅い時間に食堂を訪ねる。店内は相変わらずの賑わいで、勇者一行の盛り上がりも見慣れた光景だ。


 俺は定位置である端のテーブルへ落ち着き、見聞きした話を頭の中で整理する。


「今日は遅かったすね」


「ちょっと用事があって。シチューとパン。後、魚料理をお願い」


「毎度」


 猫耳のウェイトレスは軽快な足取りでカウンターへ向かい、と思ったらすぐに戻ってきた。小さな瓶を両手で抱えて。


「お客さんに聞いた内容を勇者様に話したら、こんなのが出来たっす」


「開けて良い?」


「良いっすけど、これは本当に食べ物っすか?」


「これ単体では食べないというか、調味料だよ」


 瓶を開けると懐かしい香りが漂ってくる。


 自分としては醤油を作りたかったが、おそらくは味噌とその上澄みが出来上がっているようだ。日本で食べるそれを完全に再現出来た訳では無いが、転送されてきた日本人に受けるのは間違いない。


「塩分が多いから、そこだけ気をつけて。煮物でも焼き物でも、何にでも使えるよ。生野菜に掛けるだけでも良い」


 小皿に少しだけ分けてもらい、その香りに目を細める。


 猫耳のウェイトレスは勇者達の呼びかけの応じて、いつも通り元気よく彼等と話し込んでいる。楽しげな笑い声は食堂内に広がり、端のテーブルにいる俺にも届く。


 今ばかりはシナリオの事を忘れて、これを楽しむか。



 盛り上がる勇者一行と、店内の客。従業員も勇者達の接待に忙しく、もはや彼等専用の食堂と言っても良いくらい。俺のシナリオとは無関係に、彼等がこの店を買い上げてもおかしくは無い。


「幽霊? それは俺達でも倒せるのか?」


「除霊の魔法を覚えれば。明日までに習得しておく」


「よし、後は俺に任せてくれ」


 勇者は物憂げな妙齢の女性に頼もしく宣言し、魔法使いだと思われる若い女性の肩を叩いた。妙齢の女性は今日聞き込んだ限りだと、あの家の家主だったはずだ。


 ここに来る途中でシナリオを送信したのだが、早速採用してくれたようだ。


「幽霊がいなくなったとして、そんな家に買い手は付くのか」


 熊みたいなごつい戦士が、見かけによらぬ繊細な事を言う。勇者もそこは請け合えないらしく、首を傾げて唸り出した。


 とはいえ妙齢の女性も、幽霊屋敷よりは元幽霊屋敷の方がましという顔。俺としてはその違いがよく分からないが。



 川魚らしいフリットを食べていると、猫耳のウェイトレスが申し訳なさそうに近付いてきた。俺も手を休め、彼女に席へ座るよう促す。


「いつも申し訳ないっす。さっきの話、聞いてたっすか?」


「ああ。実際に家も見た事あるよ。小綺麗だったから、幽霊も住みたいと思うのは当然だ」


「そういう所って、どう思うっすか」


「あの勇者が除霊した幽霊屋敷ですなんて、むしろ良い謳い文句だろ」


 そう答えるとウェイトレスはにこっと笑い、指先でテーブルをタップし出した。そして上目遣いで、ぽつぽつと語り出す。


「いつも相談してばかりで申し訳ないっす。こういう言い方は良くないかも知れないけど、勇者様達に質問するのはちょっと気が引けて」


「それは俺も分かるよ。自分の場合は、仮に用があっても近付きたくない」


「そうっすか。お客さんは将来の夢とかないんっすか」


「毎日美味しい物を食べて、寝られる場所があればそれで十分だよ」


 まさに夢も何もない台詞だが、これは偽らざる俺の本心。ついこの間まではその日の食事すら事欠く始末で、言ってみれば何も無く過ごせる日々こそが俺の夢だ。


「つまりは安定した生活って事っすか?」


「まあね。今はキノコを狩って暮らしてるけど、それがいつまで続くのかとは思う。とはいえ冒険者になれる程の技量も無いし」


「生きていくって大変っすよね」


 呆れられるかと思ったが、意外にも同意された。彼女もウェイトレスなので、日々の仕事こそあれ高収入では無いはず。またいつまで続けてもという話で、自分の店を持ちたいというのも夢とは別に現実的な側面もあるかも知れない。


「今日も色々ありがとうっす。店長もキノコの事、いつもありがとうって言ってたっす」


「あのくらいで良ければ、全然。お店、持てると良いね」


「はいっす」


 良い笑顔と共に去って行くウェイトレス。俺にはあまりにも眩く輝かしく、勇者よりも尊く見える。



 家に帰り、今日の出来事を頭の中で整理する。


 勇者はより活躍し、ただ市井にも目を配り続ける。気取らず飾らず、誰しも彼に好感を持つだろう。


 彼にとって幽霊退治などささやかすぎる仕事だが、だからこそ多くの人の共感を呼ぶ。この国だけで無く、この街。引いては自分達のためにも力を振るってくれる御方だと。


「……全体も整理するか」



・勇者の叙勲と、爵位の授与予定


・この街を含む一体の領主となる予定。司法立法行政、全てを兼ねるらしい


・味噌の確保


・幽霊屋敷があり、そこで除霊


・元幽霊屋敷なので買い手は付きづらいが、勇者が関わった場所という付加価値はある


・勇者とウェイトレスの間に関係性が出来る



 導入は上手くいき、後はこの先をつないでいくだけ。例の女は続けて採用されると言っていたので、アイディア通り進めて問題なさそう。


 またあの女も、この結末は想定しているはずだ。


 この世界には何の影響も無い、たわいも無いサイドストーリーの結末を。

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