笑う警官

深夜の住宅街。静まり返った路地には、街灯が点滅しながらかすかなオレンジ色の光を投げかけていた。会社員の田中隆也は、終電を逃してしまい、仕方なく徒歩で帰る途中だった。


「こんな時間に人なんているわけないよな……」と心の中でぼやきつつ、寒さに耐えながら歩いていると、ふいに後ろから足音が聞こえた。


コツ……コツ……コツ……


振り返ると、そこには警官が立っていた。古びた制服を着た、少し小柄な男だった。彼は無表情なまま隆也をじっと見つめ、やがて口角を引き上げて不気味な笑みを浮かべた。


「こんな時間に、どうしました?」


警官は柔らかい声でそう問いかけた。隆也は少し警戒しながらも、「仕事が遅くなって、帰る途中です」と答えた。


警官はその答えに満足した様子もなく、またニヤリと笑った。その笑顔はどこか作り物のようで、目が笑っていないことに隆也は気づいた。


「お名前とご住所をお聞きしてもよろしいですか?」

「え……?いや、特に怪しいことはしてないんですけど……」

「これは、念のためですから。」


警官の声はどこか機械的で、背筋が凍るような威圧感があった。


隆也は仕方なく、自分の名前と住所を伝えた。しかし、警官はメモを取るでもなく、ただじっと彼の顔を見つめて笑い続けていた。


「お帰りになる前に、ちょっとこちらに来てもらえますか?」


そう言って警官は路地の奥を指差した。そこはさらに暗く、人の気配など一切ない方向だった。


「いや、ちょっと疲れてるんで……早く帰りたいんですけど。」

「困りますよ。それとも、帰り道が二度とわからなくなってもいいんですか?」


警官の声色が一瞬で低くなり、その場の空気が凍りついた。


仕方なく警官の言う通りに路地裏に足を踏み入れると、周囲の空気が異様に重く感じられた。風も止み、まるで別世界に迷い込んだようだった。


突然、背後で笑い声が響いた。振り返ると、さっきの警官がこちらを見ながら笑っている。だが、その笑顔は先ほどよりもさらに不気味に歪んでいた。口が耳元まで裂けているように見え、目は白く濁っていた。


「田中さん、あなたみたいな人を待っていたんですよ。」

「何を言ってるんだ……!?」


隆也は恐怖で後ずさりしようとしたが、足が地面に吸い付くように動かない。


「あなたも気づいているでしょう?この道、何度も通っているのに、帰れた試しがない。」


警官の声がだんだんと周囲にこだまし始め、笑い声が次第に何重にも重なって響き渡った。隆也は耳を塞いだが、笑い声は頭の中に直接響いてくるようだった。


必死に逃げようと路地を駆け出した隆也。しかし、どの道を選んでも同じ場所に戻ってきてしまう。先ほどの警官が、まるで分身したかのように次々と現れ、彼を囲むように笑い続けていた。


「帰れるわけがない。だって、あなたはもう“ここ”の住人だから。」


そう告げると、警官たちは一斉に大きく口を開き、狂ったような笑い声を上げた。その声は次第に人間のものではない、不快な金属音のような響きに変わり、隆也の意識はそこで途切れた。


翌朝、その路地で散歩をしていた近所の住人が、不審なものを見つけて警察に通報した。壁に貼られた古びた警察官募集のポスター。そのポスターの中央には、見覚えのあるサラリーマン風の男が笑顔で写っていた。


ポスターの下部にはこう書かれていた。

「深夜警官募集中:未経験者歓迎」


その後、田中隆也の姿を見た者はいない。

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