第3話 しかしアイドルは神様の夢を見るか?
■小林由紀
フジテレビ「夜のヒットスタジオ」のセットで、アイドル歌手小林由紀が水色のドレスで歌っている。
小林由紀は、デビュー3年目で21歳という年齢の割に、幼い顔立ちが清楚なイメージを与える。中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、松本伊代、早見優、石川秀美など女性アイドル豊作だった、いわゆる花の82年組の一人だ。
2年間はそこそこのヒットも出て、紅白歌合戦にも出場した。人気の翳りは3年目、まさかの素人集団おニャン子クラブの出現で、82年組で一番個性も実力も乏しい由紀は飽きられて、あっという間に脱落してしまう。
テレビなどの露出が減ったのに合わせるように、清純派アイドル小林由紀に男が出来る。それが山口政治である。
フジテレビの廊下を、数名の付き人に囲まれて、サングラスをかけた由紀が歩いている。裏口側に停まった車に乗り込む。車はすぐに発車する。建物の外には何人かのマスコミ記者たちがいるが、その前を車は走り過ぎる。由紀は後部座席で頭を引っ込めているので、外からは誰も乗っていないように見える。
スキャンダル回避のための、テレビ局脱出法である。落ち目とはいえ、そんなタレントこそゴシップ記事のいい標的だ。ワイドショーや週刊誌はどこで張っているかわからない。由紀には、隠れて車に乗る理由がある。
都内のマンション一室。由紀がサングラスのまま入って来る。
迎えるのはバスローブ姿の男、山口政治。ニコニコと満面の笑顔で、両手を大げさに広げて由紀を抱き寄せる。
「マスコミには追われなかった?」
「だいじょうぶ。もうわたしなんか誰も気にしてないから」
山口、由紀のサングラスを外し、甘ったるいキスをする。
「ねえねえ由紀、早くあそこへ行こう」
とろとろに甘い声で山口が指差す方向はベッドルーム。
由紀の真っ赤なルージュが艶やかに微笑む。それは、さっきまでの清純派アイドルとは、はや別の顔になっている。
蛍光灯が明るく灯るベッドルーム。セミダブルのベッドに山口が腰かけ、その前に由紀が向き合うように立っている。
「じゃあ脱いで」
「わたしが脱ぐの見るの、好きね」
そう言いながら、由紀はたちまちブラウスのボタンを外し、スカートのホックに手をかけ、足元にスカートを落として、下着だけになる。ひどく硬くて脱ぎにくいもののように、パンストをゆっくりゆっくりと尻から下ろし、一本ずつ足の先から抜き取って行く。その間も、目は山口の方を見つめたまま、口元にも笑みを残したまま。
「♪セーラー服を脱がさないで~」
「その歌、キライ」
「君の脱ぎ方、好きだよ」
「そんなにしっかり見られたら、恥ずかしいよ」
由紀、ピンクのブラジャーのホックを外し、片方ずつじらすかのように紐を下ろす。華奢な身体に似つかわぬ豊満な乳房が、バウンドするように表れる。
「その胸も大好きだ。小林由紀がDカップのボインだなんて知ってるのは、俺だけだからね」
ボインとは、大きな胸を指す70年代に流行った死語。この頃はまだ、山口のように使う人間がいたかも。
「やだ。山口さん、ほんとエッチ」
「でも、恥ずかしいと言いながら隠しもしない。俺に見られていることを意識して、わざとゆっくり脱いでる。君はいつも見られているのが好きなんだ。今も見られることで興奮してる。君は天性のアイドル、演じるために生まれて来た女優なんだ」
由紀、こころなし頬を赤く上気させて、唇を少し尖らせる。一瞬舌を出して唇を濡らすと、手を降ろして最後のパンティーに指をかける。ブラジャーと同じ色のレースの小さなパンティーを、うんと時間をかけて足元まで下げて行く。微笑みながら山口を見つめ、少し腰を振るようにして、パンティーを片足ずつ抜き取る。
「あなたも早く脱いで」
由紀が投げたパンティーを受け取りながら、山口がにやける。
「このまま、もう少し見ていたい。君の見事なカラダを。すみずみまで全部」
「いいよ、見て。ポーズつける?」
「そうだな、どう演出しようか」
「やっぱり自分だけ裸って好きかも。すごく興奮してる」
「君は最高の女優だ」
全裸のアイドルが、ただひとりだけの観客に全てをさらし、からだをくねらせながら興奮している。
ベッドの中、二人とも全裸のままタオルケットさえかけないで、抱き合っている。行為の余韻が残る、けだるい時間。山口が煙草に火を点ける。由紀、初めてタオルケットを手繰り寄せる。
「わたし、明日記者会見があるの」
「ついに俺と恋人宣言か?」
「映画に出るの、安田監督の。山口さん、安田監督の映画出たことあるでしょ」
「あるけど、なかったことにしたい映画だな。『追いかけてヨコハマ』なんて知らないだろ。ヨコハマシリーズだよ。次に『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコハマ』って来た時には、さすがにもうヨコハマはやめようって言ったよ。そしたら今度は『これっきりですかヨコスカ』だって」
「どこまでホントなの」
笑い転げる由紀。
「わたしの方の映画はね、タイトルが『ギンギラギンの日々』で、主演が吉川功一さんなの」
山口、表情が固まり、点けたばかりの煙草を消す。
「吉川が?」
「山口さんと同じ劇団なんでしょ。どんな人か楽しみなんだ」
「やめた方がいいよ、そんな映画」
山口、おもむろにベッドを出る。由紀の話をあっさり打ち切り、下着も着けないまま窓際に立つ。
さっきまでの甘い時間を、噓のように気まずくさせる、男の名前。その理由を知らない由紀は、何か解せない空気を覚えながらも、それほど気にすることなく、枕を抱きしめる。
枕元のラジオから、小林明子の『恋におちて』が流れている。評判のメロドラマの主題曲に、うっとりと聞き入る由紀。
■精神病棟
建物の前に一台の高級車が停まる。降りたのは、サングラスをかけた有名アイドル小林由紀。付き人を連れ、建物に入る。
奥から、富田医師と西村刑事が迎え入れる。
「わざわざ御無理をお願いしまして、すみません。担当医師の富田と申します。こちらは、警視庁の西村刑事」
「前にお会いしたので、知ってます」
由紀、間髪入れずそう言うと、サングラスを外してバッグに入れる。
富田、初めて会うアイドル歌手のオーラに圧倒されたのか、予想外の冷たい第一声に戸惑ったのか、次の言葉が一瞬遅れる。
「あ、では、こちらへどうぞ・・・」
応接室へ案内する。
山口は、個室で何やら一人でやっている。パントマイムのようだ。
重い岩か何かを、必死に動かそうとしている様子である。動かないので、そこに落ちている木の棒のようなものを拾って来て、テコにする動作をする。
応接の椅子で、モニターの山口を見ている由紀。
「よくあんなことをやってます。時には何時間も。何か重いものを動かそうとしてる時と、大きな壁に遮られて出口のようなものを探してる時があります」
富田医師の説明を聞きながら、由紀はモニターからテーブルに目を移し、出されたコーヒーのカップを手に取る。
「山口さんは、ドラマなどではちょっとニヒルというか、若い割には少し渋めな、そういう二枚目役で通ってましたけど、わたしと会う時は全然違ってました」
「どんなふうにですか」
「とてもネアカっていうか、面白いんです。それでいて、まるで子供のように甘えん坊で、由紀ちゃーん、なんて言ったりして。時々あの人の方が年下に思えることがあったわ」
「想像できませんね。由紀ちゃん、もとい小林さんは、山口さんとどこで知り合ったんですか」
「ワイドショーみたいな質問ね。そんなこと、事件に関係あるのかしら」
意外と気が強いようで、はっきりした物言いの由紀の態度に、今度は西村刑事が口を開く。
「すみません。お話ししたくなければ結構です」
「半年ほど前に、わたしテレビ局でとてもイヤなことを言われて、ひとりでセットの裏へ行って泣いてたことがあったんです。ひとしきりグスグスと泣いて、スタジオに戻ろうとした時、『もう気が済んだか?』って声がしたの」
「それが山口さん?」
「うん。そこで寝てたのね。わたし全然気がつかなくって、ずいぶん人の悪口とかもひとり言で言ってたんだけど。それであの人、起き上がって『あと5分泣いてたら、笑わせてやろうと思ってたけど。たいしたことないみたいだな』って言って、肩を叩いてくれた」
「それがきっかけ?」
「ええ。それからその番組に毎週行くと、あの人必ずセット裏で寝てて。わたし、別にイヤなことがなくても、そこへ行くようになって。そのうち、『気晴らしに飲みに行くか』って言われて喜んでついて行ったの」
「なるほど。アイドルと知り合おうと思ったら、セット裏へ行けですね」
富田医師、ちょっと冗談を言う。
「いや失礼。では、彼とは半年くらいお付き合いされてたんですね」
「半年と言っても毎日会ってたわけじゃないわよ」
なぜか富田に対する言葉がきつい由紀。富田、少したじろぐが持ち直して質問を続ける。
「事務所は、お二人の関係を知っていたんですか」
「はい、どちらの事務所も。アイドルって、好きな人が出来たら事務所に言うんですよ。そういう決まりなの。事務所の協力がないと、芸能人同士って会うこと出来ないの。事務所が、テレビ局出たりマンション入ったりする時、しっかりガードしてくれなきゃ、マスコミに嗅ぎ付けられてしまうのよ」
「なるほど。会う時はいつもお互いのマンションなんですね」
富田医師、そう言って少し黙る。マンションで行なわれる二人の行為などを想像してしまったのか、しばし言葉が途絶える。西村刑事が富田の顔をのぞき込む。富田、われに返ったように、由紀の方を見る。
この美しい女をマンションで自由に抱いていた男は、今モニターの中で岩を動かしている。
「富田先生、他に質問は」
西村に言われ、富田少し考えたあとで、こう尋ねる。
「彼は優しかったですか」
「ええ、優しかったわよ」
「怒ったりはしませんでしたか」
「彼は、少なくともわたしの前では決して怒らなかった。まるで神様みたいに、どうしてこんなに、というくらい優しかった」
「それはあなたが可愛いから、男は優しくしちゃうんじゃないですか」
富田は由紀が可愛くてしかたがないらしい。由紀、その言葉には反応せず、話を続ける。
「でも時々、抜け殻のようになることがあった」
「抜け殻?」
「そこにいるのに、まるで中にいる人が急に抜け出して、外側だけ残して行ったような。目も遠くを見て、話しかけても聞こえないようなことが時々あった」
「それはどういう時にですか」
「それがわからないの。何かをきっかけにスイッチが切れて、山口さんがそこからいなくなっちゃう感じ。で、また少ししたら戻って来て、優しく笑ってくれるの」
「いつ頃からですか」
「知り合った頃はそんなことなかった。わたしが映画に出てた頃くらいかな」
「何かあったんですかね」
富田と西村、由紀を見つめる。由紀、指のマニキュアを見ながら少し考える。
「わかりません。山口さんのこと、最後までよくわからなかった」
「わからなかった?」
「わたし、わかろうともしてなかったかも知れない・・・」
モニターの山口を見つめる由紀。
山口、岩を動かすのに疲れたようで、座り込んでうなだれている。
「あの人、あんなに一生懸命、何をしてんだろ・・・」
由紀の言葉は、モニターの中の今の山口のことを言っているのか、それとも時々抜け殻になるが神様のように優しかった頃の山口のことを言っているのか。
真意をつかめず、顔を見合わせる富田医師と西村刑事。
由紀、立ち上がってモニターに近づき、山口の顔のあたりに手をやる。
「可哀そうな山口さん・・・」
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